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パニックってなんだ? その1


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よく、自閉症とかの人たちのパニックについて「何か嫌なことがあった時や困っている時。それを一生懸命に訴えているのがパニックです。パニックは、SOSの表れ」とか言います。
というか、この業界ではそれが「正解」ということのようですね。

でも、あらためてどうです?
これ、本当でしょうか?

実際に彼らと暮らしてる俺なんかにして見ると、それって「ヤツらをいい人視しすぎ」としか思えない。


いや、確かにね、「イヤなことがあった時」ですよ。
パニックって。

その上で、まず大きく問題となるのは、「イヤだからってパニック起こしていいのか?」という問題。
これ、まずパニックの様子にもよるんだけど、他人に危害を加えるとか、直接加えなくてもものすごく不快な思いをさせるようなことってあったりするんだけど、それってイイわけがなくて。
にもかかわらず、冒頭の正解は、そのパニックを認めちゃってる方向なのよね。

それ、まあ障害をもった人本人やその親には聞こえはイイけど、一般の人にとってみると、「なんでやねん」にはなっちゃう。

イヤなことがある、ってのは、これ、障害をもった人だけじゃなくて、世の中みんなそうなのね。
だからって、他人にイヤな思いをさせてイイか、っていうと、それは違うでしょ。

つまりですね、パニックを肯定するのは学術的にはわかるんだけど、社会的にはそれは他者に対する「脅威」として存在するモノであって、その観点ではかんたんに肯定できない。
だから、それを前提にして話を進めないと、ちょっと同意が得られにくいのでは?と思うのだ。


立ち位置をどこにするか?という問題はたしかにあって、こうした正解を正解と信じる人たちは、これを正解とすることで、自分は自閉症の人の側に立ってるんだ、って思いたいのはわかる。
わかるけど、いやいやいや、それは先に書いたように逆に同意を得られにくい状況を生んでるのでは?という気がしなくもない。

俺はやっぱり、一歩引きたい、というか、俺は市丸ではない。
市丸ではないし、障害者手帳を持っていないし、大学も出たし、勉強もそこそこできた。
その俺が、どうして、彼らと同じ側に立って語ることができる?って俺なんかは思っちゃう。

もちろん、俺だって市丸を馬鹿にするヤツがいたら、怒るね。
そりゃ怒る。
でも、それと「俺が市丸側に立つ」というのとは、やっぱ微妙に違う気がする。

つまり、俺は理解はできない。
彼らのことはわからない。
しかも、市丸は「自分のことを語れない」のだ。
なのに勝手に「パニックはSOSだ」って、言ってイイのだろうか?


もちろん、言葉が出なかったりすると、手を出す以外に、大声を出す以外に方法はなかったりする。
だから、不満を噴き出させるためのパニックだ、と考えれば、必要ではあるんだと思う。
じゃなきゃ、潰れちゃうもんね。

でも、だからといって、他者に脅威となる行動をパニックだから許してください、というのは通用しない。
いや、通用する社会であったらどんなにいいかとは思うけれど、今は社会が逆方向に進んでいる。
ちょっとしたことで、障害者に対する拒否感が増幅してしまう世の中だ。

パニックを肯定するのは、その立場をとるのは、やっぱりその拒否感を増幅させる可能性が高いのだ。


だからといって、パニックを封じることは現実的に「無理」である。
これは、一緒に暮らしていてわかる。
ゼロにはならない。

まず、だから「パニックをなくす」のを目的とするよりも、「どういうパニックをさせるか」の方が現実的なのではないか?と俺は思うのだ。
つまり、他者に脅威を与えないパニック。
ま、それはもう定義的にはパニックではないのかもしれないが、それを目指した方が現実的だし、受け入れられやすいのではないか、と。


まとめますと、パニックがSOSである、というのはわかる。
でも、SOSだからって、人を叩いていいわけじゃないし、人に脅威を与える行動をしていいわけじゃない、というのが、まあ前回の話ね。
そのSOSである、から始まるのは、「だから許してください」「わかってください」ではなくて、「どうSOSを出させるか?」だよな、って話ね。

つまりそれは他者に脅威を与えるパニックを肯定せず、新たな行動様式を彼らに求める、ということになるかな。
そんな感じ。


続きます





(BGM:NOSFERATU「Hatsukoi [初恋]」fromYOUTUBE)
→八〇年代に出されたソノシートらしいが、いや、これはいいんじゃないか。
演奏も稚拙、楽曲も稚拙、歌もよくわからないが、エモーショナルな何かは伝わってくる。
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