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異性介助はありかなしかといわれれば、ナシ。


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専従募集

先日の異性介助について、の勉強会(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4387.html)のことを機関紙に書きました。
俺の原稿と加納さんの原稿を転載したいと思います。

この日は、もうやっぱりその後25時くらいまで飲んでて、今後ですね、時計を見ながら飲みたいと思いました。
でも、すごく楽しかったんだ、俺としては。


【まず俺の】

異性介助はありかなしか、ということでいえば、ないと思います。

現実的に考えて、女性の障害者が、例えば加納さんが男のヘルパーに下の世話をされる、というのは、やっぱりあり得ない。
だから、まあ女性である加納さんの介助職員は、やっぱり女性を募集する必要があります。

けれど今、介助職員を募集するのに、例えばバイト情報誌を使おう、となった場合、「男子介助職員募集」「女子介助職員募集」という風に、書きにくくなっています。
というか、雑誌によっては、載せられない、と言われます。
「男、女」が引っかかるのだそうです。

男女雇用機会均等、というのはわかります。
保母さん、だったのが、保育士、になり、看護婦さんが看護士さん、になりました。
男でもやりたい人はいるじゃないか、というか、まあやっていいじゃないか、という意見は当然だと思うし、それはそれでいいのですが、一方で、じゃあ「下の世話を異性にやらせることになる」という当事者の「男女均等」は、それまた違う話であります。

つまり、「職業」ということと、「生活」、「自分の尊厳」というモノはまったく定規が違います。
違うのに、一方からは「職場」になり、一方からは「生活」になります。
ここがまあ、大きくズレる要因ではあります。

今回の話題にも上がりましたが、老人ホームなんかでは、女性のヘルパーさんがおしりを触られる、みたいなことが日常であるようで、それをいちいち目くじら立てていたんでは業務が進まない、と。
それを訴えると、「おしりを触られるくらいいいじゃない。若い証拠!」などと茶化されるのがオチだそうで。

つまり、男の人にとっては、いや、その一部の「おしりを触る人」にとっては、「女は男の世話をするのがあたりまえ」なんですね。
そこにはひいては「女は男のモノである」という認識があるのかと思います。

これは、日本の男女観というか、性差観というか、そういうのがそこに横たわっているように思いました。
夫婦においても、妻は夫を立てるモノ。
妻はかいがいしく夫の世話を焼くモノ。
そういう慣習というか、ならわしがあるわけです。

当然、妻は夫のモノであり、しかし夫は妻のモノではない。
夫の浮気は大目に見られても、妻の浮気は大目に見てもらえない。
これはまあ、芸能人の不倫の話で、女性側が叩かれる傾向にあることにも通じているかと思います。

この日本の男女の関係をそのまま介助に当てはめてしまえば、それはやっぱり「女が男の下の世話をしたってあたりまえじゃないか」ということになります。
そもそも、親の介護は嫁の仕事であって、夫の仕事ではない、という暗黙の決まりがあります。
だから、異性介助があたりまえ、という風になってしまうわけです。

今回の発言の中に、府中療育センター闘争がちょっと出ました。
異性介助を拒否し、「私たちは人形ではない」という訴えが、その頃、1970年代のことですが、いまだに、この訴えを我々はしなければならない状況にあります。
それは、上記のような、日本の頑とした男上位社会の有り様があまりに強固であることを示していると思います。

一方で、冒頭に書きましたが、その逆、女性が男性ヘルパーに下の世話をされる、ということには、まだ、世の中は「それはおかしいんじゃないか?」と思ってくれる人が多いように思います。
それはレイプ、を容易に想起させるからだと思いますが、この「異性介助」と言った場合の「男女差」もまた、この問題をややこしくしているように思います。
また、老人の場合、と若年の障害者の場合、と分けても、「異性介助」に関する拒否感の度合いは違うように思います。

つまり、異性介助、すなわち異性に性器を触らせる、見られる行為、というのは、「セックスで異性に性器を見せる、触らせる」ということと同じことを、恋人以外、自分が望まない人とそうした行為をしなければならない、ということなんですね。
それが、快楽を追求していようがいまいが、そういう「行為」として同じなのだ、と。

もっと言えば、女性ヘルパーにトイレの介助をさせて、勃起してしまう若い障害者もいるわけです。
それはもう、セックスをしたいしたくない、ではなく、そういう反応をしてしまう。
でも、それが「互いの合意に基づいたセックスではない」ことに、大きな問題があるわけです。

逆に言えば、異性介助とは、「セックスの対象じゃない」から、できるわけです。
障害者は、少なくとも、今介助をしている障害者はセックスの対象になり得ない、から、介助者、ヘルパー側は介助ができる。

つまり、異性介助を認める、とは、ヘルパーが、健体者社会が「障害者はセックスの対象になり得ない」と公言しているのと同じようなことになるわけです。
だからこそ、府中療育センターの闘争では「私たちは人形ではない」という言葉になったわけです。
「人形ではない=人間扱い」とは、つまりは、平たく言えば、異性間においては「セックスの対象なり得る」、ということなのかもしれません。

こう考えると、今回の話題にも上がりました、親子だったら異性でもしょうがないんじゃないか?とあきらめる気持ちにもなる、という意見も合点がいきます。
親子はそもそもセックスの対象には、「互いに」ならないからです。

例えば老人と若年障害者の差も似ているかもしれません。
でも、そんなこと言えば、老人の方にしてみれば「わしはセックスの対象にならんのか!」と怒られそうですが、でも、老人になるまでにたくさんのセックスを経験してきた人と、一度も異性と手もつないだことのない若年の障害者が、いきなり性器を見られる、触られる、というのは、確かに現実的に問題の度合いが違うようにも思います。

さて、しかし、異性介助がここまで「あたりまえに」、そしてヘルパーへのセクハラ?痴漢行為?も露見しながらも、社会は黙認するか、と言えば、そもそも「介助を受ける人は人間ではない」という差別感があるからなのかもしれません。
いや、「人間ではない」とまではいわなくても、「しょうがないじゃないか」と。

そもそも、介助や保育、というものは先に書いたように日本の中では「嫁の仕事」であって、「金をかけるモノ」ではなかったわけです。
だからこそ、そこに出てくる金が、つまり税金の配分が、あまりに小さい。
だからどうしても、「男の仕事(皮肉ですよ)」になりにくい。
保育士の給料、ヘルパーの給料が、同年代の平均収入よりもぐんと低い、というのは、そういうことです。

ここを変えなければならない。
つまり、「嫁の仕事」という部分を変える。
これは大きな大きな課題ですが、なぜならそれは、夫婦間の「妻は夫に尽くすモノ」という部分を見直さなければ、始まらないからなのではないか。
男上位社会というモノを見直さなければならないから、今の男上位社会はそれに抵抗している、と。

そんな風に考えると、異性介助の問題は、やはり、日本の性差別的な風土の上に、例えば仕事としてだけ男女教機会均等だとかってのが乗っかったり、という風に、いびつに成り立っているモノだと俺は思います。

*)ちょっと簡略化して書きましたが、セクシャリティの問題なんかも考えますと、基本的に、異性介助とは「本人の性ではない人による介助」ですね。


【そして、加納さんの】

異性介助はどこまでアリか、そもそもアリなのか。というちょっと日和った感じのタイトルを付けてみましたが、私は異性介助なんてありえなし絶対にナシだと思っています。
今回開催してみて驚いたのは、積極的にではないですが意外とアリという意見が多かったことです。異性介助なんてするのもされるのもイヤだとみんな思っているモノだと思っていたのですが話を聞くとそうでもなかったのです。あっ、みんなそういうモノなの。と正直拍子抜けしてしまいました。男性ヘルパーが女性の介助をするというのはめったにないと思いますが、女性ヘルパーが男性の介助をするというのはあたりまえに存在している、つまりは日常の出来事なのだなあと再認識しました。「ヘルパー=女性の仕事」だと世間では思われているんだからみんなが違和感を感じないのもそうなのかなと思いました。
今回はあえてどうなのかという討論をしてみましたが、やっぱり私は異性介助はあり得ないと思っています。
それは虹の会にいるからイヤだと思うようになったわけではなく、家族と暮らしていたときから父や祖父にトイレやお風呂をやってもらうのはイヤだと思っていました。でも母だけに負担が行くのも申し訳なくて仕方がないという理由でイヤだという感情に蓋をしていました。イヤだと思っちゃいけないと思っていました。でも虹の会に来てやっぱりそれはおかしい事だったんだと思うようになり、イヤだということ惨めだということを我慢せず声に出してもいいということを知りました。
だからみんなも介助される側になったとき異性にトイレ介助やお風呂介助をされるのは当然イヤなんじゃないかと思っていました。そしたら、体力的に男性の方が安定していそうだからとか、自分が憧れている異性であればイイとか、介助してくれるなら異性でもかまわないとか、家族であればイイとか。あれ、あれ、アレレ・・・と思う意見が多くて、あっ、そうなんだと衝撃でした。みんなの発言の共通の思いとして「人手がいないんだから仕方がないんじゃない」ということがあがっていましたが。介助者が潤沢にいればみなさん本当は同性介助を求めると思うんですけど、どうなんでしょうか。
また、自分が憧れている異性だったら介助されてもかまわないという意見もありましたが、正直私だったら絶対に無理だと感じました。だってどう考えても自分が憧れている人にセックスじゃないことでつまりは異性としてではない場面で裸を見せるなんて想像しただけでイヤです。何なら一番セックス以外で裸を見られたくない相手じゃないかと私は思っています。だって、自分は異性としてみているのに相手は自分を異性として見てくれていないということでしょ。そんな惨めな事があるかと思います。
介助してもらえるなら異性でもかまわないという意見もありましたが、もう自分は車いすになって動けないんだから贅沢は言っていられない人間としての生活はあきらめるということだと思うので、私はそんなあきらめた人生を生きたくないと思っています。
それと、相手に介助を求められたらその相手が異性であってもトイレやお風呂の介助をやるという意見も私は聞いていてとても引っ掛かりました。仕事だからやるというのはわかるのですが、それはもう相手をその時点で異性と思って接していない、つまりは人としてみていないのではないかと思うからです。同性介助ってそんなに大事な事なの?と逆に自分が問われている気がして頭がクラクラしてきてしまいました。
私は同性介助に拘りすぎなのかとも思いましたが、やっぱり私は介助をされる側としてイヤだという思いしかもてません。
世の中では、介護は女性の仕事と思わされ、そういうモノだと誰もが疑わないのかもしれない、それって問題なことなのかと思うことかも知れない、でもちょっと考えてほしい。介助される方も介助する方も性別を持った人間なのだ。どうでもよかったら例えば銭湯も例えば公衆トイレも男女で分ける必要はないと思う。でも分けているということは、性別があるということ。それを介護の現場になったとたん性別をないことにしてしまうのは私はやっぱりおかしいと思うのです。




(BGM:John Lennon & Yoko Ono「John & Yoko」from「Wedding Album」)
→まあ、もうこれは聞くアルバムではないわけで。
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