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スーパーちんどん・さとう

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よく、「人のタメになにかする」ってことと、「自分のやりたいコト」を両極において語る向きがあります。
ちょっといろいろ装飾を省いて言いますけど、メンタルな病気を治すため、みたいな文脈で「人のことを考えるより、自分のやりたいコトを考えろ」みたいなことをよく言われたりする。
「自分のやりたいコトを見つけなさい」みたいな。

俺は、人は他人の評価でもって、自分の評価をしている、と思っている。
いや、それが全てではない。
自分でやりきった、という自信や思いは確かにある。
けれど、それを誰も認めてくれなかったら、やっぱりそれはどっか空虚な感じがする。

俺のコトで言うと、自分のやりたいコト、自分が認めること、ってのは、たいがいが妥協の産物なんじゃないか?と。
いや、自分は自分のことが一番よくわからないというか、自分がやりたいコトなんて、よくわからない。

いろいろな人の話を聞くと、一生懸命やったけど、なかなか学校で認められない、職場で認められない。
「そんなんじゃ努力が足らない」とか言われて、だんだん、人はやる気をなくしてしまっていくのではないか?って気がする。


人にはそれぞれのペースや力量があるから、「がんばった」というのを一つの定規の上で比べるのは難しい。
というか、できない。
でも、それが、学校で言えば「単位を取る」とか、仕事なら「契約○件獲得」とか、そういうことになってしまい、「ソレが出来てないから、お前はがんばってない」ということになってしまう。
それが社会についていけない、みたいなことになって、「俺は社会に無用な人間じゃないか」みたいな。

そうなると、いくらがんばっても虚無感しか生まれないよな、って。

でもまあ、人はどうしても「人ってのはサボりたがるモノである」みたいな思い込みがあって、「ここまでできてないからサボってた」という風に決めつけたい。
それは逆に「自分はがんばってるからここまでできたんだ」という思いがあるからなのかもしれない。
つまり、その人自身が、自分のがんばりをちゃんと認めてもらってないのかもしれない。
か、もしくは、人が「できない」のを見て、「自分はがんばった」と認識するしか、自分のがんばりを評価できないのかもしれない。

それはわかる気がする。
つまりはまあ、やっぱり「人と比べないと人は自分を評価できない」ってことなのかもしれない。


近しい人が、そうした「数字」とかじゃなくて、自分のがんばりを認めてくれなかったら、やっぱりちょっと、つらい。
近しい人ってのは、家族だったり、仕事の仲間だったり、パートナーだったり、ですね。
やっぱり、俺はがんばることも大事だが、その先の「他人が認めてくれる」ってことが大切なんじゃないか?って気がするのだ。

SNSの「いいね」がほしい、ってのもそういうことじゃないか、と。

自分のやっていること、自分のしてきたことを、「そんなのやめちまえ」「そんなの違う」「努力がまだまだ足らない」とか毎日言われていたら、やっぱり、人は腐っちゃうよ。


だから、俺は、「いいね」をちゃんとしてくれる人のまわりにいるべきだと思う。
「自分のやりたいコトを見つけなさい」というのは、わからなくはないし、そういうものがあればいいけど、そもそも、やりたいことってのは、人が認めてくれることなんじゃないかな、と。

そこに他人が存在する、ってコトが重要というか。

他人が存在しなくなっちゃって、どうでもよくなって、セルフネグレクトに至ってしまったり、みたいなことってあるじゃないですか。
もちろん、それだけじゃないんだろうけど。


人のために一生懸命になることが、自分の身を削るような錯覚に陥ってしまう。
そんな時は誰にでもあるけれど、基本は、自分の一生懸命が人の一生懸命を支えているのだ、ということを、やっぱり忘れないでほしい。
一生懸命やれることを互いに支え合えるような。

いや、自分からそれに背を向けてしまう人もいる。
そうした関係が居心地が悪い、という人もいる。
ま、それならそれで仕方ない。


自分で完結することも大事だと思うし、そういうことで生きていける人は尊敬する。
でも、俺にはそれはちょっと無理っぽい。
俺はやっぱり、みんなに認められて、やっとなんか落ち着ける。
やっとなんか、自分が必要とされているな、って思える。
生きていていいんだな、がんばっていていいんだな、と思える。

人に一生懸命を「いいね」してもらえて、やっと俺は立ってられる。
それじゃ、ダメなんだろうか?
他人の「いいね」をもらえなくても、自分が納得できるような生き方をしなければならないのだろうか?

「他人のタメじゃなくて、自分のために生きて下さい云々」って、まあ簡単にいうけど、それって逆に俺には難しい。


俺だけなのかもしれない。
でも、俺は数字じゃなくて、俺のまわりの、近しい人の一生懸命を「いいね」しようと思う。
俺が、そうしてほしいから。
そして、そういう仲間を作ることが、俺には「自分のしたいこと云々」よりもなんかとても重要な気がする。





(BGM:あのねのね「大きな栗とリスの唄」from「ギョ!あのねのね ベスト・コレクション」)
→こういうのがウケた時代っての、あったなあ。
今はもう聞いてられない恥ずかしくて。
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