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スーパーちんどん・さとう

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安全なテレビ番組への違和感


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俺はけっこう「普通の家庭」で育っただと思ってるんだけど、そもそも、生活に困った感じ、を子どもながらに思ったことはない。
給食費や集金に来る新聞屋さんとかに、「待ってて」というようなことはなかったし、学校の集金が遅れることもなかったし、だから、「そういうことはないモノだ」と思っていた。

ま、ウチは団地暮らしで確かに家は狭かったが、食べたいモノはそこそこ食べられたし、なんだろう、反社会的な感じもなかったし、いわゆるヤンキー感もなく。

幸せなことですね。

で、世の中にはそういう幸せな家庭ばかりじゃない、というのがわかったのは、けっこう大人になってから。


今の日本は平等だとか言うけれど、階級で明確に仕切られていて、同じくらいの給料をもらってる人が、おなじ建て売りを買ったりして。
同じマンション、つまり例えば10万なら10万の家賃が払える人、が、そのマンションには住むわけで。

つまりまあ、同じ区画に同じような人たちが住んでいる、みたいな。
会社でも、まあ非正規だ、なんだってことにはなるけれど、同じような待遇の場合、まあ勤続年数とかで同じような階級の人が集まってることになる。


つまりまあ、階級ってのは厳然とあるのよね。
子どもの頃は、そういうのに当然、気づかない。
そして、まあ大人になっても気づかない人はたくさんいて。

というか、気づいても、気づかないふりをして、というか、階級を超えようとかとは全く思わない人たち、というか。

マイルドヤンキーなんて言葉がありますけど、いわゆる、地方都市とかでそれなりの社会集団を形成して生きてる人たち。
「先輩」という頼りになる存在がいて、その先輩に頼めば仕事もなんとかなって、まあみんなでそういう感じで共同体を作ってる感じ、というか。

で、まあ、これは偏見半分だけど、おそらくエグザイルを聞いている、みたいな。
たぶん、この感じの人たちが今の日本にはものすごく多いんだろうな、と。

昔はきっとYAZAWAってことになるんでしょうけど、まあビックになるぜ!とはいうものの、やっぱその「先輩」以上にはなれないんだよな。
先輩、が上がりなんだろうけど、でもまあ、それは広い視点でいえばやっぱり「ビック」とはほど遠く…。

社会や階級そのものに疑問を抱いて、それをなんとかしよう、みたいな部分は彼らにはないから、枠の中から出ることはない。
本人たちの意識とは全く関係なく、結局は階級を追認しているだけ。

でもまあ、「本人たちが幸せならいいじゃない」という話も、まあわかるんです。
その共同体が情を基本に成り立っているとするなら、それはきっと「住みやすい共同体」なんだとも思います。
ただまあ、それは決定的に先輩を含んだ自分たちを、中央の、いや社会の構造から言ったら階級の一番上の人たちのための「奴隷装置の維持」でしかない。


で、話を戻しまして、つまり自分は子どもの頃は、そういう階級みたいなことに気づきませんでした。
誰もが、たいがいの生活をしていて、子どもがりんごを食べたいと言えば、まあその日は「ガマンしなさい」でも、次の日は買ってきてくれる家庭に暮らしてる、と思っていた。
集金が来ても、ちゃんと普通に払える、のが、普通だ、と思ってました。


そうじゃないんだ、と思えたのは、大学を出て、この仕事をするようになってからです。
バザーの品物を回収するとかで多くの家にたずねるようになったり、その他でも相談だとかで、「いろいろな階級の」家に上がり込んだり、接触するようになってから。

それまでは、あまり自分と違う階級の人とは接触しないまま生きてきましたから。
これ、たいへんなことで、今のこういう仕事だから、「いろいろな家庭がある」って理解になるけど、そうじゃなかったら、同じ職場でも同じ階級の人ばかりだったりして、今でもそういうのがわからなかったのかもしれない、と思ってゾッとするんですよ。


ちょっと急に視点変えますけど、昨年ウチが取り上げられたバリバラという番組に対する違和感というのは、ここなんですよね。

出てくるのは障害者。
障害者バラエティとかって銘打ってるから当然なんだけど。

でも、その障害者のみなさんは、どこか「アッパー」なんですね。
発言等々を聞いてると、いい階級のみなさん、という感じがする。
つまりね、もしかしたら、世の中の問題は、「障害者か障害者じゃないか?」ではなく、「階級の問題なのかもしれない」と、改めて思った、と。


やっぱ、どこにも助けを求められなくて、助けを求める、ということ自体がわからないのか、方法がわからないのか、それはわからないけど、そういう人ってたくさんいて、自分の家の駐車場に親子揃ってぼっと立ってたりする。
近所の名物な人、になって、夏でもジャンパー着てたりする。

本当に助けが必要な人たちというのは、おそらくそういう人たちで、でもそういう人たちはバリバラには出てこない。
いや、ひっかからないのだ、バリバラには。

なぜなら、アレも、「障害者の階級」を基礎にした、「安全なテレビ番組」だからだ。
階級さえ踏み外さなければ、問題は起きない。
ちょっと進歩的な人たちが喜んで見てくれる。


本当に自分がすべきことはなんなんだろう。
ちょっと前に、成宮アイコっちのトークイベントに雨宮処凛さんと出させてもらったとき、雨宮さんの覚悟というか、そういうのがすごく伝わってきて、なんか「俺なんかぬるいな」と思ったんだけど、いや、それってこういう感じのことで。


一歩、どこかに踏み出さなきゃいけない。






(BGM:西条ロック「三つで五百円」fromYOUTUBE)
→「子どもの頃に捨てられた~ 捨てられた~」
「母を訪ねて幾万里~ 幾万里~」
この「自分で繰り返す」ってのがいいよな、これ。
本来、ここはコーラスとかでかぶせたいが、それではこの曲の主旨にはあわないんだよな。
3曲500円、じゃないところがいいよな。
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