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スーパーちんどん・さとう

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「誰がやった?!」(その2・ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4443.htmlのつづき


よく、にじ屋の仕事なんかで「誰がやったんだ?」ということがあります。

これを書いてる今朝もあったんだけど。
まあ、誰がやったとかって、犯人捜しというよりは、「状況を知りたい」ってことなんですけど。

そもそもまあ、なにかやって怒られる、ということはあまりないんだけど、約束通りにやってない、みたいなことで、「それ違うじゃん」ということはまあまあ、集団ですからあるわけです。
もう一度最初から説明繰り返し、みたいな。

まあ起こってしまったことはしょうがない。
もうあきらめるしかないんですが、だからといって、そのまま放置できない、というか、次に同じように起こらないようにするためには「状況が大事」ということはあります。
それによって、事後策が決まる。

しかしですね、この「誰がやったのか」が出てこない。
これ、往々にしてあります。


つまり、「誰がやったのか」=「怒られる」という図式ですね。
学校でガラスを割った。
誰がやったのか?と問われて答えれば怒られるわけです。
「誰がやったのか」というのは、つまり「怒られる前兆」なんだよね。

結局、怒る気がなくても、というか、そういう感じを徹底的に抑えて言ったとしても、もう「誰がやったのか」という言葉は、彼らにとって「前兆」でしかなくなっている。

例えばまあ、そういう部類の、ガラスを割ったとかのことでも、「正直に言ったからよし」というのはあったとは思うんだけど、なかなかそれは残っていかないんだなあ、と。

小学校じゃないんだから、そういうことじゃなくて、問題を解決しようよ、再発を防止しようよ、という話なんだけど。
なかなかこれ、伝わらない。
ま、彼らが子どもだから、ってのはありますよ、確かに。
中身で言えば、そりゃ小学生かもしれないもんな。

でもまあ、これ、別に知的障害者とかじゃなくても、そういう反応をする職員とかもいたりするから、子ども、大人、とか、そういう簡単なことじゃないのかもしれません。

なんとかね、その辺の気持ちをほぐしていかなきゃいけないな、と思うワケなんですが。


ただ、これに関してもう一つ思うのは、「本気で覚えてないんじゃないか?」ということなんですね。
誰もやらないのに、スイッチがオフになってるわけはない。
だけれど、オフにしたのが無意識だったとしたら、もう「誰がやったかわからない」のであります。

「誰がやったんだ?」という問いに対して、もう全ての記憶をシャットアウトしてしまう、というのは、先の反応からあり得ることかと思います。
「もう俺は関係ない」という風にシャットアウトしてしまう。

だけど、それだけじゃなくて、どうも本気でわからないんじゃない?というか。
つまり、自分のやってることが、記憶の中から落ちてるのではないか?と。
というか、そもそもが「無自覚でやってる?」という。


人って、自分がしたことに対して、それなりの理由があるというか、スイッチを切るのはライトを消したいからで、あとで思い返せば、「誰もいないと思ったから、最後は自分だと思い、切った」となります。
でも、人がいた。
となって、「あ、ごめんなさい。誰もいないと思って」となるわけです。

でも、スイッチを切ることが、「自分が最後だと思った」とかじゃなくて、無意識にやってたら、もしかしたら思い出せないのではないか?というね。


ちょっと思うのは、市丸なんかも、みんなで「それはやらない」と決めたことでも、自分のモノがそこに関わったりしてると無理矢理やっちゃってたりします。
どう考えても、あとでバレればアカンやつなのに、簡単に、「衝動的に」「反射的に」やってしまう。
ま、市丸にその罪悪感があれば、「俺がやった」ってのは出てきます。

でも、逆に「やらない」とみんなで決めてないことだったらどうか?。

衝動的に、反射的にスイッチを切っていたとしたら、そこには「やってしまった」という記憶は残らないから、その行為は残らないのではないか?というね。


いや、意味がないのにスイッチをオフにするか?ということになりますが、小さなことだと、そういうのって、彼らにはけっこうあるような気がする。

「あの箱をどこにやったか?」というのは、「あ、ここにあると邪魔だな。でも、なんの箱なんだろう。あ、提供品か」となって、提供品の場所に置くわけでしょ。
そうなると、後になって「あ、それ、提供品だったから俺があっちにおいたよ」と思い出せる。
けど、「箱がある」→「動かそう」という反射行為だと、「動かした」ことすら、残らないのかもしれない。

そもそも、自分の行為が何かに影響を及ぼす、ということがよくわからないのかもしれません。
だからこそ、反射で何かができるのかも?


こうなると、もう思い出させることは不可能。
迷宮入りです。
しかも事後策もへったくれもない。

それはちょっと発想としては突飛なのかもしれんけど。


あとはまあ、本気で忘れちゃってる、ということかもな。
昨日のことなど覚えておらん!みたいな。
こうなるともう、お手上げだな、とか思ったり。
なかなか難しい毎日であります。




(BGM:ソニア・ローザ「青いベッド」fromYOUTUBE)
→いや、日本語うますぎ。
そしてバックがフランス感を醸しだし、なんか異世界に引きづりこまれるよ、これ。
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