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スーパーちんどん・さとう

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障害者団体の集まり、というのがあって。
会議とか、イベントとか。

昔はそういうのにも積極的に参加したし、いろいろと導いてくれる人もいたし、おかげで今がある。
仲間も何人かできたと思うし、とてもそのときのことには感謝している。

当時、もう2~30年前の埼玉の障害者運動は二分していて、今はもうそういう政党感というのは消え失せているけれど、いわゆる他の社会運動と同じですね。
社会党系、共産系、という。
まあ、ご本人たちはそういう分け方をいやがるだろうけど、まあ外の方にわかりやすく説明するとしたらそういう二分、です。

ウチは、一方のイベントに行けば「虹の会はあっちでしょ」という感じの受け入れられ方をしていたと思う。
両方のイベントや会議に参加していたのは、当時、おそらくウチだけだ。

運動の分断というのは、理念に基づく分派のように思われがちだけれど、その実践は似通っていたし、つまり「理念」は実践に基づかず形成されていた、というのが内部にいた者の感想である。
そしてその理念が政党の思惑に左右されていた、と俺は思った。

もっというと、それは政党の問題ではなく、もっと大きな意図があったのではないか?とも思うワケで、つまり、運動は分断された方が得する連中がいるわけだから、推理小説のセオリー通りに考えれば、その連中の意図が働いていたのではないか?と。

そうしたモノに左右されたくなかったから、ウチは「両方に参加しよう」ということでやってきた。
が、それも今はあまり参加していない。

先にちょっとイベントに参加したんだけど、社会党が解党した今、それでもなお、今も分断されたままであることを痛感した。
為政者万々歳である。

もし、本気で障害者運動で世の中を変えようとするのなら、まずこの分断をこそ変えなければならないのではないか?と俺は思うのだが、どうだろう。
それが運動側のすべき努力なのではないか、と。

まあ、そのどちらにももうあまり参加せずに、外からこうやってモノを言うのはどうかとも思うけれど、でも、そういう「狭い視野」が俺はとてもイヤなのだ。
だから、参加したくなくなる。


ちょっと前に、昔の仲間に声をかけていただいて参加した映画会は、人も入っていなかったし、正直、盛り上がりに欠けるモノだった。
挨拶があって、映画、映画が終わったらなんとなく終わり。
しかもその挨拶が、何も心に響いてこない。
ただ原稿を読むだけだったら、もう配っちゃえばいい。
原稿に目を落として挨拶をして、市丸たちに伝わると思ったら大間違いだ。

映画の画面はアスペクト比が違うから縦長だし、字幕は切れてるし、正直、映画を大事に思ってない映画会だな、としか思えず、最初の5秒で見る気が失せた。
一緒に行った連中がいなかったら、5秒で席を立つところだ。

それでも、親なのか、職員なのか、一生懸命丁寧にチケット販売をやっていたり、入り口で「こんにちわ」とか言ってくれるんだけど、そこじゃなくて、映画そのものをなんとかして欲しかった。


この「素人が一生懸命やってます」というのは、悪くないし、それでいいとは思う。
けれど、映画会なら映画会の、講演会なら講演会の、それを「来た人にもっと楽しんでもらおう」という、技術的な側面だって、必ずあるはずだ。
それをエンターテイメント性、という風にくくるのは、正直おおざっぱが過ぎるけれど、まあ、表現上そうしておくけれど、そのエンターテイメント性に全くかけるのだ。

俺は、まず会議だろうが講演会だろうが、イベントである以上、そこに時間を割いて集まる人がいる以上、その来た人に満足してもらわなきゃいけない、って思わなきゃならないのではないか?と思うのだ。
じゃないと、それは「動員」なんだよ。

ウチのライブに親は来てくれるな、というのはうちの親御さんにはずっと言ってるんだけど、まあ、ロックに親がついてくる、なんてのはもう話にならないというのはあるけれど、同時に、それって確実に動員につながっちゃうから。
他の団体だと、「一家族5枚買ってください」なんて言われるらしいから、もうそんなのやらなきゃいいのに,としか俺は思えない。

来た人に満足してもらって、次もまた足を運んでもらう。
どうエンターテイメント性を確保するか、というのが、実はとても重要だったりする。
その広がりが、俺たちの思いを確実に広げてもらえると思ってるし、ひいては社会を変えていく力になるかもしれない可能性を秘めていくことになる。
と俺は信じている。

「一家族5枚」などという、「動員」では世の中変わらない。
それは、右翼団体が、右派のデモの人たちに日の丸の旗を配って振ってください、と言ってるようなもんで、そんなの正直、デモでも何でもない。
動員だろう、それは。
じゃなきゃ、旗など人数分用意出来ないよ普通考えれば。

それと同じことを、今でも障害者団体はやってる、ってことなんだよね。
それでよく右派を批判出来るもんだ、と俺は思うんだけど。


バンドで言えば、ウチも最初は来てくれる人は少なかった。
今やっと、ライブハウスとかにも失礼がないくらい見に来てくれる人が増えてきて、お客さんの数の心配はしなくてすむようになった。

それはいつも考えていたんだ。
「来た人にまた来てもらうためにどうしたらいいか?」ということを。
だからいつもそれに頭を悩ませ、ライブ前には眠れない日を過ごしてきた。


俺たちに必要なことは、市丸たちが安定して暮らせる社会だ。
それは今、そうなってないから、そこをめざしている、ということだ。
それは社会の変革であって、その変革をもたらすのは、動員による関係者の集団だけでは足らなくて、一般の人の「賛意」だ。

今、さいたま市には数千世帯のにじ屋への品物の提供者がいる。
たとえ話をすれば、もちろんそんなに簡単な理屈ではないが、もし、それが100万になれば、我々の思いは社会を動かす可能性を持つ。

逆に言えば、そこをめざさなきゃ行けない。
一般の、隣の方が、にじ屋に来てくれて、初めて世の中は動く可能性を得る。

それには、まったく関係者じゃない人に「また来たい」と思ってもらわなきゃならない。
いや、それが実際の話、とても難しいから、俺たちも必死に考えている。


先日行ったイベントが、自分にとって居心地が悪かったのは、おそらくその「必死」の方向性が俺の描いているモノと違うからだ。
そして、でも、俺がそう思うようになったのも、彼らと過ごした日々があったからであるので、それにはとても感謝している。





(BGM:青山ミチ「夢の超特急」fromYOUTUBE)
→ま、新幹線の歌なんだけど、新幹線とは目はあわんよな…、なんてそんな野暮なことを言うもんじゃない。
昼は銀座、夜はなんば、って日帰りできるようになったんだから。
「恋のダイヤは誰が組む~」
…お前で組め…。
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