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スーパーちんどん・さとう

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人のため その2(ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4457.htmlのつづき


人のため、ってのは、まあ自分のためでもあるわけです。
自分が生きていくための糧、というか。
同時に、人が人のため、ってのは、他人が自分のため、ですから、という意味でも自分のためだよな、と。

世の中には、「自分さえよければいい」という人もたくさんいるし、そもそも、自分の今の感情を表現することが、どういう風に回りに影響していくか、とか、そういうことを考えない人も多い。
ヘイトスピーチ、なんていうのも、その一つかもしれない。


市丸やカブキもそうなんだけど、他の施設から来た人たちは、最初、とにかく「自分を通すことだけ」しかアタマにないように見えます。
他人の状況は目に入らず、とにかくやりたいことを「叫び続ける」という。
文字通り、カブキなんかは叫び続けていました。

でも、集団にはルールがあるし、そもそも社会にもルールがある。
やって欲しいことを主張することは大事なことだけれど、では、あなたは他人のやって欲しいことをどう受け入れていますか?という事において、まったくなんの学習もないように見えるんですね。

「昼を食べたい!」といくら言っても、やっぱり自分の昼の時間にならなきゃ昼飯のタイミングではない。
みんなで食べる大皿の料理を、とりあえずみんなが喋ってる間にぺろりと食べてしまったりもする。

こうしたことを、「知的障害者なんだからしょうがない」というのであれば、やっぱり彼らが「地域で暮らしたい」などというのは戯れ言なんじゃないか?と思うんです。

実際、他の連中は、それができている。
他の施設を通った連中だけですね、こういう反応は。
だから、できない、と断じるにはちょっと早計ではないか。


施設において、障害者が「利用者」と呼ばれて、その人たちの意向をくんでプログラムを組もう、そういう取り組みをしよう、というのは悪くないし、当然そうあるべきだと思います。
しかし、それがどっか、逆に「仲間作り」をしにくくもしてるんじゃないか?とも思います。

つまりこういうことです。

して欲しいことを、職員にぶつける。
職員は、利用者が言ってるから、とそれを実現する、ということを繰り返していると、その利用者にとって、職員は必要な存在だけれど、回りの他の利用者は関係なくなっちゃうのではないか?という。


でも、やっぱり、地域や社会というのは、様々な集団で構成されていますから、例えば家族もそうだし、会社もそうですね。
なんかのサークルでもそうでしょう。
そういう場所というのは、職員がいるわけじゃなくて、その利用者、が横にみんな並んでいるわけです。

その中で、自分の意向を通すというのは、他の人の意向も受け入れなければならない。
そのために、「ココは一度自分の意向を引っ込めよう」ということもあるわけです。

その「感じ」を少なくとも感じられれば、いくら意向を主張しようが、逆にそれは素晴らしいと思うんですけど、どうも、そうならない。


「障害者に優しくしましょう」ということと、「障害者が主体者であるべき」というのは、ちょっと意味が違ってきます。
「当事者主体」なんてことを、多くの障害者団体が言いますが、それは、「障害者の主張がすべからく通る」こととは違うのではないか、と俺は思うわけです。
逆に、全ての意見が通るのは、主体ではなくお客さん、なんですよね。

前回書いた老人ホームの話でもそうですが、結局、老人のみなさんが主体と言うより、老人のみなさんを「お客さん」にしてしまってないか?ということなんですね。


「利用者」として、施設の中で障害者の意見を尊重する、というのは、どこか「消費者的観点」です。
日常使われる、障害者は利用者です、というのは、「お客様は神様です」という言葉を凝縮しているようにも見えます。

でも、それは、あくまで「お客さん」ということが前提である以上、それだけでは主体にはなれないのではないでしょうか?

人の生きる場所、において、「消費者的観点」は相容れないように思います。
家族の中で、消費する人、買う人、与える人、という風に役割を分けて考えるのは難しいですよね。
もちろん、子どもが小さければ、それは子どもは受けるだけでしょうが、それはいつかその関係も変わっていく。
ずっとそのまま「与えられる側にいる」ことはないんです。


そう考えた時に、この「人のために」という、ごく普通の、ごく簡単な視点に、我々はもっと注目すべきじゃないか、と思うわけです。






(BGM:コンセントピックス「顔」fromYOUTUBE)
→「あんたはいい人だけど、顔が嫌い!」
ま、こういうことってままあるから、ブサイクは哀しい。
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