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スーパーちんどん・さとう

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なんか最近思うのは、やっぱオレなんかは「フツーの仕事じゃないんだな」という。
雇われてるわけじゃないし、それぞれの考えて動いてるし、そもそもなんかを「作る」「売る」仕事じゃないし。
って、まあにじ屋は一応商売だけど、それはまあ本質ではない。


そう考えると、一般に、「普通に仕事してる人たち」ってのがいて。
聞けば、職場のいろいろに「対応しよう」って、みんな一生懸命みたいで。
それが「働くこと」みたいな風に思ってる人も多いのかもしれないな、と。

長時間に耐える、残業する、早く来る。
そういうことを「要求される」。
それに応えて、まあ一生懸命やってる。
で、それが「仕事だよ」みたいなことになっちゃってる感じがして。

つまり、そういうのが、一般的な「仕事観」というか。

自分が学生時代から特に何もかわらない、そのままの状態なのに、卒業してそれを要求されて、とにかく応える、みたいなことを十年とか続けてたら、まあそうなるよね。
それで、とにかく自分がすり減っちゃわないんだろうか、と思っちゃう。

いや、すごいな、とも思うし、でも、なんかそれって違うよな、って気もする。
もちろん、それを社会から要求される、ってことがベースの話なんで、その人がどうこうってことでもないわけだけど。


オグラもそうだね。
ずっと入所施設にいて、そして、ここに来て。
今、どこに行きたい?ってきかれても、おそらく出てこないのは、ずっとずっと行けなかったからでしょ。
だから、もう「行く」ってコトもわからなくなって、どこに行きたいかもわからないし、行きたくても、どう実現したらいいかわからないし、ってのをずっと続けてたら、そりゃもう「どこに行きたいか」なんて「思考回路」が閉じちゃってもおかしくない。


なんか、それと同じなんじゃないかな、って思うコトがあって。
だって、「普通の職場」で、ずっとやってきた人も、だって、やすめないんだもん。
早退してライブに行きます、なんて、できないんだもん。
それをしちゃえば、クビになっちゃう、と派遣の従兄弟は言う。
多くの人は、なにか予定をたずねても、「次の休みのシフトが出ないとわからない」という。
それがまあ、「普通」なんだろう。

そうなってたら、「自分が行きたいライブに行く」ってことが、きっとわからなくなっちゃわないんだろうか?と。
「行きたい」ってこととか。
「ライブ」ってこととか。
わからなくなっちゃわないんだろうか?って。

つまり、「予定」ってモノが、大きく職場から提示されて、しかもそれが時間外の夜のライブの予定だったとして、それも「残業があるかも」って、予定として入れられないとしたら、もう「自分で自分の予定を決める」ってことが、そもそもわからなくなっちゃわないんだろうか?と。

もちろん、なにがあるかわからない、突発的なことも含んだ仕事、ってのもあると思う。
例えば、教師とかもそう言う部分あるかもしれない。
でもまあ、本質的には、「拘束時間」というのはあるわけで…。


だからね、自分たちも、というか、この社会のそれを変えないと、オグラに「行きたい場所を言えるようになれ」ったって、無理だよねって思う。
ま、社会を変えるってのはいきなりでかすぎるんだけれど、そうじゃなく、「そういう自分に自覚的になる」ってことがないと、オグラの「自分では決められない」は、永遠になにもかわらない気がする。

例えば、オグラとしても、ソレができてない人に、言われたってなあ、って思っちゃうよなあ。


市丸と付き合っていて思うのは、自分を変えられるかどうか、なんだよなってコトで。
彼らになにか伝えようとするためには、自分がなにかを変えなきゃ伝わらない、ってのが肌感覚。
逆に言えば、「自分がそんなにしなくてもイイヤ」って思ってることは、彼らには伝わらない。
「トイレに行って手を洗おう」ってことが、「そんなに必要ないや」「自分ではやらない時もあるけど」って俺が、それをイチマルたちに言ったところで、伝わらない。

ま、直接どうこうもあるけど、そういうことに「自覚的かどうか」は重要、って思ったりする。
同時に、イチマルと俺とは同じ地平でつながっている、というか。


今、仕事前に一緒に朝飯を食う、って流れがあるけど、朝飯は確かに市丸たちが引っ越してきて今の形になったけど、その前にAのこともあった。
Aについては、家庭がちょっと困ったとこもあって、朝飯をこっちで食えばいいのでは?、という流れもあったんだけど、パンだけ買って、「食べなさい」ってなっちゃって。
つまり、こちらサイド、「コッチで食べなよ」という専従の側が、それによって何も変わらない、という。
ただ買って置いておいて、「たべなさい」って。
それはまあもちろん定着しなかった。
Aにとって、なんの解決にもならなかった。

今考えれば、そりゃ、やっぱ伝わらないよな、と。
だって、こっちが変われなかった。
自分だって、朝飯食えないで仕事に来てたりしてたはずなのに。


ま、コッチにしてみたら、生活を変えることだから、タイヘンだよね。

例えば、彼らの食生活についても同じ。
コッチがコーラをジャンジャン飲んでるのに、「コーラは身体によくない」なんて伝わるわけがない。

この仕事は、自分が変わることだな、と。





(BGM:風間杜夫「ララバイ・ロックンロール」fromYOUTUBE)
→のってるなー。
サビ部分の「今夜~愛し合う~」のところの裏声はいるところなんか最高にのってる。
時代を超えて今聞いて辛くならないだろうか、と少し心配。
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