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スーパーちんどん・さとう

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「すいません」の違和感


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にじ屋で値段つけの作業なんかをしていて思うことなんだけど。

まあ、会計をコバがやっていたりして、時折、お客さんとのやりとりで、上手くいかない時がある。
そういう時、間に入って「ああ、そうですか、なるほど、それなら云々」というようなことでその場はまあ自然に治まるというか。

コバや井上なんかは、イレギュラーにやっぱ弱いですから。
そしてそもそも健体者に対して弱い。
もうなんていうか、健体者の言うことは絶対、みたいな幻想を抱いているから、例えばお客さんの側のミスや誤解だったとしても、簡単に否定出来ない。
で、まあ簡単に解決することも、解決になかなか至らない、ということがあります。

何度も「健体者だから偉いってワケでも、何でもわかってるわけじゃない」「少なくともにじ屋にはにじ屋のルールがあるわけだ」と言ったところで、アタマではそれは井上なんかはわかるんだろうけど、身体が受け入れない。
まあ、この「健体者社会」で、道の隅っこを歩いてきた彼らにとって、それは異常と言ってもいいくらいの縛りになっている。

ま、それはそれで問題なんだけど、ちょっと置いておいて。


今回はその俺がお客さんとの対応に入っている最中のことについて書きたい。

先日、そういう感じで、お客さんが買ったモノを預かってほしい、ということがあって。
車で改めて取りに来るから、とのことで。
まあ、簡単な話なんだけど、コバはちょっと固まってしまった。
それをまあ近くでカブキと値段付け作業をしていた俺が気づき、間に入って、それはそれで何ということもなく終わったんだけど。

そのお客さんとの俺のやりとりの間に、カブキが、「すいません~」って言ったんです。

すると、お客さん、取りに来る話をしているのに、「あら、呼んでるわよ」みたいな感じで、話を止めたんです。
なんていうか、「お世話しに行くんでしょ?」という感じで俺を認識していた、と言うことだと思うんだけど。

つまりまあ、障害者が呼んでいる=自分の今の話より重要、という感じの対応だった。


これですね、重大なポイントは、カブキの「すいません」という言葉なんです。

「すいません」というのは、何かをお願いしたい、とか、そういうことですね。
そのための「接頭辞」として、カブキは使ってるわけだけれど、ちょっと気に入らないんです。

気に入らないというか、ウチで「すいません」を接頭辞として使うのは、あとオグラだけ。

他は、「佐藤さん、コレ頼むわ」とか、「アキちゃん、これどうするの?」「外口さん、これなに?」とちゃんと聞く。

その中で、「すいません」から始まる彼らの言葉は、ものすごい違和感なんですよ。


何が言いたいかというと、オグラやカブキのように、他の施設から来た人は、とにかく自分の言いたいことを言う前に「すいません」をつけるんです。
「すいません、◯◯なんですけど」と、「誰にいうでもなく言う」んですね。

つまり、「すいません」が職員を呼ぶ「合い言葉」になっている。
そして、職員が気づかなければ、手が空いてなければ、「すいません」を彼らは言い続けていたんだろうと思う。


でも、本来、言葉ってのは、誰かに伝えて初めて言葉になるわけです。

だから、我々としては、まず彼らに「誰に言いたいのか?」「誰に伝えたいのか?」ということを聞きます。
ウチには、別に健体者と障害者を分けることもないから、例えば「ノブに聞きたい」ということだってあるわけだろうし、そうやって井上や市丸たちは仲間という輪を作っている。

それを、「すいません」といって話を始めちゃうと言うのは、もう「誰かに伝える」という宛先がなくなっちゃっていて、「誰か気づいて」でしかない。

逆に、そういう場面だったら、「すいません」でいいんだけど。
誰も頼りにする人がいない場面であれば、例えば駅ではぐれてしまったりしたら、「すいません!」と大声を張り上げることもあろう。
それは「すいません」の使い方として合っていると思うのだが、確実に「俺に」という宛先がはっきりしているのに「すいません」というのは、やっぱり言葉の使い方としてはちょっとどうかな?と思うんだ。

だって、すいません、って謝る言葉でもあるわけでしょう。
なんで、いちいち俺に何かを伝えるたびに謝る必要があるんだ?
そんなに卑屈になるんじゃないよ、と俺は思うわけ。

だから、我々は、「すいません」と言われれば、「すいませんという人はいないが、誰に言いたいのだ?」というのをまず聞くことにしてるんだけど。
もっというと、経験的には、もう彼らにとって「すいません」は意味がなくて、つまり、その先に「伝えたいこと」なんかなくても、「すいません」と言ってしまう。


そして、この「障害者が言う、すいません」というのは、一般の方にはけっこうな破壊力があるんだよね。
というのも、「障害者には優しくしなさい」という教育をずっと受けてきてるでしょ。
「すいません」=困っている、みたいなことで認識されている。
だから、彼らの発する「すいません」との落差があるんだよね。
そういうことはまあ、一般の方にはわからないから、先のような反応になるんだろうと思うんだが。

もちろん、先に書いたような「誰でもいいから助けて!」みたいな場面においては、確かに「すいません」は、ちゃんとした「すいません」なんだけど、カブキがそこで俺と一緒に値段ツケをしていたという状況の中での「すいませ~ん」は、もう誰にも言ってない、というのと同じなんだよね。
だって、俺に言いたければ「佐藤さ~ん」と言えばいい。
もっと言えば、俺と値段ツケしているという現実も「すいません」という言葉一つで吹っ飛んでしまう、と言う風にも言える。


それと、「すいません」をつけて悪いことないじゃないか、丁寧じゃないか、という意見は、彼らを卑屈にするだけだ。
「すいません」をいちいち仲間内でつけることはない。
そんなことを丁寧だなんて持ち上げていたら、彼らはずっと謝り続けなければならないではないか。
すいません、は謝りの言葉だ。

謝らなくていいんだ。
誰かに話を聞いてほしい、と言う時、もちろん、時間を割いていただいてありがとうございます、なんて場面はあろうが、そうじゃなくて、普段の仲間内の会話の中で、「それとって」「これなに?」ということにいちいち謝らなければならない理由なんか、彼らにはないはずだ。







(BGM:平幹二朗「周知の事実」fromYOUTUBE)
→歌劇的な歌がまあ素晴らしいけど、歌声はちょっとハリがなく、やる気はあまり感じられません。
「男は40から~」
男は年と共にモテる、という主張なんですけど、それはどうかな~。
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