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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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表現者として襟を正す


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ラッドなんとかというバンドが「HINOMARU」だとかいう曲を書いたとかで話題になっている。
そのバンドを俺は知らなかった。
どうも、けっこう人気のあるバンドのようだ。

こういうバンドがこうした戦意高揚の曲を書いて、なんたらのスポーツの国際大会なんかのテーマ曲になることが昨今続いてる。
椎名りんごさんの歌もそうだった。

ま、その後、その作詞をしたメンバーは、「軍歌のつもりはなかった」と弁解しているが、「この身体に流れゆくは/気高きこの御国の御霊、さぁいざゆかん/日出づる国の/御名の下に」という歌詞は、あまりといえばあまりである。


ダイナマイトの発明も、なにも「人を殺すためじゃなかった」と。
放射線もそうだ。
原子力が人を殺す、大量に、そして後世に残る障害をもたらすことを「想定してなかった」というのは、確かにそうかもしれない。
だって、そうした科学の発展は、確かに大量虐殺だけではなく、人類の発展にも寄与した。

でも、人を殺しもした。


そういうことを考えたとき、表現者はそこのところにもっと敏感じゃなきゃいけない。
この人は「軍歌のつもりではない」とは言うけど、戦争になったら、これはテーマ曲になる。
流行ってるバンド、若者がきいてるんだろう、そう考えたら、若者が戦場で敵に突撃する時に、みんなで歌うかもしれない。
特攻に、散りゆくことがはっきりしている時に、上官はこれを若者に歌わせるかもしれない。


昔、バンドを始めたころ、軍艦マーチをワンフレーズインストでインターナショナルにくっつけて演ったことがある。
インターナショナル、という歌が、確かに抵抗の歌であり、そこに軍艦マーチをくっつけることで、なんか多様な感じも出したかった。
そもそも、軍艦マーチは「ちんどんらしい楽曲」であったこともある。

けれど、日本が不穏になり、どうもこれは右傾化がすげくなってきた、となった時に、軍艦マーチをくっつけるのはやめた。
もうバランス云々ではない時代になった、と思ったからだ。
その数年後、安保法制は通り、共謀罪まで通り、どうにもならない世の中になった。
あとは、どこかで紛争が勃発すれば、アメリカの兵力として自衛隊が戦争できるようになった。

おそらく、もう二度と軍艦マーチはくっつけない。


表現することは、かならず自分の意図しない方向にそれが曲解されることがある。
取材が嫌いだ、というのも、そういうところもある(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4463.html)。
「利用される」ことがある。
しかも、最悪の方向に。

この作詞者は、その後の弁解めいたコメントで、争いは嫌いだ、戦争は嫌いだ、とはっきり言っている。
なのだからこそ、これが「利用されるかもしれない」と敏感に感じ取らなきゃいけなかった。

というか、これはあまりに戦時中の歌詞である。
どうとっても、これは「利用されるにきまってる」。

実際、「なんでこんないい曲に反発するんだ!」という筋違いの意見までネットには多くある。
つまり、もう利用され始めているのである。
「戦争を危惧する人たち」を駆逐するために、この歌が試金石のように使われてしまっている。


こんな簡単なことが「想像できなかった」とするのなら、やっぱりそれはいくら「戦争が嫌いだ」といっても通用しないんじゃないだろうか。
そもそも、歌詞を作るなんていうのは想像が成せる技で、この言葉を聞いた人が「どう感じるか」「どういう影響があるか」を想像することから始まるモノじゃないかと俺は思うのだ。
その中に、「この歌詞なら売れる」とかいうのももちろん含まれる。

いや、読み違えることはある。
想像だから。
でも、それにしても、この歌詞はあまりにどうだろう。

あまりに時代を読み違えてないだろうか。
そんな風に時代に敏感じゃない人たちが歌う歌が流行ってる、ってのも、なんか怖い。


いや、そりゃ軍歌を専門に作りたい、という人もいると思う。
それならまあ、それでいい。
そういう歌を作りたいんだから。
そう表現すればいい。
それには反論ができる。
ま、今のうちは。

けれども、「戦争はイヤだ」という表現者が、この言葉のチョイスはないンじゃないかと思う。
いや、これが「戦争はイヤだ」の人の言葉のチョイスで、それが「普通」なのだ、とするのなら、もうそりゃ逆に恐ろしい。
右傾化ここに極まる、って感じだよね…。


いや、恐らくこの人は,この曲が「売れる」と踏んだのだろう。
そして、この曲によって、多くの某かの今後の「売れる道筋」みたいなモノを「取り付けたかった」のだろう。
五輪のテーマ曲だったり、官営のイベントのテーマ曲になれば、そりゃテレビにも多く流れる。
誰だって、一発屋で終わりたくはない。
いや、彼らがどのくらい売れてるのかは知らないので、一発屋かどうかは知らないが。
いや、彼自身ではなく、それはバンドの維持のため、事務所の発展?のため、だったかもしれない。
それが、「戦争はイヤだ」をおそらく越えたんだろう。

ならば、「戦争はイヤです。そんなつもりで作ったんじゃない」なんて言わないで、「売れるために作りました」って言ってほしかった。
これを「戦争はイヤですな歌です」と、「売れてる人」が定義づけることが、果たしてどれだけ恐ろしいことにつながるか、つまり、「中央線」をそこに設定することがどういう結果をもたらすか、をもっと考えてほしかった。
この歌もアレだけど、同時にそれに対する弁解が、もっと状況を「戦争」の方向に持っていってる、ってことを、やっぱ考えてほしかった。
せめて、ノーコメントで押し通してほしかった。

いや、すべて前提は「戦争がイヤなのなら」ということですが。


ま、俺は聞かないよ。
でも、問題は,この曲が「利用される」ということであって、俺が聞く聞かない、誰が聞く聞かない、という話ではない。
これは、まあ「売れてる彼らだからこそ」「若者に人気がある彼らだからこそ」の部分なんだけど。

彼らが売れてなかったら、別にまあどうでもいいっちゃあ、いい。
利用する方も利用できないわけで。


売れることで、放送禁止と言われていた「よいとまけ」をテレビにのせた歌手もいる。
売れることで、そりゃ表現は自由になる。
けれども、一方で、自分の意思とは違う方向に使われる可能性は飛躍的に高くなる。
それを誰しもが望まない。
そこには想像力を働かせないと。


同じ歌を作る者として、表現を作る者として、いや、とても勉強になったというか、自分もしっかり考えなきゃいけないな、と思いました。






(BGM:河見史朗「牡鹿物語」fromYOUTUBE)
→いや、これいいよ。
途中の語りもいいし、牡鹿の悲しみを歌いあげるという趣旨がよくわからないところもいい。
こういう曲があるから、まだまだ昭和歌謡は奥が深い。
「牝鹿こいしと鳴く牡鹿…」
どこか早口言葉のようでもある。
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