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スーパーちんどん・さとう

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自分さえなんとかなればいい、という醜悪


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先日、仕事に行くための介助をお願いしたい、という人から相談があったそうで。
どうも、親御さんが連れて行ってるらしいんだけど、仕事中、といっても毎日じゃないみたいだけど、ずっと外で待ってて、トイレとかの時に介助をしてる、と。

ふむふむ。
そりゃ、なんか大変だ…。

大変だとは言っても、この「仕事に関すること」については、介助料は行政から出ない。
この辺、どういうことなのか、理屈がよくわからないけど、つまり仕事してる人に仕事を就けることはできない、ということなのか。
ま、そもそも「障害者は誰かに世話をされている」という前提だろうから、「仕事をするために世話をするくらいなら、世話しない」という感じか。

それにまあ、現実的にその辺の線引きが曖昧になって、介助者が仕事に口出すようになったらそれはそれで全然違うわけで。
それはその通りだと思う。

加納さんなんかも外に出て買い物しても病院に行っても、やっぱり相手は介助者に話しかけるそうだから、介助者>障害者、という認識なんだろう、世の中は。
この状況で、仕事に介助をつける、というのは、やっぱりちょっと理解が一気に拡がるようには思えない。


で、まあその人もそのことはよくわかっているようで、つまりは「自費で出します」と。
ふむ。
商売と考えれば、金がどこから出てこようがかまわない、という意見もありますわ。
けど、我々はなにも商売したいわけじゃないからな…。
金はすげえ欲しいけど…。

我々としては、運動としてやってるから、行政に認めさせなきゃ意味がない。
必要な介助、その人その人によって違うわけですよね。
障害の状況も、周囲の状況、家族の状況も違う。
そういう中で、それぞれの人が必要とする、「障害故にできない部分の介助」を保障させなきゃならない、と。
画一的に言われても困るし、「決まりですから」ってのも納得いかない。

そういう状態をまあ行政に一緒に訴えましょう、みたいな話をその人にはしたということなんだけど、まあそれにはあまりのってきてくれず…。
「金を出すからなんとか」という感じなのか。

まあでも、金を出すとしても、その先にあるのは、「今俺にはそれが必要なんだ」と訴えて、次の世代の人がそれを実現出来るように、今は整地をする的な気持ち、というか目論見というか、そういう部分がないとちょっと我々としてもその話にはなかなかのれない、ということにはなってしまう。


ま、つまりは、世の中、自分さえよければ、なんですよね。
自分さえ介助がうけられれば、余裕があるから、金を出してお願いしたい、となる。
それを昇華させて制度にしなければ、とか、そういう風に他人のことはあまりきっと考えてない。
例えば、「ヘルパーの資格取れます」ということでやってくる一般のみなさんも同じなんですよね。
そこになんの問題があるのか、これまで有資格ヘルパーにどういう扱いを受けてきて、それを跳ね返すために自薦制度を作らせた、とかいう歴史を考えもせず、とにかく「自分が資格取れればいい」という。

そして、それが大多数。
それが新自由主義を進めていて、結果、市民はそれによって首を絞められてしまう、という悪循環。
障害者運動、障害者の置かれている状況、なんてのも、その中ではもっとも矛盾の多い場所だから、この新自由主義、個人主義、自己責任論、について、もっと敏感でなければならないと思うわけなんですが。
矛盾が多い、というのは、ある意味社会の「炭鉱のカナリア」でなければならないのに。


そして、この大量に涌いてしまった「自分さえよければ」に対抗するのは難しい。
この人の「金は出すから」というのも、制度がない中では認め、それを制度にする運動の実践の一つとして考えるべきなのかもしれない。
トイレに行くのに金を払う、ということへの違和感は大きい。
でも、トイレに金を払っているからこそ、「なんでトイレに金を払わなければならないのか!」という運動にもなるとも言えるんだよね…。
だって、「金を払いません。トイレに行きません」というのは、そもそも話として成り立っていないし現実にはあり得ない。


やってることは同じでも、どこに向かうか、というのは重要で、それが「余裕がありますから払えますから」で止まってしまうのでは、歴史は一歩も進まない。
先人が必死になって発展させてきてくれた障害者運動に対して、それはとても失礼なのではないか、とも思うのだ。

といって、障害者に生まれたからといって、なぜそんなことを考えなきゃならんのだ?というのも当然一理あって。
でも、社会保障費が削られ、それを肯定する市民が多くなってるような、そんな状況であるい、ということくらいは、やっぱちょっと学ぶべきなんじゃないか、とか思ったり。

余裕がない人がなにもできない今の状況は、つまりは、次のターゲットは余裕のあるあなたですよ、って話なんだから。








(BGM:メタクソ団&うんこちゃん「我らが栄光のメタクソ団」fromYOUTUBE)
→トイレット博士のアレなんだろうか。
これね、いや、歌詞はあれですけど、結局はもうかっこいいラップっていうか、バカさはあまりないので残念です。
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