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スーパーちんどん・さとう

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弟の本心 (15日「施設について呑みながら話す会」の宣伝のつもりだったけど、これはどうか?)


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(創作です念為)


私の年子の弟は、生まれつき身体が弱かった。
毎月2回、遠くの病院に通って、その上毎週近くの病院にも通ってた。
弟は、その通院をいやがって、泣いて親を困らせていて、親も「帰りにデパートによって何か買ってやるから」なんて言って、だましだまし一緒に通ってた。

私は、そんな弟がうらやましく、いや、もう憎らしかったですね。
なんで弟には買ってやって、私には欲しいものも誕生日までがまんしろ、っていうのか。
でもまあ、親の苦労もわかっていたし、弟の身体のことも何となくはわかってたから、口には出しませんでしたけど。

弟は、一応、私と同じ小学校だったけど、ほぼ通えてはいませんでした。
調子がいい時だけ母親が一緒に学校に連れて行っていた、みたいな感じで。
それも、二年生までで、三年生からは、そういう子が入る施設に入りました。
そこでは、弟の部屋まで先生が来て勉強を教えてくれるらしくて。

でも、まあ弟は勉強をする気もないようでした。

弟がそこに入ってからも、毎週末は親はそこに行きました。
私は、最初は一緒に行っていたけど、行ってもやることないですから。
正直、弟のことは憎たらしかったし、弟の機嫌を取るような両親を見るのもイヤでした。
なんで、すぐに行かなくなりました。
家で留守番ですね。
家族で遊園地に行くとか、そういうのはなかったですね。

時に、調子がいい時だったのか、家に帰ってくることもありました。
でも、そうなると、弟の好物が食卓に上がるし、なんか私はなおさら憎たらしくて、すぐにごちそうさま!なんて言って自分の部屋に上がったりしてました。
弟は、なんかすごくわがままで、イヤなヤツだとずっと思ってました。

でも、ある日を境に、ちょっと見方が変わりました。
それは、彼が中学3年になった時。

ウチに帰って来ていた時に、「お姉ちゃん、ここ、教えてくれない?」と数学の教科書を持ってきたんです。
まあ、もうその頃は私も高校ですから、弟が憎い、という思いより、弟の将来ってどうなっちゃうんだろう、って思いの方が強くなってて。

弟は、勉強して、高校に行って、大学に行って、偉くなりたいんだ、といってました。
その時は、ちょっと身体も大きく、強くなってて。
でもまあ、客観的には、小学校高学年にしか見えない感じではあったんですが。
家族にしてみたら、なんかたくましくなったな、とか思ったり。

彼は、「今のところにずっといたくないから。訓練もやってるし、ここのところ風邪もひかないし、このままだったら、家に戻れるんじゃないか」って言ってました。
そして、近くの高校に通いたい、と。

なんか、小さい頃のわがままだった彼からは想像もできない言葉が出てきて、なんか勉強教えよう、教えたい、って思いましたね。

まあ、きっと親はそのまま施設にいて欲しかったんだと思うし、そういうの、弟もわかってたから、親には言えなかったんだと思う。
だから、まあ勉強で頑張って認めさせたい、って思ってたんじゃないかな。

それから、家に帰ってくるたびに、私も都合つけて、なるべく勉強を教えてあげるようにしてました。
なんか、やっぱ施設の中だと、勉強が進んでないんですよ。
特に英語や数学は中1からやり直す感じで。

で、共通模試みたいな、いわゆる業者のテストなんだけど、それが近くの高校であって。
それを受ける、と。
親も、弟の熱意に負けて、それはまあ認めたようで、施設に迎えに行って、テストを受けさせたんですよね。
そしたら、なかなかの成績で。
いや、なんかよかったな、って思ったんだけど。

今考えると、弟はとにかく施設を出たかったんだな。
施設にいて欲しい親に、どうやって納得させるか、の手段が勉強だったんだ。
「あそこには、話ができる友達がいない」
「俺は、居残り勉強とか、帰りに友達とどっか寄ったりさ、それで姉ちゃんみたいに怒られたり、そういうのがしたいんだよ」
弟はよくそんなことを言っていた。

そうだよな。
ずっと同じ部屋にいて、勉強を教わってたって、それをいつ活かすんだ?って思うよ、確かに。
テレビのドラマやバラエティに流れてくる「普通の」高校生の姿は、弟にとって目標だったんだな。

で、親もだんだん、施設を出てもいいんじゃないか?って方に傾いてきたの。
弟の身体の調子もよかったから。

その矢先ね。
きっと、勉強で夜寝なかったりもしたんだと思うんだ。
秋から冬に入る時に、風邪をひいちゃって。
そこから肺炎。
もう、動ける状態じゃなくなっちゃって。

高校行きの話はパーになった。
もちろん、施設を出る話も。

鼻にチューブを入れられてる弟を見たら、私、泣けてきちゃって。
弟も私を見るなり泣いてた。

それから弟は回復はしたんだけど、もう「施設を出たい」とは言わなくなった。
勉強教えて、とも。

私はそれでも「まだ望みはあるから」って、別棟にある施設内の高校も薦めたんだけど、弟はもう魂が抜けちゃったみたいになって。
「イイよ、義務教育終わったし」なんていうばかりで…。

弟は、本は好きだったから、本はたくさん読んでいた。
推理小説から、エッセイみたいなものまで。
「小説書いてみたら?」なんて言ったこともあったけど、弟は、「だって、どっかに一緒に遊びい行く友達もいない人間に、なにが書ける?想像で書いたって、小説にはならないよ」とか言われちゃって。
もうなんか次の言葉が浮かばなくて。

そうだよな。
弟は恋も知らない。
ままごとみたいな小説を書いたところで、弟は納得しないだろう。

私もどうしたらいいかわからなかったけど、施設の人はとても優しかったように見えたし、弟にもいろいろ話しかけたりしてくれてるようだった。
弟は友達はいない、とは言ったけど、弟に話しかけてくる同じ年代の子はいたんだよね。
だから、この中で、彼なりに精一杯人生を楽しんで欲しいと思っていたんだけど。
いろいろ施設の中でイベントとかもやってたみたいだし。
どこまで弟が参加してたかはわからないけど。

私は、高校を出てすぐに働きに出てたの。
車の免許も取りたかったし、早く大人になって、とにかく経済的に安定したかった。
そしたら、弟もなんとかなるんじゃないかって思ったりも、ちょっとだけあったと思う。

で、20歳の時、運命の人に出会ったんだ。
その相手には、弟のこともきちんと話して。
そしたら、一緒に会いに行こう、って。
僕も話し相手になりたい、って言ってくれて。
弟のところにもけっこう一緒に通った。
好きなアニメが重なっていたこともあって、弟も彼を気に入ってくれたらしくて、話が弾んでいるようで、私はとても嬉しかった。

「姉ちゃん、結婚するなら彼だよ。逃がすなよ。よかったね。いい人で」
帰り際、そう言った弟の言葉が、最後になった。

その翌朝、弟はベットで冷たくなっていた。
連絡を受けて、すぐに向かったけど、弟の顔には白い布がかけられていた。
おそらく、夜中に痰が詰まって呼吸ができなくなったんだろう、って施設の職員は言っていた。

家に連れて帰りたい、という両親の意向で、弟は家に戻った。
家の布団に寝せて、「おかえり」と両親は言って泣いた。
私も彼も泣いた。
葬式と言っても、参列してくれる弟の友達はいない。
家族で送ろう、ということになった。
それがまた、悲しかった。

弟にすがるように母親が泣きながら言った。
「ごめんね。丈夫な身体に産んでやれなくて」
「あのとき、ディズニーランド、連れてってやればよかった」
「あのとき、せめて高校に行かせてやればよかった」
「ごめんね、ごめんね…」
取り返すことのできない後悔を、弟の前で両親は懺悔するように何度も何度も繰り返していた。

夜になってもそれは続き、私は、両親をちょっと元気づけなきゃいけないな、と思って、「でも、弟だってきっと…」と言いかけた時、「がたん」と音がした。
みんなが振り返ると、その部屋に飾ってあった花瓶が落ちていた。
気を取り直して「お母さん、元気ださなきゃ。弟もきっと…」というと、また「がたん」。
今度は食卓の上にあった醤油差しが倒れた。
「お父さんも、元気出して。弟だってきっと…」というと、家電が鳴った。
お父さんもお母さんも出れる感じじゃなかったから、話をそこで止めて私が出た。
受話器の向こうでは風が吹いていた。
もしもし?って何度か呼びかけたけど、風の音が10秒くらい続いて切れた。

その時、弟は、私のその先の台詞を言わせたくないんだ、と私は思った。
この風の音は、そう私に言ってるように思えたのだ。


施設での最後、君は、大人だったね。
お父さん、お母さんを、そして私のことも、これ以上苦しませたくなかったんだね。

でも、ずっとずっと、すっと悔しかったんだね。

もっと友達、作りたかったね。
バカなことやって、怒られたかったよね。

最後のわがまま、聞くよ。
その先は言わないよ。








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げすいい

(BGM:ジェニーハイ「ジェニーハイのテーマ」fromYOUTUBE)
→これさ、あの新垣隆さん、あのゴーストだった人。
「俺はもうゴーストじゃない」
いや、カッコイイな。
その後、ちょっと嫌いな座長とか言う芸人さんが出てきて残念。
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