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「21世紀オカルト・エンターテイメント戦記」という、「緊急検証ザ・ムービー」の公式読本(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4706.html)をアオテツに借りて読んでみましたけれども。
ま、映画の中で語られていたインタビューとかもこの中から抜いたモノなのかな。

森達也さんがインタビューに答えているんですけど、これがなかなか興味深い。
映画の中ではごく一部だったんだけども。

森達也さんと言えば、Aですね(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2720.html)。
オウムに密着した人だからこそのオカルトの風景が読めるかと思ったんですが、いや、けっこうこれが普通の感じの話だったのが、なんかすごく興味深かったんですね。


オウムと言えばオカルト天国。
オカルトが産んだ、とまで言われていた。
だからテレビは一斉にオカルトを駆逐したわけですが。

でもまあ、それ、やっぱ虚像なんだよね。

世の中って、どっか原因を見つけ出して、わかったような気になっちゃう。
で、その原因ってのは、けっこう何でもよくて。
「なんで中の人になったのか?」という原因は、外の人にはおそらくわからない。
けれども、外の人は「なんで中の人になったのか?」という原因を外の人で共有したい。
それが中の人と共有出来ないものだったとして、でも、それを見つけ、外の人と共有することで、物語を決着させる。

けっこう、外の人にとっては「中の人になった原因」は凡庸で、「それじゃ面白くない」ってドキュメンタリーを書き換える。
そんなことって、けっこう多いと思いませんか。

なぜ、あなたはサラリーマンなんですか?なんて、たいした答えはきっとないでしょ。
でも、同じように人間国宝に弟子入りするんだって、大した答えはないんですよ、きっと。
人と違うことをしてると、「何かあるんじゃないか」って思われがちなんだけど、それってけっこう「外の人の幻想」で、あまり面白い話にならないことの方が多いような気がする。
「いや、それしかなかったし」とか、「たまたま出会ったんで」とか、「好きだったんで」「他になかったし」くらいのことで、けっこう収まっちゃうというか。

外の人が感嘆するような「なぜ中の人になったのか」を語る人がもしもいたとしたら、まあ、そういうドラマチックな人もいるにはいるでしょうが、たいがいはそれは教祖か、それで一儲けしようとしてる人だと思います。

そう仮定しますと、オウムの信者のみなさんの「なぜ中の人になったのか」という理由は大したことではなく、それは教訓にもならないし、役に立たないんだよな…。


森さんによれば、信者の方と食事をしていて、「たくさんの非常食がありますね」と尋ねると、1999年の地球滅亡、つまりノストラダムスの大予言のために非常食を用意したが、滅亡しなかったので、「まあ必要なくなっちゃったんですよね、だからまあ食べちゃいましょう」みたいな感じで、実にさばさばしていたとか。

本気でオカルトに傾倒していたとしたら、滅亡しなかったわけだから、もうちょっと違う反応を期待したいところですが、まあ我々とそう変わらない。
まあ、非常食を用意していた、というのは我々とは違うけど、実際に来なかった、となった時の反応は、そこそこ正常に見える。

ま、つまり彼らはオカルトを利用はしていただろうが、実際中の人は信じてはいなかったのではないか?みたいなことも成り立つ。
「オカルトの悪用」である。

となると、オカルトを信じやすい、のは外の人こそ、という気がします。
つまりは「外の人がオカルトを信じやすい」ことが、中の人を作った、ということも言えるわけで、それは中の人に理由があるのではなく、外の人にこそ理由があった、ということになる。
外の人が「中の人になった原因」を中の人に求めていること自体が滑稽な話で、あんたたち自身だよ、という。

で、その外の人は「オカルトがオウムを作った」ということを信じてしまう、という。
何でも信じちゃうのかよ、という感じすらしてきますね。


ま、オウムの中の人たちがけっこう普通、ということを盾に、彼らに罪はない、とか言う気はないんですよ。
逆に、犯罪者だって我々とそう変わらない、一歩だけ道を踏み外すか外さないか、という違い、というか。
そういうことだと思うんです。
その一歩、を突き詰めていくことはすごく大事なことという気がしますが、それは恐らくかなりパーソナルな原因で、普遍化するのは難しいのかもしれないよな、とか。

それをオカルトをテレビで禁止して対策の一つ、みたいにしている状況は、ちょっとおかしな感じですわ。
悪用されるから禁止、っていうんだったら、もっと禁止しなきゃいけないモノはたくさんありますわ。


ま、そんなわけで、それはそうとして、この本が訴えてくるのは「オカルトを楽しもう」という思いだ。

そうだよね、オカルトがない世の中、オカルトが禁じられる世の中、オカルトが禁忌される世の中は、ちょっと不自由だ。
だって、それって「ハミ出し者を認めない社会」みたいな感じじゃないか。
オカルトを信じる人たちを馬鹿にし、追い出すような。

まるで破防法まで作ってオウムを追い出すような。


宇宙人はいる、いない、幽霊はいるいない、その辺って結局は我々人間の生き方に大きく影響しますからね。
人間とは何か、を根本から書き変える可能性がある。

だからこそ人を惹きつけるし、夢がある。
そういうモノを社会から除外するような動きってのは、社会をどんどん窮屈にしますわ。
そういうオカルトを適度に楽しもう、というのはなんか余裕がある社会、って気がします。

ま、正直やっぱ宇宙人は日本には来てないんですよ。
だけど、「もし来てたら」と考えることって、とても魅力的で、なにか閉塞したくさくさした自分の気持ちすらもしかしたら軽くするものになるかもしれない。

そう考えると、オカルトを禁止するような世の中より、オカルトを楽しもう、という方が健全じゃないか、と。


というわけで、まあとりとめのない話になってしまいましたが、徹底検証シリーズを見るためにファミ劇が見れる環境を整えようかと思う今日この頃です。
オカルトエンターテイメント、いいじゃないですか。
俺はこの方向好きです。








sennkyoshou.jpg

(BGM:The Metroschifter「L 182 / Persona」from「Doghouse Sixty [Doghouse]」)
→これ、アタマにクラシック、前奏から曲に入るところもドラマチック、途中、雰囲気がガラガラ変わるし、なんだかすげえカッコいい。
こういう構成を考えられるというのはセンスしか感じない。
すげえ人たちってのは数限りなくいるものであります。
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