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スーパーちんどん・さとう

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虹の会30年分の大反省


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機関紙先号に虹の会役員会名義で書いたモノを転載します。


タイトル

「虹の会30年分の大反省
分断を越えて真の介助保障を求めよう
~自薦方式がもたらしたものを検証する 虹の会役員会」


リード

総会で、「介護人派遣事業の問題点」というようなイベントをしました。
タイトルとしては「30年分の大反省」というような。
まあ、つまり当時の介護人派遣事業の導入にさいして、それを支持する動きを結果的にしてしまったことに対する反省、です。
30年、それを放置してきたわけではないですが、大きな勢力に負けてしまったというか、大きな流れの中で結果、大問題が発生している気がしています。
(文・虹の会役員会)


本文

【虹の会の本分と80年代】

虹の会は、「誰がどんな状況におかれても地域で暮らす」ということを掲げています。
つまり、誰がどんな状況、例えば障害者として産まれて来たとしても、自由に生きる場所、ライフスタイルが選べるべきである、ということです。
そして、それを基本的人権、生存権の問題と捉え、誰しもがその権利を有し、保障する義務は国、自治体にある、ということを主張してきました。

虹の会は、故福嶋あき江初代会長(筋ジス)が、浦和で一人暮らしをする、ということから始まっています。
当時、長期入院していた千葉の病院を出て、一年間渡米。
アメリカ、バークレーの自立生活運動を見聞きし、それを日本で実践する、というのが始まりでした。

ところが、日本では当時、介助者、つまりは日本ではヘルパーとか言われますが、家庭奉仕員制度、という形でしか位置づけられていませんでした。
家庭に奉仕する人、です。
つまりはお手伝い程度で、聞けば傷痍軍人の家庭への奉仕、ということから始まったと聞いています。
まだ、その流れの中に日本はあったわけです。

週3回18時間を上限、という形でしか派遣はされませんから、実際にはもっと少ない。
週2回3時間程度とかの感じだったか、まあいろいろでしょうけど、少なくとも上限いっぱい派遣されている人を私は知りません。

当時、その家庭奉仕員さんは、福祉課のカウンターの向こうにいました。
正職だったのかどうかはわかりませんが、非正規雇用というものがなかった時代ですから、どういう契約かはわかりませんが、市の職員ではあったのだと思います。


【介護人派遣事業への転換】

福嶋さん没後、今の会長、工藤さん(筋ジス)が同じように浦和に出てきて生活をはじめることになりました。
工藤さんは男性で、当時のヘルパーさんはほぼ全てが女性といっていい状況でしたから、実際にヘルパーをお願いすることが出来ませんでした。
同時に、松沢現副会長は言語障害もあり、なかなか介助の内容をヘルパーに伝えるのが困難な状況にありました。

その中、実際には学生などのボランティアで介助を回していました。
そうやって続けていく中で、松沢の言語障害もいともたやすく理解できる人も出てきます。
松沢の言語障害がなくなったとかじゃなく、言葉のやりとりというのは、やっぱり、毎週とか一緒にいることで、通じるようになってくるものなのです。

こうなると、実際に来るヘルパーよりも、「このボランティアの方がずっと役に立つ」という現象が起きてきます。
工藤さんにしてみれば、男性がいない、という状況の中、ヘルパーは使えないけど、今のボランティアは男性なわけで、使えるわけです。

時ちょうど、ヘルパーが民間委託されはじめ、回数こそ増えたものの、時間がぶつ切れ、誰が来るかわからない、という状況の中、我々は「このボランティアをヘルパーとして派遣してくれ」という風に要求をすることにしました。
浦和市では「外出介護人派遣事業」というのが始まっており、そちらの方は利用者サイドが推薦した人をヘルパーとして登録することが可能だったこともあり、家庭内のことについてもその方式にスライドしろ、という内容です。

これは「松沢方式」として市に認めさせることができました。
一年ほど、このことは市との協議で秘していましたが、その後、広く認められるようになりました。

ここがまず我々が反省すべき点(※①)だったのではないかというところです。
後述します。


【ヘルパー委託】

そして、その割合が増えていくにしたがって、市としても我々の要求を何らかの形で認めよう、ということだったのだと思いますが、いろいろと新事業を展開していきました。
試験的に夜の巡回ヘルパー派遣などもあったと記憶しています。
ただ、なんにしても男性がいない、松沢の言葉を解するだけで時間がいっぱいになってしまう、という点は解決されませんでした。
ボランティアであれば一人で風呂介助も可能なのに、二人で来ないと筋力的に無理だ、だからという理由で断られる、というようなこともありました。

そして、時代はNPO法人にもヘルパー受託を可能にする、というところに来ていました。
これは、全国的な流れでありました。
我々のような団体が集まった全国組織JILなどが、それを推奨したわけです。
つまり、各々の団体が事業体となって、自分たちにヘルパーを派遣する、ということです。

これは一見、とてもいい形に見えます。
つまり、自分のニーズに合った人、例えば男性とか言葉を解してくれるとか、を、自分のところに派遣できるわけですから。
それまではほとんどヘルパーが派遣されず、しかし一人暮らししている人たちというのは、実際には我々のようにボランティアを募集して、なんとかやりくりしていたわけです。
そのボランティアをそのままヘルパーとして使えれば、その人たちにも給料が出せる、つまり障害者側としては介助が得られ、生活が安定する、ということです。

我々は、実際、ここではかなり抵抗しました。
というのも、受託されれば、資格の問題が出てくるからです。
介助者の資格、という問題です(※②)。
これについても後述します。

しかし、実際にその当時受託しているヘルパーでは対応できない、なんとかならないか、という非公式な協議の中で、委託を受けることにしました。
そのために、NPOを立ち上げるという、めんどうなこともついてきてしまいました。

こうやって、我々は表向き「ヘルパー派遣事業所」になってしまいました。
しかし、果たしてこれは我々がやりたかったコトなのか?というと、まったく違うんです。

だって、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」ことが目的だったのに、今そのライフスタイルを選択できる権利を、委託事業所として保障しなくてはならなくなったのですから、話が逆転してしまったとも言えます。


【時間数ではなく、金額の問題】

それまで、介護人派遣事業として何時間保障されるか?ということを我々は目標の数字としてあげてきました。
そもそも、週3回18時間、というのがありましたから、それを外出介護人派遣事業で何時間上乗せするのか?そして、松沢方式で何時間?というように。
深夜の寝返りなどまで認めさせるのは大変時間がかかりましたが、当時から浦和は日本で一番の時間数を出していたと思います。
それはまあ、かなり先鋭的な交渉を展開していたので、まあそうなったのだと思います。

しかし、委託されて痛感するのは、そもそも金の問題なんですね。
今の「介護する人が不足している」という昨今の中で、ヘルパーを募集しなければならない、というのは、結局金なんですから。
時間単位あたりの金の問題。
もちろんそれは当時からも訴えていた事項ではありますが、福祉予算が切り捨てられる中、また介護保険がスタートし、それにあわせる形で当初の金額は切り下げられる事態になっています。

金がふんだんにあれば、応募など簡単にあるでしょう。
しかし、介助、介護は大変、しかも薄給、というのが現状で、そこにわざわざ応募する人がいるでしょうか?
少なくとも、薄給の方は金さえつぎ込めば解決します。

そもそもは、ボランティアで始まったわけですから、ボランティアがいるだろう、という意見もありましょうが、今の学生はとにかく忙しい。
学費が上がったこともあり、昔のように遊んでいる学生などいません。
簡単にボランティアはつかまらなくなりました。

福祉の現場から、金がなくなっていくのと共に人もいなくなった、そんな感じです。


【権利からサービスへ】

我々が委託に否定的だったこと、それに対して市が折れたこと、などの「内容」について、市の担当者が変わると共に、薄れていってしまいます。
他の事業所と同じように扱われるはずじゃなかったのに、そういうあつかいをされてしまうとしたら、「約束が違う」ということになるんだけど、非公式協議の中で意思疎通されたものを文書化していない以上、それは通らない。
非公式とはそういうことではあります。
しかし、まあ伝説のようになっている話は受け継がれてはいて、担当が変わるたびに話をしていくしかない状況になってはいます。

我々は、別に事業体を運営したいわけではない。
だから、いつでもやめる。
ただ、「その後の毎日の生活の保障はあなた方がやってください」とは言い続けてはいたんだけど、一方で大きな流れとして、福祉が「サービス」になった、ということが出てきました。

福祉とは権利であって、行政にとっては義務のはずが、介護保険の導入と共に、そもそもが「サービスである」というような理解が一般的に広がってしまいました。
福祉八法の改正で、福祉産業を認める流れになった結果、これはおそらく行政としては狙っていた流れなのでしょう。

サービスを提供する事業所、サービスを受ける人、という風に表現することで、権利と義務の関係は薄れていきます。
介助を受けることがまるでサービスを受けるかのように思われてしまっている。

そうじゃない。
生きていくために必要な介助を派遣しろ、というコトだったはず。
その権利はこちらにあり、義務は行政にあったはず。
福祉という言葉をサービスに置き換えるという愚行が今の日本に蔓延しているのです。


【福祉の産業化と資格ビジネス】

※②についてです。
委託をされてヘルパーを派遣するとなると、それまでやっていたボランティアではダメだ、という話になりました。
つまり、「資格を取れ」ということですね。

しかし、我々が松沢方式で主張してきたのは、「今のボランティアの方が使える」という一点でした。
そのボランティアには資格がなかったとして、彼を使うということを認めろ、という話だったはず。
にもかかわらず、委託になったら資格を取れ、とはどういうことでしょうか?

全国の多くの我々のような団体が簡単にこれを受け入れました。
我々は抵抗を続けていますが、つまり、我々が最初に言いたかったことは、これは全国の団体も同じだと思いますが、「その介助者の資格は使う障害者自身が決める」ということだったのではないでしょうか。
国が決める資格ではないのではないか?

そもそも、「国が決めた資格を持ったヘルパーが使えないじゃないか!」ということから始まったんじゃないですか。
その一点が崩れてしまうと、「推薦登録」という最初の一歩の話が違ってきます。

これは福祉が産業化していく中で、「資格ビジネス」に利権を与えるための一つの方策だったのでしょう。
そうすることで、企業が参入しやすくする、という面があったのだと思います。

こうした利権を我々が認めてしまっていいのでしょうか?
福祉をクイモノにしている、ともいえるのではないでしょうか?

そもそもは、その資格を我々の手に、と言っていたはずじゃないですか?


【自分で介助者を見つけなければならないのか?】

※①についてです。
当時ボランティアでやってくれてた人をそのままお金を払って定着させよう、というのは、間違ってはいなかったと思います。
しかし、その人が何らかの都合でやめた場合、新しい人を募集しなければならない。
その労苦というのは、まだこの松沢方式の頃は軽かったのです。

けれど、この介助(介護)する人不足、という大きな波は、我々をも飲み込んでいます。
先に書いたように、薄給・重労働、ということがあると思います。
なかなか募集をかけてもこない。
そういう状況が続いています。

これは全国的な流れですから、国や行政が義務者としてすべきことは、いますぐ単価をあげることです。
そうすれば、これはある程度解決していくと思います。
しかし、消費税を福祉に、といいながら実際は福祉は切り捨てられている昨今です。

このことに抵抗する全国的な大運動を我々は作っていかなければなりません。


【我々は分断に利用されてしまったのではないか】

先に書いたように、単価を上げることは急務です。
それによって、変わる部分は多くあります。
しかし、それがなかなか運動になりにくくなってしまっています。

というのは、利用者である障害者が運営側になることで、介助をする側の労働者との間に、対立関係が産まれてしまったからです。
労働者と使用者、これは資本主義の論理として、構造的に対立する関係です。

昔なら、ボランティアの時代なら、多くのボランティアも一緒に立ち上がることができました。
しかし、そもそも労働者は使用者に使われているわけですから、賃上げ要求は使用者に向かいます。
そうなると、使用者としては同じ金額の中で、どうやりくりするか、みたいな話になってしまう。
本来は、社会福祉に回す分を増やせ!という話だったのが、なかなか労働者と使用者がその枠を越えて声を上げることが難しくなってしまう。

介護人派遣事業が、浦和市で言えば松沢方式が始まった時点から、この矛盾を内包していたといえます。

行政側としたら、当時、大きくなっていきつつあった介助保障要求運動をなんとかして小さくしたい。
そのためには、民営化ならぬ、企業を参入させることで、一直線に行政に向かっていた運動を、労使対立にすり替え分散させたい、という目論見もあったのではないか?と今になって思います。

このことこそが、我々としては大反省しなければならない点だと思っています。

障害者運動を進めるために存在する我々は、社会を変える、障害者だって地域で生きられる社会にしよう、と大きな運動を作っていかなければならないはず。
しかし、その運動によって得られた成果によって、分断をすすめる結果になってしまったのではないか?

これは、大きな反省点です。


【これからのこと】

我々は、もう一度、介助者と向き合って、一緒に大きな運動を作る礎を築かなければならないと思います。
分断させられている場合ではないのです。

介助者の不足は、全国規模であり、現状の介助者も疲弊しています。
そして薄給。
多くの人が現場を離れ、介護保険においても介護者が派遣されず、介護離職などという事態に陥ってる人も多いと言います。
一方、政府は自助を叫びはじめ、介助が我々の権利であり、行政の義務であることを放棄し始めています。

これは、近代国家としてかなり末期的です。
生活保護受給者が貶められ、しかも生活保護ラインに届かない収入の人が増えている。
日本で生保の補足率が抜群に低いのは、この「福祉を受けることが恥」という「日本人の体質」もあると思いますが、それを加速する世論が形成されてもいます。

相模原では障害者の大量虐殺が行われ、それについて首相はコメントすらしない。
自分の名前を出された犯人の手紙まで発見されてなお、非難の言葉すらない。

この状況は、障害者を抹殺しようという流れだと思うのは大げさでしょうか。
これでは、「誰がどんな状況におかれてもライフスタイルを選択できる」などというのはなお遠くなってしまいます。

今、もっと声を大きくしなければ、障害者はおろか、高齢者、社会的弱者、貧困の問題、そうしたことが、どんどん見捨てられていくのではないでしょうか。

分断されている場合ではないのです。
まず、身近なところから、我々は分断に抵抗し、もっと先を見据えて進みたいと思います。


【補足】

*介護人派遣事業を悪者のように書いたきらいもありますが、これによって多くの障害者が施設を出ることが出来た、親の死後に施設に入らないライフスタイルを選択することが出来た、といういい面はたくさんあります。

*全国組織JILからは、我々は脱退しています。数年前、上記のような内容の質問状に回答がなかったためです。

*近年では、民営化の流れの中、そもそも「障害者自立生活運動」(我々は自立、という言葉は使いませんが、全国的にはそう言われている)が崩壊しつつある、という意見もあります。
こうなると、利用者は利用者でしかなくなり、そのニーズは運営者(企業)に向かい、という形で、介助者の育成や募集についてが「企業努力」という名の下に押し込められ、「介助保障は我々の権利である」という大原則が、資本論理に取り込まれることになります。
それが行政の福祉切り捨ての結果だとしても、企業は介助者を疲弊させることで、例えばブラック化することで乗り越えるしかなくなります。
それは我々が望む形ではありませんし、そもそも「介助」は生活上、なければ死ぬ、という類いのモノであり、商取引される類いのモノではありません。

おわり





sennkyoshou.jpg

(BGM:Culture Beat「Under Pressure」from「Queen Dance Traxx Ⅰ」)
→ボヘミアンラプソディーよりこっち、クイーンブームですけど、このコンピはけっこう前に出たモノではなかったか。
これなあ、ワンコードで押し切ってくれたらなんかかっこよかったのにな。
なんだかんだもうリミックスなんだから、そのくらいメチャクチャにしてほしい気もするのであった。
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