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スーパーちんどん・さとう

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選挙の投票率が低いというのは、まあ民度が低いって話なんで、恥ずかしいよなあと思うんですけど。
大人として、「選挙に行かない」という判断をよくできるな、とか思います。
親じゃないにしても、未来の子どものため、というか、そういう行動が出来ないというのは、ちょっと哀しいモノがあります。

まあ、実際今や一億総貧困ですから、「自分のことで精一杯」という人もいるだろうけど、確かにもう中年になったら奨学金のことは関係ないかもしれないけど、「同じような苦労はさせたくない」とか、そういう気持ちになってくれたらいいなあ、と思うんですが。


先日、ネットのニュースで、性教育のことが書いてあるのがあって。
フィンランドの性教育について、学校でこんな風に教えているというのである。

「性暴力は、自分の意思に反して起こる性的な行為である。例えば、性的なほのめかし、中傷、触ること、誘導すること、圧力をかけること、強制すること等で、対面で、或いは携帯やインターネットなどを通じて起きる。それを我慢したり、受け入れたり、それに従ったりする必要はない。中学2年生の男子の5分の1、女子の4分の1が、こうしたことを経験している」

「性暴力は、知り合いから受けるケースが多い。隣人、交際相手、同級生、友人、親戚、新しい知り合い。加害者が知人であり、時には愛する人であるということが、他人にそれを話しにくくし、時には恥ずかしいとさえ思わせてしまう。被害者は、たまたま起きてしまっただけだとか、誤解だったとか、自分が悪かったとか考えてしまう。起きた事を忘れ、まるで何もなかったかのように思いたくなる」

「もし、被害にあった場合は、一人にならず助けを求めなさい」

「薬物を使って眠らされ、抵抗力をなくした人に対する性的侵害は、犯罪である。たとえば、触ること、写真を撮ることは禁止されている」

「外見から、性暴力をふるう人を見分けることはできない。美貌、裕福、人気者、頭脳明晰、若い人かもしれない。(略)性暴力は、表に出にくい犯罪である。警察に通報されるのは、実際の行為のごく一部にすぎない。行為について警察に通報したくない、する勇気がない、できない等と感じやすい。それは、若い人にとって性暴力が理解を超える経験で、それが犯罪であると理解していないからである」

「信頼できる人に話す。助けを求める。一人で抱え込まない。警察に通報する。72時間以内に起きた場合はシャワーを浴びたり、服を着替えたりしない。着替えた場合は、警察の捜査のために洗濯しないでおく」


特に最後の部分は、捜査のための心構えである。
日本では、避妊すら教えない、という感じもあるから隔世の感がある。

で、この記事はこうまとめていた。

 社会の、あるいは人間の暗部について教えることを日本の教育は嫌う。しかし、子どもを狙った性犯罪は日本でも数多く発生しているのは周知の事実。毎年千人前後の13歳未満の子どもが強制わいせつの被害に遭っている。これはあくまでも警察が把握している人数なので、実際にはその何倍もいると見ていい。


これ、なんだか日本って「大人の起こす犯罪に対して、大人が隠している」という感じがしたんです。
逆に、「そういうバカな大人がいる」ということを、もっと我々は子どもに教えていいのではないだろうか。
そうすることによって、「バカなことをする大人」をきちんと追い詰めることが出来るような気がして。
逆に言えば、今の日本はそうした「バカなことをする大人」を容認してしまってるのではないか?

近親者や友人から性的な何かを受けたとして、そういう大人をぶっ飛ばす大人がいなかったら、やっぱり子どもは絶望してしまうような気がして。


先に書いたフィンランドの子どもに対する教科書の内容には、どこか「大人の決意」のようなモノが感じられるな、俺には。
一方、日本の「避妊を教える必要はない」というのは、どこか「大人の決意」を放棄しているように感じる。
だって、実際に被害に遭ってる子どもがいるんだから、それでも性のことについてちゃんと伝えないというのは、どっか「臭い物にふた」で、ほっておいているだけじゃないか、と思うわけです。


なんか、日本の大人は幼稚だって気がするんです。
どっか毅然としてない、というか。
モノを言わないことが処世術、みたいな感じになっちゃってるというか。

もちろん、それでも空気を読まずに自分の言いたいコトを言ってる人もいると思うけど、そうじゃない人が多い、というか。
「大勢の中の一人」であることが大義、というか。

で、自分の子どもが被害に遭ったりして、そこで気づいて行動を起こしたりして、でもそれがなんか叩かれたりして。
出る杭は打たれる、みたいな。


横並び、ってのは為政者にとって都合がいいだけで、他にはいいことないですよね。
子どもだって絶望する。
被害に遭った、というだけで、横並びから外れるから、被害に遭った子を責めちゃったりする結果になっちゃいますよね、これ。

ま、結局こうなっちゃうと、「なにもしない方がイイ」ってことになって、でもなにもしないのはつらいですから、ネットに匿名でバカなこと書き込んだりしちゃうわけでしょ。
悪循環ですよね、こんなの。

きちんと教育が行われていたら、被害者が叩かれるようなことも少なくなるような気がするし、そもそも、そんな被害者を叩く側を叩く風潮がもっときちんと産まれるような気がする。


つまり、自分の意思や信念によって、自分で行動を起こそう、ということなんですけど。
その姿を子どもたちに見せよう、という。

んなわけで、まず選挙に行って、自分の意見を社会にぶつける姿を子どもたちに見せましょうよ、と俺は思います。








tanndokuchuu.jpg

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(BGM:鹿島とも子「走れニコ」from「Soft rock Hippies」)
→このアルバムはすごくカッコイイので、昭和歌謡を見直すためにもぜひ聞いていただきたい。
今でも通用するでしょ、この感じ。
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