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スーパーちんどん・さとう

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それは大人ではない


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学習性無力感という言葉があるそうで。

「どうせ自分は努力したところで上手くいかない」とか「自分が何かをしても何も変わらない」みたいな感情。
まあ、それは誰しもあるかとは思うけど、んで、結果「何も行動しなくなっちゃう」と。
結果、そりゃ行動しないからどうにもならないわけで、「ほらね、やっぱ無駄だったじゃん」みたいな形で「達観」みたいな感じになっちゃう。

まあ、毎度毎度努力をしても前に進まない、みたいな場合、そりゃそうなっても仕方ない気もします。

どうしてそういう思考パターンになるか。
小さい頃に親に抑圧された、教師に…、まあいろいろあるだろうことは想像に難くない。
が、小さい頃は特にそんなことなかったのに、社会に出て会社で何を努力しても認められない、体を壊しても自己責任にされる、みたいな環境に置かれたら、まあ最初は「おかしい」とは思うでしょうが、その行動すら潰されてしまえば、そのうちそれは「どうせ」に変化してしまうだろうな。
いや、「おかしい」とは思いながらも、「でもどうせ…」になっちゃうんだろうな。

自らに確実に不利益が降りかかってるにもかかわらず、それをおかしいとは一応思いながらも、「行動を起こせない」というのは、やっぱちょっと苦しい。

で、ちょっと考えてみたらば、多くの人、俺の世代から下とか若い人にそういう人の中に当てはまる感じの人が多いような気がしてきた。
異議があっても言わない。
そして、異議を唱える人はうっとおしい。
でも、陰では不平や不満を言ってる、みたいな。

異議を表立って言う気力がなくなっちゃったんだな。
そう考えると、なんかいろいろ合点がいくような気がした。

イジメだったりがあると、やっぱそりゃ「どうせ何やってもいじめられる」となるのは当然だろうし、見て見ぬふりをしなければ、次に自分にイジメの矛先が向く。
そんな汲汲とした十代を送っていたなんて考えると、そりゃもう「何をやっても無駄」って思っちゃうよな…。
んで、非正規で雇用されて、雇い止めにあっても自分の力ではどうにもならない。
契約切れのたびに、次の仕事が見つかるかどうか、つまり食い扶持を確保できるかどうかにおびえる。
上司に文句を言えばすぐに切られてしまうから、不利益があろうが訴えることなどできない。

そんな生活を繰り返していたら、そりゃやっぱ無気力になるよな。
「どうせ何やっても無駄」って。
非正規が蔓延したのは政治の問題なんだけど、自分が非正規で辛い思いをしていても、その政治を変えよう、とは思えなくなる。
自分では投票にも行かないのに、選挙の結果を見て、「ほらやっぱりね」とつぶやく。

そして、変えよう、とする人はうっとおしくもなる。
「無駄なのに、なにやってんのよ」って。

多くの人がそうなっていくことで、それが「大人」であるかのような錯覚も社会には生まれる。
「どうせ変えられない」が、「変わらない社会に従って不利益を被りながら生きていくのが大人」という風に変換されていく。

社長に無理を言われようが、得意先に無茶な要求をされようが、「それはいくら何でも無理」と言って行動を起こすことはしない。
どうせ無理なんだから。
何も変わらないんだから。

だから、その無理を必死にこなすのが大人なんだよ。
大人は辛いんだよ、と。
無気力にならず、一生懸命やってる人を「おまえら甘い」とか言うようになる。
よくデモを、「暇があっていいですね」なんて揶揄する人がいるけれど、そういう感じか。
ツイッターに書き込む気力くらいはあるのかもしれない。
というか、あれは匿名だから、自分が言ってるのでもないのだろう。

日本の子どもは自己肯定感が低い、といわれるけど、それとこの学習性無力症は無関係ではあるまい。
子どもの頃から、自分には何もできない、と教育されてきているのかもしれない。
そういう社会になってしまっているのかもしれない。

よく、戦前の流れの中で、その時代を知らない俺なんかは「どうして戦争に賛成したのか?」とかってことを素朴に思ったりするけれど、こうした「何を言っても変わらない」が究極にまで社会に広がったとき、人はもう何の判断もできなくなるのかもしれない。
戦争反対、を叫ぶ人を揶揄し、隅に追いやるようになるのかもしれない。

そして翻って、今の日本も、あのときのような状況に覆われていないだろうか。
ここから我々はどう抜け出せばいいのだろうか。
「あなたには意味がある」
「あなたは大切な存在である」
何度叫んでも、何度話しても、それが揶揄されてしまうとしたら、もうなにか手立てがないようにも思えてしまう。






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baka.jpg

(BGM:Akon「Bananza [Belly Dancer]」from「Street Vibes 2006」)
→アフリカンなんだな。
ルーツミュージック?そういうのをふりかけた感じのコンピ。
すごく楽しいけどね。
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