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スーパーちんどん・さとう

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悔しい話 ② (ラスト)


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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4896.htmlのつづきとして


たいがいの場合、中学で部活が始まったりすると夏休みも忙しくなって、「ばあちゃんちはいかないよ」ということになっていきます。

小学校までの家族の「慣例」というのは、確かに市丸たちと普通学級に通っていた子も同じだと思います。
それに縛られる感覚も同じだと思います。

ただ、そこに半強制的な「部活」というのが入ってくることによって、多くの学校の仲間の意識、というか雰囲気が、「親や家族との行動」よりも、「(学校の)仲間との行動」の方が重要だ、という風に動いていきます。
確かに、ブラック部活という言葉があるように、先生方の勤務とかのことに関しては問題だと思います。
が、ここではそれは置いておいて、具体的にこの「半強制的」なモノがはいってくることによって、「意識が変わりやすい状況になった」というのは、現実的にあると思います。


よく俺は市丸たちをして「彼らにはクソババア!というタイミングがなかなかない」という話をします。
これは、いわゆる「親離れのタイミング」ということなんですが。

よくまあ「親離れ」と言いますけど、単に「離れる」だけじゃなくて、親以外の友だちや仲間の方に「くっつく」ということなわけです。
単純に親から離れ、仲間とも幼稚園の時のママ、というわけじゃない。
つまり、彼らの「付き合いの範囲」「付き合いの比重」が変わる、ということなわけです。
それを「親離れ」という言葉で言ってるわけです。

で、この「クソババア!」を出すタイミングとして、部活が大きなトリガーになっているというのは俺は事実だな、と思います。

もちろん、動物は親から生まれ、親になっていく過程が人間の成長、いや、動物の成長なわけですが、DNAの指示といってもいいかな、その中で、子が親から離れて独立する、という時は必ず来ます。
来るには来るんだけど、その時って、簡単に言うと子どもの方でも勇気が要るわけです。

子どもが大人になる、というのは、「守られない」ということでもあって、そこに踏み出すのはとても勇気が要る。
これは市丸たちだけじゃなくて、誰しもそうだと思います。
だからこそ、この部活という「半強制的なモノ」は、ある程度の勇気の「後ろ盾」となり得るんじゃないかな、と。


蛇足①
あ、いや、なにも部活至上主義とか言うコトを言いたいんじゃないですよ。
現実的にそうだ、ということを言ってるだけで。
俺自身も高2以降部活やってませんし。
そんなに部活至上主義な人ではありません。
サッカーもマジメにやってたわけでもない。

蛇足②
先に、親離れとは、親よりも仲間の比重が高くなること、と書きましたが、つまり親子の関係は一生変わらないわけですよね。
親は子がどんなに大きくなっても心配だし、何かあれば世話を焼きます。
そういうことを否定するモノのように「親離れ」という言葉を理解する人がいますが、そうじゃなくて、比重が変わる、と捕らえたらいいんじゃないか、ということを言いたい。


話戻しまして。
先に書いたように、しかし、親から離れていく、すなわち仲間との比重が大きくなっていくのは、動物のDNAとしては、まあ仕組まれているプログラムではあるわけです。
けれども、それをするためには先に書いたように勇気が要る。

同時に、子が知的障害者だったりすると、親の方にも勇気が要る。

これまで、子どもが付き合ってる人のことはだいたいわかっていた。
いや、全てわかっていた、といっていいと思います、彼らの親御さんの場合。
しかも、その親まで知っていた、ということが多いでしょう。
けど、親の知らない人と付き合うようになる、という過程がここに入ってきます。
そちらの比重が高くなっていく、ということですね。

そのことに対する不安、みたいなモノもたくさんあるんだと思います。
平易な言葉で言うと「悪い人にだまされてるんじゃないか」とか。
ま、それだけじゃないですけど。
「ご迷惑かけてるんじゃないか」みたいな。

でもまあ、ご迷惑も含めて「仲間」なわけですね。
悪い人にだまされるという経験もあって悪いわけじゃない。
いや、ない方がイイし、取り返しがつかないこともあるのでその辺は難しいですが、しかし、そこを怖がっていたら、やっぱ親の範囲から子どもを出さないことが一番簡単な方法になってしまい、動物としての本能がくじけます。

そうなると、おそらく無気力にもなるでしょうし、希望も持てない。
そうなれば、学びたいという欲求もなくなるし、知ろうという気持ちも持てなくなる。

二次障害、なんて言葉がありますけど、色々な文献を読んでみると、「そもそもこの子自信が人生に希望を持ててないんじゃないか?」という例もたくさんあって、つまり、それを「障害」という機能的なモノに帰してしまうのはあまりにかわいそうじゃないか?という気持ちになることも多いんですね。

つまり先の論理で言えば、動物としての本能が削がれている状態、というか。


確かに、色々な状況で、親も子も「勇気が出ない」。
その状況が、また「この子は知的障害だからしょうがない」という風に言われてしまう一因だとしたら、それはなんかちょっと変えていくことができるんじゃないかな、と思うワケです。







baka.jpg

(BGM:加藤賢崇「宇宙フーテン旅行」from「若さ、ひとりじめ +10」)
→凄味がない人。
でもそれがウリなのよね、なんてったって「若さひとりじめ!」。
テクノなのかしら、この曲はなんか最も彼にフィットしてる感じがする。
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