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スーパーちんどん・さとう

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神宮球場で「介助者とは何か」について考えた


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神宮球場というのは古い。
ま、古いもんで、いわゆる「バリアフリー」などという概念はどこにもない。

入り口入ってすぐ急な階段。
スタンドに出ても急な階段が続く。
しかも、一段一段の高さが違うので、たいがいの人は一回つっかかる。

ま、この辺のことについては前にも書きました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4525.html)。

ただまあ、行くたびになんとなく係員の対応はサイアクから、アク、くらいにはなってる気がするので、まあやっぱ行くもんだな、とは思いますが。

しかしまあ、トイレもいちいち入るところに階段があったりするので、どうにもならないっちゃあ、どうにもならない。
これはもう、係員の対応云々の問題ではない。

そもそも、人件費に比べれば、この辺のハードを一回工事しちゃえば安上がりじゃないかと思うけれど、いや、もう設計がダメなんだよねこの球場。


今回行って、なんか車いすの場所、というのは確かに増えたのかもしれないな、と思いました。
「前にはここも座席だったんでしょ」というところにコンクリが盛ってあったり。
そういう意味では、まあ、限られた状況の中で何とかしようとしているとは思うんだけどね。

悪いことじゃないですよ、これは。

しかしまあ、車いすの人と介助者しか入れません、みたいなことだと、「仲間と観戦する」ってのは難しいわけだ。
車いすのままで入れるのはいいけれど、「どういう風に観戦したいか」にまでは対応してはいない。

車いすの人は介助者とセット、という考え方は悪くない、というか、あっていいと思うんだ。
つまり、車いすの人が観戦する場合は、もう2席だから、みたいな感覚は悪くないと思う。
使わない人は使わなきゃいいんだから。

しかしまあ、介助者ってのは介助者だから。
仲間ではないし、友だちではない。
…というと、語弊はある。
が、構造として、介助者というのはその人が行動する上で必要な介助をする人だから、それはもうある意味「本人」なのである。
といって、その「本人」にも人格がある、というあたりがまた問題を根深くしているわけだが、それについてはここでは論がズレるので又の機会に。

なんでまあ、「一緒に行こうよ!」というのは、介助者を誘っている言葉ではないのだ。
一緒に行く、という仲間+本人+介助者という「本人」ということになる。


これね、いや、確かにもう介助者と仲良しです、ということはあるんですよ。
そういうことを否定するモノではありませんよ。

けれども、介助者=友だち、というのを社会が固定化して考えてしまうのはとても怖いんですよね。
介助者はあくまで「本人」でなければならない。
じゃないと、これね、「友だち→介助者」になっていく可能性が大きいんですよ。

そもそも、友だちってのは、多い方がイイ、みたいなことってありますね。
つまり、友だちが多いってのは、人望が厚い、みたいな。
けどね、そもそも介助者ってのは募集して金が介在する関係なんですよ。
いや、それ以上です、ってのはわかるけど、そもそも構造としてそういうことなんですよ。
というか、その構造こそを大事にしないと、「友だちが多くていいわね」みたいな、気持ち悪いことを言われるハメになる。
同時に、障害者には「金で介在しない友だちが出来ない」という風にもなってしまう可能性がある。

これは、異性介助の問題も含んでいると思うんだけど、つまり、同性介助を基本と考えれば(トイレの介助を異性にさせるのはゾッとする)、介助者=友だち、もしくは友だち=介助者、という図式にしてしまうと、異性の友人はできない、ってことになります。
異性の介助者が成り立たないんだから、当然そうなりますね。


つまりですね、もう「介助者は友人ではない」ってことをことさらに大きな声で言っていかなきゃならないんじゃないか、と。
いや、「介助者の●○さんは友人で、介助時間以外でも云々」というのは、それはそれでいいんだけど、そういうことじゃなくてですね、介助者はとにかく友人ではないのだ、「本人」なのである、というね。
その基本がまず今の社会は理解できていない。


ただねえ、これ難しいことがあって、こういうことを言い出すと、「人間的じゃない」とか、介助者の中には「私は金だけでやってるわけじゃない」とか言い出す人が出てくるんですよね。
いやいやいや、その気持ちはもちろんありがたい。
でも、そういう個人的なつきあいのはなしをしてるんじゃなくて、あくまで「構造的に」それを認めるといいことないじゃん!という話なんですけども。

介助者のみなさんにも、そこに誇りを持ってやってほしいと思うし、そのへんを曖昧にしちゃうのは介助者の地位向上にもならないと思います。









(BGM:PPS (Pearl Pizzicato Special)「アニマ・プリズミィ」from「ソリッドレコード夢のアルバム」)
→これはどういうアレなんだろうか。
この曲、ちょっとちょっとおかしいのよ。
コードが狂ってるというか、一節多いというか、なんかオカシイのに、全体としてはとても美しい曲に仕上がってる。
これは魔法だな。
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