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スーパーちんどん・さとう

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仏作って魂入れず


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加納さんがヘルパーを管理するかなんかの資格を取ると言うことになって、というか、その資格の問題点もきっちり表出もさせていこう、ということでやってるわけですが。
ということで、毎月機関紙にその報告を載せていまして、先月号はこんな風に。



「資格への道」

機関紙に毎月記事を載せるというノルマを課したおかげかなんと現在最後の第19回の問題に取りかかり中であります。ゴールまであと一歩といいたいところですが、この後8回のスクーリングがありまして、やる気の失せる日々です。
基本的にというかほぼテキストを読んでそこに書いてある単語を穴埋め式に当てはめていけばいいという問題ばかりで、正直全く考えるという意味では頭を使わないという、こんなんで資格が取れてしまうのかーい!!というツッコミどころ満載な状態です。
この間は車いすの座らせ方や座る姿勢について聞き慣れない専門用語で書いてありました。私からすれば乗せ方や座る姿勢の名前より、車いすで一歩外に出たら障壁だらけだよ、の方がよっぽど現実的で親切でしょう。と思っちゃうけどね。
ヘルパーがどこまで外出介助をするのか知らないけど、実際に車いす押して外出たら段差やでこぼこだらけでビックリすると思うんだよね。
トイレだって、外も一般的な住宅もテキストに載っているような車いすトイレなんてそうそうないからね。大概入り口は狭いし、段差もあったりするし、手すりなんかないし、テキストの通りやっていたら私は外出先でトイレなんか行けないな、我慢するしか無いなと思ってしまう。
お風呂も同じ。車いすごとお風呂場に入ったりするには相当の住宅改修が必要になるはずだ。設備が整っていなければ入れないのであれば介助が必要な人は寮なんてほぼ行けないに等しくなってしまう。決して障壁だらけがいいといっているのでは無くて、○○のやり方は××がいい。と決めつけずに、その都度どうしたら入れるかと、考えながらやれたらいいんじゃないかと思うわけです。
残念ながらまだまだバリアフリーは思っているほど進んでいません。それを待っていたら永遠に私たち障害者はどこへも行けないままです。
きっと障害者は外出することを躊躇しているでしょう。私ですら躊躇する事があるから。
でもそんなとき、ヘルパー研修で習っていないから無理じゃなくて、ナントカ出来るように考えよう、といってくれたら、不安の大半は消えて無くなるはず。
そんなことを思いながらテキストを読んでいます。(了)



ここに書いてあるように、世の中の住宅のトイレなんかは狭い。
アパートとかだと、改修も出来ない。
だから、「こういう改修をした方がイイ」というのは、事実上難しいこともある。

というか、こういう言い方がよくないのは重々承知で言えば、障害者や高齢者の多くが、そんなに裕福に生きているというわけではない。
ギリギリの生活で、安普請のアパートで、というのは珍しい話じゃない。

今の日本の「自己責任」が蔓延する状況の中では、そりゃそうなってしまう。
高齢になって歩けなくなるのも、障害者で生まれてくるのも自己責任、だとすれば、「広い風呂のある家を買えないのも自己責任」となるんだから。
まあ、そのあたりが解決しない限り、この「ギリギリの生活で、安普請のアパートで」というのは解決しない。

同時に、街も同じで、自己責任論は、ガタガタする歩道も、かまぼこ形の道も、普通に歩ける人にはなんの障壁ではないかもしれないが、そこを標準にして、「この道が障壁だと思うおまえが障壁だ」と言いかねない。

ヘルパーなど、高齢者や障害者の周りにいる人が、この「自己責任論」を肯定してしまうのはイイとは思わない。
障壁は障害者の側にあるのではなくて、街にある、社会にある、という認識がなければ、そもそも、周りにいる人が障害者を「枠」にはめかねない。
「こういう障害者になれ」という枠。

そうじゃなくて、一緒にその「自己責任論」をぶっ飛ばす仲間になってほしい。
加納さんが書いている、「どうやったら、この状況の中で生活が可能になるか?を一緒に考える」という感じの。

つまり、「やり方」は、テキストに書かれている1パターンの方法、ではなく、その人、その状況の中で、それでも「風呂を実現する」というための方法を編み出す、ということなんだよな。
そうなれば、ヘルパーは一人じゃなく二人必要かもしれない。
だとしたら、そのために、二人分のお金が出てくるように一緒に考えてくれる、必要ならば必要だと行政に訴えることもあるかもしれない。

「やり方を提示する」ってのは、恐ろしくて、その方向を逆に向かせかねない。

だからこそ、まず一緒に街に出る、状況に合わせて一緒に風呂の入り方を考える、そういうことを先に教え、その助けとなるための一例として「やり方の提示」があった方がイイよな、と思います。
確かに、基本メソッドは役には立つんです。
車いすの押し方しかり、基本があることは大事ですが、それもこれも、「外出を実現するため」ということでしかなくて、そこの部分がないままに「やり方」だけを学んだところであまり意味がない。
逆に、「そのやり方に合う外出」しかできなくなってしまう可能性が高い。

「仏作って魂入れず」というか、それでは意味がないのである。





wannmannblog.jpg

(BGM:Theatrebrook「裸の王様」from「X CROSS THE STREET JAPANESE PUNK AND NEW WAVE TRIBUTE」)
→このアルバムは好き。
JAGATARAをカバーするってのは勇気が要るというか、まあアレンジしやすいような気もするけれど、どっか偉大すぎるというか、そういうのもある中、これはカッコイイと思います。
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