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スーパーちんどん・さとう

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助け合える距離感


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ま、高度経済成長の頃ってのは、終身雇用だったり、社宅だったり、どこか会社が家族のような仕組みを担っていたと思います。
それはまあ、関係が近い、ということなんだけど、やっぱ排他的な日本の慣習から言うと、これっていろいろと問題があった。
というか、それをイヤだ、と思う人も多かった。

表面上はうまく付き合っていても、もうメンドクサイわあ、みたいな。

いわゆる、田舎の方なんかでも、過去には「近所の人が普通にウチでお茶飲んでた」とか、そんな話はよく聞きます。
そういう「近い関係」というのが、まあ逆に言えば、異物を追い出す装置になっていたし、村八分とかね、そういうのも産んだわけだ。

そもそも最初から関係が薄ければ、村八分も何もそんなに関係ないンだけど、近い関係で成り立つ社会だからこそ、切り離されることが恐怖にもなったわけだ。

そういう社会のあり方というのは、確かに問題も多かったと思うし、正直俺も近い関係というのはあまり好きじゃない。


一方、今の時代はそういうのを避けて、田舎から上京する人も増えた。
過疎化する日本の田舎の状況を考えると、たいがいの人は、その「近い関係」を忌諱していたのかもしれない。

そりゃそうだ、いつも監視されてるみたいな生活が気楽なわけがない。

同時に、バブルの頃はフリーターがもてはやされて、それが今の非正規につながっていくわけだけれど、終身雇用も姿を消そうとしている。
つまり、田舎だけじゃなくて、会社もそうした「家族的な付き合い」を放棄しつつある。

やっぱり、近すぎる関係は、よくない部分が多い。
それはとてもよくわかる。
なんだかんだ、なんでも知られちゃう、というか、知って当たり前、みたいな感じはめんどうなのだ。

そうやって、家族を代替する機能は社会になくなりつつある。
産まれて来た家族が家族の全てになった。

ま、孤独になって、気楽なことはたくさんある。
そもそも、1人の方が気楽である。
知られたいことは言えばイイけれど、知られたくないことは言わなきゃイイ。
その線引きが自分の行動で決めることができる。


しかし、それは一回困難に陥った時、なかなか助けてくれる人が近くにいない、ということでもある。
近い人がいないというのは、そういうことではあって。
それでも若いウチは、多少具合が悪くても、多少の困難があっても1人でなんとか乗り切ることが出来たりするけれど、その余力がなかったらまあ、ちょっとどうしようもなくなったりする可能性もある。
お節介な人は近くてめんどうな気がするけれど、時に必要だったりもする。

まあ、かといって、いつも近くにいられたのではメンドウだし息苦しい。
でも、お節介な人が時に近くにいたら、まあラクではある。

だからまあ、どっちがいいって話じゃないような気はする。


最近は、ブラック企業が花盛りで、いや、どっちかというとそういう企業の方がスタンダートとでもいう感じである。
その中で、なかなか仕事も続けられないし、メンタルな病気になってしまったりするという話もあったりするようだ。
同時に、いつでも人手不足、みたいな話もあって、そりゃブラックなんだから誰も応募してこないよな、ということではあるんだが。

その中で、福利厚生がしっかりしている会社だったり、ちょっとどこか「家族的な」社風の会社が若い人の心を掴んでいたりもする。
「若い人がやめない会社」みたいなことで記事になっていたりする。
高度経済成長の頃の風景に、どこか逆戻りするような感じである。

まあ、かといって、誰もがあの「息苦しい近い関係」を欲しているわけじゃない、とは思う。
そのことをきちんと精査して、新しい形の、それなりに近い関係、を構築していかなきゃならないのだろう。


近い関係、によって、日本は発展したけれど、それはあまりに近くなりすぎて息苦しくなり、みんながそれを忌諱し始めた。
けれどもその結果、フリーター、非正規が増えて、孤独に陥って助けを求められない人も増えた。
時代が逆に振れてしまっている、という感じである。

本来は、息苦しい近い関係ではなく、助けてもらえる近い関係、助けられる近い関係、がいいのだろう。
そこに揺り戻し、もっと気楽に生きて行ければいいのだが。


単純に近い関係を遠ざけるモノでもないだろうし、同時に孤独を遠ざけるモノでもなく、という距離感を社会が会得していかなきゃならんのだろうな。

それは、都合よくお節介を求めるだけ求め、自分は誰のことも助けず、孤独をラクに生きていたのでは、やっぱそこには到達しない。
結局はまあ、どれだけ人を助けられるか、ってことなんだろう。
それもしないで都合のいい時だけ助けてくれ、助けるのは当たり前だろう、というのはやっぱりなにも産まないな、と思う。


と、実は以上の文章は昨年の9月頃に書いていたもので、そのまま後回し後回しになっていたものです。
この時は、やっぱ「人を助けることで自分も助けてもらえる」という、つまりはまあ、そういうほどよい距離感の集団でいたい、そういう仲間でいたい、仲間を増やしたい、みたいなことを思って書いたんだと思うんだけどたぶん。
みんなが「他人を助ける」と思っていれば、まあ自分も助けてもらえるじゃん、というごく当たり前の話ですね。

しかしまあ、このコロナ禍の中、よりそういう当たり前に立ち戻らなきゃいけないよな、と思うと同時に、やっぱ平時に孤立せざるを得なかった人たちがどれだけ多かったか、ということに改めて気づかされていて、まあ暗澹たる気持ちになっています。

自ら孤立しちゃいがちな人ってのもいるにはいます。
壁を作るというか、そういう性格の人。
ま、それは性格なんだけど、そうじゃなくて、もう社会が非正規だ何だって分断の中にあって、その波に飲み込まれざるを得なかった、というのもあるんだよな、と。
そういう状況の中にいたら、そりゃもう自ら壁も作っちゃうよね。

その辺については、やっぱ金だなあ、と改めて思います。
余裕がないところに助け合いの気持ちって生まれないと思うんですよね。
余裕ったって、明日の寝床レベルのことがもうない人もいるわけでしょう。
ネットカフェが閉まって、そういう人たちがたくさんいることが可視化されたのはよかったと思うと同時に、現実どうするんだよ、って、もうなんかどうにもならない気持ちになるわけですが。

とにかく、金銭的に厳しくなればなるほど、やっぱ「ギスギス」にしかならないというか。
「あいつは恵まれている」みたいなことで責め合うことにしかならない感じがする。
それはおそらく支配者としては都合がよくて、俺たちは踊らされるだけで、何も解決しない。

ま、なんかコロナはほんと、世の中の底をぶち抜いちゃったし、いろいろなものをあぶり出したな、と思います。







(BGM:Martin Denny「Sake Rock」fromYOUTUBE)
→YMOのファイアークラッカーの元曲ではないかということで俄然注目が集まるわけですが、いや、これはこれで名曲じゃないか。
ファイアークラッカーも名曲、それで全てこともなし。
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