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先日ツイートを見てたら、介護現場の離職が多い理由について、けっこう「職場のやり方とあわない」「職場のやり方が許せない」というのが現場的には多い、というのが流れてきた。
同時に、「一般的には給料の安さ、それに対する責任の重さを指摘されるが、現場では上記のような話を聞くことが多い。この乖離はなんだろうか」という感じのことも書かれていた。

そのツイート自体は流れて行ってしまったので文面までは覚えてないし、誰が書いたのかもわからないが、ある意味、これはわからなくはないな、とは思ったと同時に、何か違和感もあって、その内容が印象に残っていた。


ま、このツイートそのものはおいておいて、この感じはなんかよくあるような気がした。

今の福祉制度は崩壊していて、高齢化社会になるというのに、介護職の人たちをつなぎ止めるために有効な手を打てないでいる。
介護の予算が増えるわけでもなく、給料は安く、現場は疲弊している。
のにもかかわらず、時に起こる事故の責任問題は重くのしかかる。
これでは介護職の人が増えるわけもない。

こうした政権のやり方に対して、ストレートに怒れればいいんだけど、世の中はなかなかそうもいかない。
今、まさに現場で格闘してる人たちの足並みが揃わないのである。

簡単に言えば、「上司のやり方が気に入らない」「職場の人間関係」というのは、どこの職場にもある。
別に介護の職場だけに限ったモノではない。
が、もちろん、老人介護の現場に於けるヘルパーへのセクハラとかも多発しているようなので、職場が一致団結して取り組まなければならない状態でもアリ、他の業種に比べ、そのへんは深刻である、とは言えると思う。
けれども、個々の職場には個々の問題や特殊な事情があり、それも一概に言えるモノではないと思う。

別に、この「職場の雰囲気」や「上司の考え方」といったものが、小さな問題だと言いたいのではないが、そもそもそれが月給100万だったとしたら、「辞める」という方に振れる針は小さくなるのではないだろうか、とは思うのだ。
もっと言えば、月給が100万だったら、もっといろいろな人材が入ってくるから、職場の雰囲気が大きく変わる可能性もある。
というか、変わらざるを得ない、というか。

人を集めるためには、給料を上げるのが一番早い。
それでも辞める人はいるだろうが、辞めない人も増えるはずだ。
人が集まることで、職場改革が進む可能性もある。


しかし、この感覚が福祉の現場ではメインにならなかったりする。
それは、福祉とは「志である」みたいな、福祉とは心である、みたいな、そういう精神が社会の中心にある、というのが一つの要因な気がする。

いや、そのこと自体は否定されなければいけない。
介護の問題を「気持ち」の問題にすり替えてしまうことは、今の政権もやっている。
そういう気持ちの問題にすり替えるから、賃金も上がらない、という結果になっている。

この波に反発するために、例えば介護職なんかの人たちは、自分たちのことを「専門的な仕事なのだ」とか言ったりもする。
それはある意味、一つの反論にはなるけれど、一方で、「介護とは何か」みたいなイデオローグの対立を産んだりもする。
つまり、専門的に考えれば考えるほど、それはその内部で考え方の違いによって足並みが揃わなかったりする。

専門的に考えるのが悪いと言ってるのではない。
しかし、AとBという対立が生まれてしまったが故に、AにもBにも覆い被さっている「介護予算が少ない。故に給料が安い」ということに共に立ち向かえなくなる。


福祉の現場で闘おうとしている人たちは、現実的に給料が低くてもやってるわけで、とてもマジメで一生懸命な人が多い。
そのことは、まったく悪いことじゃないし、むしろ歓迎するろころだけれど、そういう人に給料が安い、というのはマジメにやってる人にも失礼だ、って話なのですが。

けど、やっぱ真剣にモノを考えてしまうが故に、大元の問題だけではなく、いろいろな部分についてイデオロギー対立が生まれてしまったりもするような雰囲気がある。
「そこ、いま?」と思うようなことが、大問題かのように語られたりすると、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。


今の政権に群がって甘い汁を吸おうとする人たちは、その目的が金、という至極簡単なモノでしかつながってないので(つまりはバカなんだろうけど)、互いに協力する力が強い。
鉄壁のようである。
けれども、それに対する、真剣に福祉を考える人たちは、マジメな分、どうしても細かい部分で対立しがちで、どうしても一枚岩になれないところがある。

過去には全障研、全障連対立のようなものもあったし、それはそのまま運動の世界でも同じで、埼玉でも二つの県交渉が今でも行われている。

俺は、もっともっと単純化していかなきゃいけないんじゃないかと思う。
介護の現場に於ける問題、というのは、確かに種々ある。
ある。
そして、それが大問題だというのもわかる。
わかるんだけど、問題はシンプルにしていかなきゃいけないと思う。

いや、そういうことで、その現場の問題を無視しよう、軽視しよう、ということを言いたいのではない。
それとこれとをきちんと分けた方がイイのではないだろうか?
逆に言えば、「ここまでは一緒にやる」けれども、「こっから先は一緒にやらない」という、「ハッキリした分断」をやってもいいのではないだろうか。
そのへんがごっちゃになって、大きな分断を産む必要があるとは思えないし、それはAの考えの人もBの考えの人にもうま味はないような気がする。


軽視しない、けれども、大元の問題については、そこはノーサイドで一緒に取り組もう、という理知的なアタマが求められているような気がする。

イデオロギーの対立は悪いことじゃない。
それによって、新しい何かが生まれる可能性があるから。
けれどもそれは、マジメな人たちにそれに相応する対価が支払われているという前提の話である。

だから、その前提を作る作業と、中身を語る作業を分けなければならないと思うのだ。






佐藤店長生誕祭小

(BGM:塩分手生えるんすか「もすかう [Digimind remix]」from「ウマウマできるトランスを作ってみた」)
→これはイイと思う。
トランスって、どこか胡散臭いというか、音楽愛を感じないことが多いんだけど、これはすごく好き。
もすかう、というタイトルがまずいいじゃない。
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