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スーパーちんどん・さとう

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う~ん、そういうことを言いたかったんじゃないんだけどうまく書けないなあ


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kaijosha.jpg


というわけで、太陽肛門スパパーンさんの30周年記念ライブ。
高円寺のSHOWBOATというライブハウス。
行って思いだしたけど、ここ、前に来たことあった。
どこか受付の人もぶっきらぼうで、横入りする人にも無頓着。
こぎれいだけれど、きれいとは言いがたい感じ、機材を積んだ上に黒い布がかぶせてあるだけっぽい感じとか。
いや、いいライブハウスだなあ、と思ったわけです。
こういう「雑多」がいい。
こういう「不親切感」がいい。
ライブハウスはこうでなきゃいけない。
座って大人しくクラシックを聴きに来たわけじゃない。
いや、クラシック聞きに行ったら大人しく座るけど、そのためのハコじゃないわけで。

近寄りがたいライブハウスを「均一化」して、「きれい」にして、「一般客」に広げていこうという動きは悪くないかもしれないが、どこかそれに反発を感じるのも確か。

でも、俺が高校の時だから80年代のライブハウスは、恐ろしく、怖いところだった。
ま、俺が若いというのもあったし、そんなにライブハウスに経験値が高くなかったということもあろうが、そういう場所だった。
そこで見た初期のハードコアパンクのライブはとにかく刺激的だった。
演奏はおそらくそんなにうまくなかったのかもしれない今考えると。
でも、音楽のスゴサをそこで感じて今に至る。

それは小ぎれいなライブハウスでは成り立たなかった音であって、場所も演者も、音も漂白されたらもう音楽は終わり、だとも思っている。
演奏がうまいとか下手とか、そういうのは正直、自分の音楽への刺激とは全く別の次元にある。
あまり興味が無いのだ。

いや、「ベースは上げていくけど、ギターのテンション下げたらドラマチックだ」「そこはセブンスじゃないとダメなんだ」とか、そういうのは確かにある。
けれど、まあそれはあくまで「刺激のための方法論」であって、音楽は音楽を上手く奏でるためのモノじゃない、というか。

というと語弊があるけれど、確かに奏でる音を大事にするクラシックも嫌いなわけじゃない。
合唱とかも好きだ。
けれども、自分がやるとなったら、ライブハウスでハイになろうとするのなら、やっぱり問題はそこじゃない。

スパパーンさんの演奏はピカイチだ。
各々が上手すぎるのもあるが、あり得ないコード進行、重ねた音の半音違い、そういうのがすべて「ハーモニー」になるすごさ。
音楽的に計算され尽くしたすごさ。

でも、彼らはおそらくそこだけを聞かせたいんじゃなくて、なぜか白ブリーフだし、そして寸劇も入る。
そこが重要で、音を聞くだけでは彼らの「やりたいこと」も、そもそも彼らの表現が見えてこない気がする。
その感じが、この「刺激とは何か」「表現とは何か」ということを見せてくれるし、そこが俺にとっては重要なのである。

こういう言い方はなんだが、アマとプロの違いってそこだよな。
ま、音楽にプロもアマもないけど。
アマチュアはすぐに、「音楽で成功した人」のマネをしたがるが、そんなのいくらやってもムダだわな。
そんなことより、自分が何を表現したくて、客に何で刺激を与えたいのか考えるべきなんだろうな。
自分が気持ちいいだけだったら、別に客を入れる必要なんかない。

よく見るバンド同士のなれ合いも好きじゃない。
演劇でもそうだけど、バンド仲間が、演劇仲間がお互いの客になってる世界は、批判がなくて好きじゃない。
それじゃあ、隣のおばさんの習い事の発表会と同じじゃないか。
人との付き合いはあるから、それはそれでいいんだけど、それと音楽の評価はきっちりと線を引きたい。
そこからは距離を置きたい。

スパパーンさんは、徹底的に他のバンドや演者をステージから批判するけど、あの感じも好き。
ま、音、ということじゃなくて「思想」についてだけどね。
でも、そこ重要で。
「何を表現するか」にかかってくるから。

ま、それは一方で逆に仲間も多くなるよな、きっと。
その感じもいい。
結局、有り体な言い方だけれど、「とんがって」なかったら、表現者としてはダメなんだろうな、という結論になりますけど。

全方位外交じゃなく、自分の表現に素直にならなきゃいけない、というか。
なんか、そういうことをスパパーンさんは改めて教えてくれる。

そうじゃなきゃ、やる意味ないじゃん、というか。

俺なんかは、いくらお客さんが入ってくれても、なんか「何も伝わってないんじゃないか」って思ってばかりだし、そもそもあまり「いい評価」を素直に受けられない性格なので、ネガティブにとんがらざるを得ない感じもありますが。


さて、今、まあライブハウスも運営が大変なようで、そりゃそうだ、ここまで格差が開いてしまうとライブハウスにかけるお金が捻出できないもん。
けど、どっかの大手があちこちの既存のライブハウスを買い取って巨大化するのも違うような気がする。
ライブハウスは雑多じゃなきゃいけない、と俺は思うので、組織化されてしまったらそれはどうなんだろう。
「雑多」からは離れてしまうんじゃないか。
もちろん、そこにはこの不況の中、「ライブハウス文化の灯を消さない」という病むに病まれぬ事情もあるんだろうけど。

結局、音楽ってのは、食べ物と違って「なかったら死ぬ」というものではない。
けれど、確実に人生は無味なモノになる。

大規模なドームコンサートには、確かに大きな金が動き、人が動くから、最大公約数の音楽しか流れない。
漂白されたその音は、果たして刺激的かというと、俺にはそうじゃない。

そしてもっと言うと、そうした漂白された音楽も、ジャニーズやアイドルじゃない限り、そもそもはライブハウスの雑多から生まれたものだろう。
だからこそ、ライブハウスの灯は消しちゃいけないし、そこで表現者としてやろうとするのなら、やっぱ「自分は何を表現するか」「何で客に刺激を与えるか」を常に追い続けなきゃいけないんだろう、と思う。

ま、もちろんね、「演奏の上手さで刺激を与えたい」ってのもあると思うよ。
だったら、プロ以上の練習すればイイと思うし。
俺は練習嫌いだからやらないけど。


あ~、またなんか平易なことを難しく書いちゃったなあ。
言いたいのはそういうことでもないんだけどね。
どうしたもんか。

楽しきゃいいんだ、ライブは。
そしてそれは人それぞれだから。
百人が百人楽しい、ってのも違う、って話。
で、俺が好きな「雑多」なライブハウスも生き残って欲しいし、そう思わせてくれるライブにこれからも行こう、出たい、と思う、という話でありました。

最後の段だけ読んでもらえば事足りましたね。








(BGM:Tania Maria「ゼという名の男」from「音の棲むところ」)
→ボサノバの名曲と言うことになるんでしょうか。
ボサノバは好き。
2小節で一つのパターン、というのがなんか小学校の時に知って驚愕した。
イヤな子どもだ。
この曲、何語かわからんけど、時々「ぜ」ってのが入るわけで、そこがなんかいい。
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