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スーパーちんどん・さとう

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俺たちは被害者ではない


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やまゆり園の事件の公判とかがありまして。
ちょっとまた事件を振り返るような雰囲気がありました。

そんな中、こんなツイートが流れてきまして。
だいたいの意訳ですが、こんな感じ。

津久井やまゆり園で起きた事件で1番考えないといけないことは、生きる尊厳で、施設環境のこととかはそれから。施設環境を理由にして、「起きてもおかしくない事件」なんて言っちゃいけない。

う~む…。


ま、まず、あれは「起きてもおかしくない事件」ではないと思います。
いや、起きてもおかしくない、という原因は彼らにはない、という意味で。
施設に入っていた彼らは、とにかく被害者でしかない。
それは、二重の被害を受けているように見えるんです。

つまり、現在の施設環境を「中心軸」とすれば、「ああいう毎日をおくってるんだから死んでも同じ」ということは成り立つかもしれないが、いやいやいや、そうじゃないじゃん。
施設環境の問題は、前々から前時代的って指摘を受けてるじゃん、ということなんですよ。

高度経済成長期に顕著だった、巨大コロニーを中心とする障害者政策、つまりは大量収容政策は、障害者の日常を、被告の言葉に代えれば「家畜」にした。
これは、前々から指摘されている問題である。
そのことになんの反省もなく、その後もその政策は維持され、あろうことか、現在でも夜間の職員の配置は、数十人に一人、ということらしい。

それで、果たして人間らしい生活ができるかというとそりゃ無理だ。
そもそも、障害者に豊かな生活など必要なのか?という問いが生じる背景には、こうした大量収容政策がある。

だって、実際に「オムツさせられて寝かせられる毎日」を過ごしていたら、そりゃ人間クサる。
おかしくもなる。
しかも、そこから脱出できる見込みはないのだ。

埼玉県にある巨大コロニーの昨年の退所者7人のうち、一人は病院へ、一人が親元に戻り、そして残り五人は「死亡」だという。


高校まで生徒会長をつとめていたオグラが施設の十年間を経てここに来たとき、そもそも話が成り立たなかった。
何を考えているのかもわからなかったし、楽しみもないように見えた。
今でもそういうところはあるけれど、あの時に比べたら格段に話が通じるようになった。
大日の後楽園大会に出かけて、選手の名前を覚え、「俺は伊東選手が好きですね」とか言うようになった。
歴史が好きってのもわかったし、戦国時代のなんかの年号とか聞くと答えるのもわかった。
まあ、天正●年、とか言われてもあってるかどうかはわからないが、とにかく興味はあるようだ。

オレらの毎日は、他の施設とはずいぶん違う。
酒を飲んだりもするし、遊びにも行ったりする。
ストリップにも行くし、敬語もなしだ。
コッチの携帯の番号もアドレスも教えるし、毎晩メールを出すのにがんばってるヤツもいる。

その中で、やっと人間らしい生活を、仲間を獲得していく様を俺は毎日見ている。
だから、彼らが「家畜と同じ状態」に置かれているのは許せない。
そもそも障害者は豊かに生活できる能力がない人ではないのだ。

そうなった要因の一つに、大量収容というモノがあることは間違いない。


そもそも、殺された井上達の仲間は、施設に入れられるという被害に遭った上に、あの事件でまた被害を受け、殺された。

何を言いたいかというと、巨大収容を軸とする施設政策そのものが、彼らを被害者にしてるじゃないか、ってことです。
つまり、我々は「加害者」じゃないか。
彼らを閉じ込めている加害者は俺たち自身じゃないか。
この日本の世の中じゃないか。

あの犯人は、その施設の状況の中でしか井上達を見ていない。
そして「死んでるも同じ」という結論に達してしまった。
バカだ。
話にならないくらいバカだ。
一度ウチに来てくれたら良かったのに。


俺は、あの事件こそ施設政策に異を唱える分岐点だと思っていたが、それは上がらなかった。
彼らにも生きる権利があったのだ、などという論調が目立った。

いやいやいや、そりゃそうだ。
だとしたら、それを大量収容してオムツさせてることを許してる俺たちはどうなんだ?
彼らの生きる権利を、豊かに生活する権利を奪ったのは俺たちじゃないか。
間違った策の上に、いくら人権を叫ぼうが、そんなのは寝言じゃないか?


こういうことを書くと、「虹の会は特別だ」とか言う人がいる。
「あそこには意思をちゃんと表現できる人がいるから」とか。

いやいやいや、例えば先にも書いたがオグラだって最初はそうじゃなかった。
はじめから彼らを「意思を持たない人間」って断じてるのはあなたの方じゃないか、と俺は思う。
「俺のところと虹の会は違う」。
そう思い込んでいること自体が、あの犯人と同じじゃないか?


俺たちは加害者なのだ。
だから、今それを反省し、どう取り返すか、を考えるべきだと俺は思ってる。
彼らの尊厳を奪ったのは誰なんだ。
そして、生き残った彼らが、我々がそれを取り戻すために、俺たちは何ができるんだ?
そのことを忘れちゃダメだと思う。






2020もち

koshigaya.jpg

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:ニュートラル「ちびとふとっちょ」from「誰も知らない泣ける歌 2」)
→ちびとふとっちょが恋に落ちました。
という。
まあそういうこともあるでしょうが、どうでしょう。
お互いのいいところを好きあいました、と。
ふむ。
ま、泣ける人もいるのかもしれない。
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