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スーパーちんどん・さとう

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避けないで見てみて ★ 映画 「37seconds」


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「37seconds」という映画を見てきたわけですが。
アレですね、俺は50代なので、夫婦50割ですよ。
なもんで、アキ坊と「映画に行こうか」という場合に、夫婦50割は背中を押してくれます。
1800円と言われると高いけど、まあ夫婦で2400円だったら、まあいいか、みたいな。
これね、高校生とかも割り引いてるのかな。
若い人を割り引いたら、その人の人生にとって映画が重要なモノになると思うので、まあ若い人をもっと割り引いた方がいいような気がしますね長い目で見ると。

とまあ、そんなわけで、これは障害者の話で。
障害者自身が主役を演じているということで、まあその辺はとても好感が持てます。

なんでしょうね、俳優が障害者を演じる、というのは確かにあるし、それは確かに素晴らしい演技力だな、と思える時もあるんです。
でも、それはやっぱ解釈が「健体者寄り」なんであって、健体者にわかりやすく障害者を演じる、ってことでしかない、と言う面があります。
つまり、まあこうした映画の場合、健体者に障害者の世界?をわかってもらいたい、ということなんだろうから、それでもいいのかな、とは思うんだけど、演技力さえあれば。

でも、どっか演技しきれないところもあるわけです。

コバが立ってる。
立ってるんだけど、なんだろう、立ってるだけで、「こいつちょっとおかしいな」と思わせる何かがコバの立ち方にはある。
それって、いわゆる我々の想像を超えていて、例えば「おどおどしている」とかだったら想像の範囲内だけれど、そうではない。
おどおど、ではない。
かといって、「まわりが目に入ってない」というだけでもない。

この辺の某ってのは、まあ俺らにはよくわかるわけだけれど、浅い監督とかだとこれを単純にわかりやすく「おどおど」とかの表現にしちゃうでしょ。
そういう映画を見ると、ちょっとまあ残念なわけですよ。
リアルじゃない。

ま、映画ですからリアルである必要はないんだけど、でも、「障害者のことをわかってほしい」という現実につながる表現であるのなら、そこはやっぱちゃんとやってほしい。
やってほしいが、それが監督やスタッフの「想像の範囲外」だった場合、それって表現されないんですよね。

この主人公が時折見せる、「困惑でもない」「笑ってもいない」かといって、「諦念が支配もしていない」という表情。
これね、すごくなんか普段見る気がするんですよ。
浅い表現だったら、ここは「諦念だな」という場面で、「諦念が支配していない表情」というのが来る。
といって、諦念がないわけじゃない。
このあたりの感じが、まあ彼女は障害者本人、ってことだから意識とかじゃないのかもしれないけど、すごく伝わってくるし、なんだろう、「ここは泣くところだろう」という場面の、泣きはしないけど彼女の鼻の動き、みたいのがね、ものすごくこっち側に刺さってくる。

この映画は、過去に触れない。
主人公の彼女の生いたちにも触れない。
いや、生まれたときに37秒間呼吸が止まった、と言うことだけが描かれる。
そして両親が離婚。
その真意も親からは語られない。
全てが主人公の、こちら側の、「想像」にゆだねられる。

このあたりの描き方、なんかすごく斬新だと思った。
障害者モノだと、どうしても人は過去に触れたがる。

この映画は、今から未来しか描かれてなくて、新しい扉を開け続けることが人生である、と我々に訴えてくる。
生まれたから、とりあえず毎日をルーチンできるから、ということじゃなく、生きてきたという意味は、常に新しい扉を開けることなのである、と。

そういう意味で、施設にいたらできないし、この主人公の冒頭のように「過保護で子ども扱い」だったらできない。
親は心配のあまり、どうしても子が新しい扉を開けることを拒否する。
この映画では、親が主人公の服を見て「なんで!こんなチャラチャラした服を着て!」と叫ぶ場面がある。
酒を飲んだと言えば、誰と飲んだ!誰と一緒にいた!と責め立てる。

ま、よくある話です。
そして、この映画を見ても、恐らくそういう親は、この映画に感動しながらも、「ウチの子とは違うから」と、子どもに絶望的な一言を吐くだろう。
よくある話だ。

この映画に足らないモノがあるとしたら、主人公を取り巻く人たちが、彼女によって成長していないことだ。
というか、もうそれを越えちゃってル人たちが彼女が新しい扉を開ける手助けをしてくれるわけだけれど。
いや、それはそれでいい。
これは健体者の為の物語ではないから。
共に成長する、なんてのは実際にはまやかしだし、耳触りのいい「ボランティア精神」に溢れた、ある意味「本人を疎外する言葉」だから。

いや、とにかく見てほしい一作です。
障害者モノはちょっと…、という人も、いや、俺もそうなんだけど、これは受け入れざるを得ない一作だと思う。







(BGM:D-DAY「おやすみ」from「MICO’S KITCHEN」)
→埼大のオールナイトで、ハードコアパンクスにいろいろ騒がれたりして、それをはね除けてという感じもなく、どっか淡々とやってたのを思い出す。
音が鳴り始めたのに、バックステージで手袋がはめられない、とかって焦ってたのもなんか印象的でした。
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