FC2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - -
- - 1 2 3 45
6 7 8 9 10 1112
13 14 15 16 17 1819
20 21 22 23 24 2526
27 28 29 30 31 - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

とにかくリアル ★ 映画 「キュアード」


【スーパー猛毒ちんどん動画】
スーパー猛毒チャンネル  ★  YOUTUBE
知的生涯PV  ★  知的生涯ライブ動画他

【リンク】
スーパー猛毒ちんどんフェイスブック  ★  虹の会本部HP
虹魂的障害者自立生活  ★  虹の会本体ブログ
ミツのホッサ日記PLUS  ★  ツイキャス!!

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら


kaijosha.jpg


「キュアード」を見て来たわけですが。
「CURED」ですね。
治療完了した、というような意味になるでしょうか。

メイズウイルスという、人が凶暴化するウイルスが蔓延、しかし、その治療法が確立し、キュアード、つまり回復者が社会の中でどう生きていくか、みたいな感じの映画。
ウイルスなので、正確にはゾンビではないが、その様は完全にゾンビで。
人食っちゃうし。
いわゆるゾンビの「その後」を描いた映画だとは言えるでしょう。

ゾンビ映画の新しい形ですね、これ。
まあ、これまでもコメディではこの辺を掘った映画はありましたけど、こちらはシリアス。
回復するのも75%、というリアルな数字。
残り25%を政府は抹殺することに決める、みたいなあたりも今の世相を反映してるでしょうか。

この映画のキモは、回復者が、その感染中の記憶を残してる、ってとこなのね。
つまり、兄弟を食っちゃった、とか、そういう記憶が残ってて、まあ悪夢を見るとかそういう感じになる。
そりゃそうで、凶暴化して人を喰っちゃった記憶がそのまま残ってるんだから、その「罪悪感」たるや相当なモノであろうことは想像に易い。

で、一方で、感染してなかった人たち、まあ一般の人、とここでは言いますが、彼らは親や兄弟、子どもを彼らに食われてるわけですね。
ウイルスのせいだ、その人のせいじゃないんだ、という正当な考え方もその虐殺されたという事実の前にはなんの役にも立たない。
そして、「回復者を赦さない」という空気感が一般にはできあがっていく。
回復者差別、ですね。

このあたりをごく自然にこの映画は描いていて、なかなかいい。
回復者で、社会に復帰する人が主人公なんだけど、義理の姉の元で暮らすことになって。
そこには姉の子どももいるんだけど。
家のドアに落書きされたりして。
けどまあ、その姉も声高に「ウイルスのせいであって、回復者自身が悪いわけじゃない」と訴えるでもなく、しずかに、ある意味「耐えていく」という感じ。
その辺もリアル。
声高に訴えていけば、やっぱりその分反発も強くなる。
かといって、差別を放置していいわけじゃないんだけど、でもまあ、個人でやれることなんてたかが知れていて、という現実の前に、静かに生きていくことを選択しているというか。

で、まあ回復者が徒党を組んでそうした差別に立ち向かっていくんだ、という流れができあがってくる。
いわゆる、急進的なやり方で、ってことになるんだけど。
そのボスは、感染前は弁護士、市長だかに出馬寸前だったという男。
この男は主人公を感染させた(噛むと感染する、ここもゾンビと同じ)過去があるわけなんだけど。
治療中も一緒にいた、みたいな。

でもまあ、主人公はそういう「性急なやり方」について行けず、でも姉と子どもに被害が及ぶのではないかという恐れや、同時にこのままでいいわけない、という当たり前の感情が渦巻いているのは当然で、でも、感染中に犯した罪にもさいなまれていて、いったんそこに参加したりもするけど、最終的にはそこへの参加を拒む。
ボスはそれが気に入らない。
そもそもボスは家族に迎え入れられなかった。
けど、主人公は家族に迎え入れられた、みたいなこともあって。
それはなんかすごく愛憎な感じなんだけど。
一緒にやってきたじゃないか、みたいなのもあって。
その辺りもなんかリアル。

で、もう一つのこの映画のキモが、感染者は、回復者を襲わない、という「ルール」。
そこで、この急進的な回復者同盟は残る25%を世に放って、回復者の権利を勝ち取るんだ、という方法を取ることにするわけ。
ま、感染者を抹殺するという考え方は、回復者差別を正当化することにならなくはないわけで、その辺をこの同盟は理念の軸にするんだけど。
そしてまた街は大混乱に陥る。
最終的には、その混乱も制圧され、全員に効く治療法が確立、そのボスは市長選かなんかに「回復者の権利擁護」を掲げて立候補する、というところで映画は終わります。

このボスというのが、まあ感染前も弁護士でいわゆる「この世の春」を謳歌していたような、いわゆる「甘い汁も吸いますよ」みたいな人だったという感じで描かれているんだけど、なんだかんだ感染しようがしまいが、同じような人生にはなるわな、という。
ボスはやっぱどこか「犠牲はつきもの」みたいな、人が死んでも俺のやりたいコトを通す、みたいな感じもあって、いけ好かないところはあるんですね。
人物として気持ち悪いし、どこか偏執狂みたいにも描かれていて。

ま、う~ん、なんでしょう、このメイズウイルス騒動があろうがなかろうが、なんだかんんだ世の中というのはこういうもんだ、みたいな。
同時に、その経過の中にある差別、というものの残酷さ、みたいな。
そういうのをなんでしょう、押しつけるわけでもなく淡々とこの映画は見せてくれるのでとても好感が持てますね。

押しつけない、という意味では、この映画は見る人によってかなり感想が変わってくるだろうな、と思います。

この映画のレビューを見てみると、バッドエンド、と書いてる人もいました。
ま、確かに最終的に感染者を世に放って混乱に陥らせるのだからバッドエンドではあるんですけどね。
でもまあ、俺なんかにしてみると、じゃあ回復者の権利を勝ち取るために、他に方法はあったんだろうか、と思うと、う~ん…。

回復者を忌み嫌う流れってのはもう感情だから、そこでいくら「これはウイルスのせいであって、その人を責めるべきじゃない」というコトを言っても通じないんですよね。
これ、まあ障害者の問題でも同じで、SNSとかで差別発言をしてる人たちって、結局は理屈じゃないんですよね。
だから、そこでどう理屈を説いても理解されない。
歩み寄れないんですよ。

そして、まあ相模原の事件みたいのも生まれてくる。
残念ながら、結局は、やられちゃう。
そこでいくら正当な理屈を言ったところで、殺されちゃうんですから。

こういう中にいると、やっぱまあこの性急な動きも「あるだろうな」というのはとてもよくわかる。
そういう心理になるのもよくわかる。

だから俺なんかはバッドエンドだとも断じられない、というか…。
まあ、性急な方法で人を殺していい、なんて風には思わないけど、じゃあどうしろっていうんだよ…、という気持ちはすごくわかるというか。

世の中というのは強大で、いつの世もその階級構造や体制の構造の中で差別され、殺されていく命がある。
そして、「殺す」ことは、構造の中で正当化される。
そういうことを「されているのに」、犠牲を出さずに差別を解消しようという「殺される側からの改革」は、果たして可能なのか?。

まあ、そういう意味で社会派の映画。
差別の問題とかに取り組んでる人がいたら、ぜひ見てほしい一作ですね。
ゾンビ映画って、まあそもそもが「社会派」だと思ってますけど、これはその後を描いた、という意味で新しい。
「ゾンビ映画なんて…」というなかれ。

さて、まあこの映画はアオテツがぜひ行きたいと言っていて行ったんだけど、予定やりくりしたら封切りの日に行くことになりまして。
すごい封切りを楽しみにしてた人たちみたいになっちゃいました。

ま、最近は「封切り」って言わないですかね。








(BGM:Rabbitt「OYASUMI」from「9.24 ザ・スターリン同窓会」)
→冷静に考えたとき、スターリン同窓会といった場合、TAMさんと晋太郎さんが揃っていて欲しかった気がするが、どちらも鬼籍に入られているのだった。
と思ったら、宮沢さんがいたじゃないか、という。
スポンサーサイト



<< アンダーカードの雄 | ホーム | 通話はご遠慮ください >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP