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スーパーちんどん・さとう

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首相とのコラボとか言う前に「ウチで踊ろう」なんて寝言だって話


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昨年の4月に書いていて、そのまま出さないでいた記事なんだけど。
当時、ステイホームとかうるさくて、その中で人気歌手と首相がコラボでどうこう、ってのがあって、ものすごい腹が立って書いた。
好きだったんだけどね酒ロック。
なぜ出さなかったのかと言えば、居酒屋で愚痴ってる感じだから。
それとまあ、その人気歌手は首相が云々を了承していたわけじゃなくて、勝手にやられた、みたいなこともその後にわかったりして(とは言っても、それもどっか表向きな気がするけど)。
で、もっと軽やかに書き直せないかとずっと思ってたんだけど。
でもなんか、緊急事態宣言解除とかって、その理由が「打つ手がない」とか首相が言ってるというのを見て、まあ基本はこういうことだよな、って思って。
ま、いっかと思ってアップしようと思いました。



う~ん、ちょっと怒っている。
怒りにまかせて文章を書くのは酔っ払ってツイートするくらい良くない気がするが、納まらない。

本音を言えば、「命が一番大事!」とかいう言葉には虫酸が走る。
「世界は一つ!」とか。
「みんな団結しよう!」とか。
特にこういう非常時。

ま、そういう世界を目指そうという気持ちはわからなくはないけれど、だからって、「みんな仲良くしようよ!命は平等!」とか笑顔で言われるのは気持ち悪い。

世の中はそもそも「みんなの命が平等」にはできてないんですよ。
PCR検査の状況を見てもわかるように、一般人は検査できないんですから。
アメリカでは呼吸器が足らず、ダウン症の子が後回しにされているという。
そういう世の中なんだよ。

そういう世の中に腹は立ちます。
それは、まあ確かに「命は平等であるべきだ」と思うからです。

でも、そうじゃない。
そうじゃないから、怒る。
怒ろうぜ!ぶっ壊そうぜ!とは思う。

けど、同じように「命は平等であるべき」と思ってる「命は平等だよね」って笑顔の連中は嫌い。

あのさ、「命は平等だよね」って、俺に言ってもしょうがないだろ。
隣の人に言ってもしょうがないし、友だちに言ってもしょうがない。
んな狭い範囲の問題じゃないだろ、って。

イジメとかが深刻化して、いじめてるヤツに「命は平等だよね」を言いたくなる、それはわかる。
けど、今、「命が平等ではない」ことの大きな根本にあるのは、新自由主義であり、能力主義であり、それを飲み込んで成長することが社会が発展することだ、などと宣う社会だ。
社会と書いたけど、それを牽引してる「うまい汁を吸ってる連中」だろう。
社会がイジメをしてるのに、そこの中学生がイジメをやめるわけがない。

それは巨大で、個人で相手ができるようなものじゃない。
だから、「命はなぜ平等ではないのだ!」と怒りを結集しなければならない。
その怒りの結集が、社会を転覆させる力になる。

けど、「命は平等だよね」などと普段から言ってる連中がそれを目指しているようには見えない。

「毎日穏やかに過ごそう」というのはそう思う。
思うけれど、市丸たちと生きていれば、そこで受ける差別やイヤなことや、「健体者よりも劣った命である」という社会の認識にとても腹が立つ。
それは細かいことだったりもする。
にじ屋の客が、なぜか市丸にぞんざいな口をきいたりすると腹が立つ。
そもそも仲良しでもなければ、なんでもない人間が、なぜ市丸を知的障害者とみるやぞんざいな口をきくのか。
お前、ナニサマだ?とか。
毎日が怒りでしかなくて、「命は平等だよね」などと笑ってられない。

そういう毎日を過ごしていると、そもそも、「命は平等だよね」って笑顔は、安全地帯からしか発信されてないんだろうな、とも思う。

「自分の命が平等でない」「劣っていると判断されている」人が、そんなに冷静に「命も平等だよね」って笑えるとしたら、ガンジーか?。
まあ、「そうなりたいね」ってのはわからなくはないけど、そんなできた人間じゃなければ、そしてそういう形でしか怒りを表現しちゃいけないとなったら、それはそれで大問題な気がする。

結局、自分の命はそこそこで、そりゃSPはつかないが、そこそこ守られてる人が言ってるようにしか思えないんだ。
この怒りを感じてない、ってのは、やっぱ自分にふりかかってないからだろ、って。

さて、こんなコロナ騒動の中、いろいろな有名人、しかも表現者が「ポジティブにいようよ」はまだ抽象的であれだけど、「ウチで踊ろう」なんて言い始めて、まあ虫酸が走るったらない。

階級の矛盾、体制の矛盾を、どうやって表現し、闘っていくか、というのは表現の大きなキモだと俺は思ってるし、そこが合わない表現はすべからく嫌いだ。
ってか、こういう風に難しく言った時点でもうそれはそれでだめなんですけども、まあそれは今だけしょうがないとして。
たいがいこういうのは匂いでわかる。
あ、これ、好き嫌いの問題ね。
というか、この論は全て好き嫌いという主観的なモノの見方で成り立っているわけだが。

歌手も金を持つようになると、平気で「ライブハウス閉鎖とかもあるけど、なんとか家にいてがんばろうよ」なんて言い始める。
お前、ライブハウスから始まったんじゃないのか?その文化を捨てんのか!という気持ちになる。

結局、この状況になって、「家にいられる」「補償がなくても店が閉められる」というのは、もう「特権階級」のモノなんだな、って話。
これは、「コロナを広げちゃならない」とかっていう心の持ちようの次元の問題じゃなく、経済的なこと。
「コロナを広げちゃならない」と、家に籠もって食うモンがなくなりまして死にました、って、ラバウル島か。
あ、いや、でも、英雄に値する行動だとは思うよ。
でも、祭り上げられれば死んでもいい命とか、家に籠もっていても食うモンに困らない命がある、というところに腹が立つ。
祭り上げればいいというもんじゃない。
そこには命の差が歴然とある。

「みんながんばろうよ」「絆だよ」とか、まあ東日本大震災からこちらすげえ流行ってるみたいだけど、そもそももう被災して疲れ果ててがんばれねえし、休業補償もしない社会に絆なんかあるか?。
月末の家賃どうすんだよ。
ってか、それ、誰に歌ってるんだ?

一番ツライ思いしてる人に響かないような「応援歌」は、意味がない。
同じように、「命は平等だよね」という笑顔にも意味がない。
あ、いや、世界警察の大統領が、「命は平等だ」って、ダウン症の子に呼吸器を笑顔で渡すのだったら意味がある。
でも、あなたは大統領でもなければ、首相でもないし、経済界の重鎮でもない。

安全地帯から市丸たちを見下して、「命は一緒」とか言うの、やめてくれ。
「一緒じゃない!」って怒る気持ちを封じられちゃうばっかりだから、そういうの。
だって、安全地帯にいるじゃないか。
釜で聞いた、おっちゃんらを見る?「釜ツアー」みたいなのもすげえ腹が立つ。

「そんなに怒りに震えてる人怖いわあ」「命は平等、っていい言葉じゃないの」というのなら、近づかないでほしい。
そういう人には信じられないかもしれないが、俺にはそれだって仲間がいる。
市丸たちは底辺であることは間違いないが、でも楽しくやってる。
その感覚がわからない人は、そもそもたぶん話が通じない。
勝手にやってほしい。


(4・15記)




本リターンズ

(BGM:THE COLTS「POLICE ON MY BACK」from「LONDON NITE 20th anniversary EXTRAX“tribute to kensho onuki”」)
→これはカッコイイと思う。
クラッシュのカバーなワケだけれど、すげえなんだろう、颯爽と過ぎていくかっこよさ。
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