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スーパーちんどん・さとう

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ま、結局は生き方の問題か


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「ヒロシです」で一世を風靡した芸人のヒロシさん。
今は大手事務所を辞めて個人事務所のような形で活躍しているというインタビュー記事を見た。
ネタを強要され、さして自分では面白くもないと思うようなことを言わされて云々、押し出しはしないが控えめにそういったようなことを語っていた。

その中で、強烈に残った言葉がありまして。
こんなの。
「僕、芸人って、アウトロー、不良だと思ってた。反逆的な匂いがあって、格好いいな、って。でも、今は違う。飲み会や野球チームに参加した方が有利とか、上に求められた通りに振る舞うとか、サラリーマンの方々と一緒ですよ。そこを外していく人が、芸人だと思ってた」
…そういう芸人の世界に絶望した感がビンビン伝わってきた。

今の世の中、芸能界もかなりきついんだろうな、と思うのはこの辺。
結局はこの「芸人という体制に飲み込まれなければ売れない」というあたり。
それでも、売れれば好きなことやれるんだからいいじゃないか、なんだって、どんな仕事だってそれは同じだろう、という意見もあろうかと思うが、いや、「どんな仕事だってそれは同じだろう」というところに彼は「かっこよさ」を感じなかった、ってことなんだから、その論は意味がない。


ちょっと前に、舞台、小さな劇団の云々、という四、五年前の本のレビューを読んだら(本自体も読みたかったが売り切れらしい)、今の特に小劇場では、「…俳優自らが集客した観客が「客席全体の九割、あるいはそれ以上を占めている」って超内輪感覚…」って書いてあって。
オレはよく小劇場の演劇を見に行くけれど、これ、どこか確かに肌感覚で感じていました。
つまり、「チケットノルマ」に追われた役者が、その役者同士の「相互扶助」みたいなものでその世界が成り立っている、というか。
小劇団の「客演」ということについて何回か書いたけど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4012.htmlhttp://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4622.html)、それもどっか似たような感じがにおってくる。

バンドなんかでも、仲のよいバンドを見に行かなきゃな、とか、中身の問題というより「おつきあい」みたいな部分がよく見受けられたりする。
結果、それはなれ合いでしかないから、演奏だってアップはしないだろうと思うのだけれど、結局「ノルマ」に縛られてる中では、「オレのバンドに来てくれたから、オレもあなたのバンドに行く」というのは、あまり例えばよくないかもしれないが、「お土産もらったりお返ししたり」、と同じようなことであるようにしか思えなかったりもする。


バンドとか演劇とか、オレはどっか「世の中に適応できないからやる」もんだと思っていたし、そういう意味ではヒロシさんが言うように「アウトロー」だと思っていた。
けど、「他のバンドと仲良くしなきゃ」「人脈広げなきゃ」とかいうことが一義になっている「雰囲気」は、結局は世の中のサラリーマンと一緒で、なんだか残念な気持ちになる。


もちろん、ノルマを課さなければ劇場も成り立たないし、劇団も成り立たない。
それでは「発表する場」を失ってしまう。
そういう意味では、ノルマは仕方ないことかもしれないし、金を捻出しなきゃいけない事情もあると思う。
その文脈で、お土産をあげたりもらったり、というのもわからなくはない。
それを維持するのがまあ、劇団やバンドの世界の「体制」、なのかもしれない。
けど、「それをするのが第一義」「それがバンドマンの姿」という感じはちょっときつい。
それができるくらいなら、アウトローの世界であるバンドや演劇で何かを表現する意味がなくなってしまう気がする。


同じようなことで、オレはこの世界、つまり障害者運動の世界に魅力を感じたのは、当時、オレが大学生だった頃、その世界には「アウトロー」しかいなかったからなんだな。
オレより年上の人たちはいわゆる全共闘世代の生き残りだったのかもしれない。
そういう「雰囲気」がまだ漂っていた。
世の中の仕事なんかできそうにないけど、この世界のことはよく知ってて、同時に制度の外に、つまり社会の枠を超えたことを実践してたりした。
時に捕まったりするかもしれない。
でも、それがなんだ、という笑ってる雰囲気がオレは好きだったんだな。

障害者の云々と言えば、福祉と言えば聖人がやってる、という雰囲気は、大学の時にこの世界に触れた時に壊されたし、壊そうと思ってやってきた。

社会の枠組みの中から、社会の枠組みを問う、ということは、できないわけじゃないと思う。
だから、つまりはそれは「好き嫌い」だし、「どう生きたいか」という問題でしかないので、何かを否定したいわけじゃない。

アウトローでいたい。
じゃなければ、やっぱり市丸たちは聖人の中に、聖人として存在するしか生きる道がなくなってしまうと思ってるし、聖人はどんな場所でも聖人たり得るワケですし。
そもそも、差別されてきた側が聖人でなきゃいけない、というのはなんだか腑に落ちないところもある。

最初は俺には給料もほぼなかったし、工藤さんと一緒に住むことでなんとかかんとか何かが始まった。
そして今に至るわけだけれど。


社会の仕組みに厳格であることは悪いことじゃないと思う。
けれども、社会の仕組み自体がおかしい、ということから始まってるのが障害者運動であって。
今の社会の仕組みに納得ができてないわけで。


うまく書けないけれど、なんだかんだ結局、体制に飲み込まれるのが大人、体制に飲み込まれるのがバンドマン、小劇団、ということにはものすごい拒否感がある、という話。
そして、飲み込まれてる感じの芸人さんもあまり好きじゃないな、という話。

ま、好き嫌いの話ではあります。







(BGM:the GOD「DODEMOIIZE」from「Live Concert 2019」)
→やっぱバンドを続けてくれているというのは嬉しい。
とにかく見に行きたくなる。
このライブの日も後で知ったんだよな…。
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