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スーパーちんどん・さとう

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「つまらない一日」が大事


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「楽しかったです」が手強い、という話を書きましたけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5244.html)。

これ、まあ確かにね。
「つまんなかったな」とか「めんどくさかったなあ」と思っても、先生に聞かれたら「楽しかったです」と言ってしまう心理、というのはわからなくはないんです。

ま、それはその場を納める処世術というか。
そういう面があります。
大人でもありますかね。
飲み会なんかで、自分は楽しくなかったけれど、でもまあ「楽しかったなあ」なんて言う感じ、ありますよね。

まあたいがいの場合は、「つまんなかったな」というのは残っていて、でも一応、その場を納めるために「楽しかったです」と言っている、ということですよね。
つまり、その本当の感想、というのは実は残っている。
というか、そっちが事実ですよね。
まあ、「楽しかったです」は消えますね。
というか、あまり自分の人生には関係ない。

だって、実際は「つまらなかった」んだから。


これね、まあ子どもだったりすると、その「楽しかったです」に逆に囚われてしまって、つまらなかった、のに、楽しかった、と認識してしまったりすると思います。
楽しかったらそれはそれでいいんですけど。
ま、それに、そう言っていれば、周りが納得してくれるし、というか、周りの大人が。
例えば先生だったり、親だったり。
まあ、それにいろいろイベントをやってくれたりしているわけだから、まあ「つまらなかった」というのは申し訳ない。
親がやっと休みを取って遊園地に連れて行ってくれたとしたら、やっぱりそこは「つまらなかった」とは言えないところがありますよ。
その上、「楽しかったです」と言っていれば、まあ丸く収まる、という。

これ、逆の立場として考えると、先生や親なんかも、まあそう言ってくれれば、まあ収まるわけです。
「よかったなあ」で終わることができる。

ま、それはそれでいいんだと思うんです。
子どもはもう子ども時代と同じことをしてくれても喜べないよ、という思春期とかにあっても、まあそういう「親や教師への気を遣う」ということについては、悪いことじゃないというか、「そういうもんだ」という気がします。

でもまあ、これはだんだん「くそばばあ」とかになっていきますよね、たいがい。
親と一緒に出かけるより、友達と出かけるのが楽しくなり、だんだんその親との「イベント」は少なくなっていきます。
そういう中で、だんだん親や教師に対しての「楽しかったです」はなくなっていくわけです。
なくなっていくというか、そもそも「楽しかったです」は本当じゃないから。


ま、これね、実際状況を見ていれば、本当に楽しかったかどうかはわかるもんです。
表情とか、動きとか。
でもまあ、そういうことはそれとして、まあ「今日どうだった?」と聞いて「楽しかったよ」を聞いて落ち着く、というか、そういう面も大人側にはあるような気がします。


しかし、これが知的障害だった場合、そもそも「くそばばあ」が出なかったりします。
家で食べない、いわゆるハンストとか、家の前まで来たのに家に入らないでどっかに行っちゃうとか、まあそういう行動に出たりすることはあっても、これら、逆に「どうしたの?」って改めて心配されちゃう、という。
いわゆる「問題行動」とかってされちゃったり。
ハンストに至っては、病気を心配されたり(まあ、それはそれであるんですけど、例えば通う作業所とかでもりもり食っていたら、そりゃハンストですね、って話で)。

つまり、それが「くそばばあ」だと周りの大人が認識しない、というか。
そうなると、そのまま幼児の時の「あんたこれ好きよね~」が延々続いちゃうことがあるんです。
毎日の親との散歩が止められない。
親も高齢になってきついんだけど、それがやめられない。
毎週ジャスコに行く、毎週プールに行く、まあそういうことが、ずっとずっと続いている、というような話もよく聞きます。

結局子どもの頃の「楽しかったです」が続いちゃうんです。

親としては、昨日と今日は違いがありませんから。
そりゃ、昨日楽しかったことを今日も楽しいと思うのは当然です。
けれども、それが十年、二十年と続いたらどうでしょうか?

「くそばばあ」が出ない、周りがそう認識しないことが、彼らを「楽しかったです」から解放させない、というか。


「知的障害者はずっと幼児だ」と思ってる人がいるのなら、それは違うと思います経験上。
だから、「幼児の頃と同じことを繰り返していれば本人は楽しいはずだ」という思い込みに世の中は陥りやすい。

今でも、市丸なんかが実家に帰ると、どうも子どもの頃から楽しかったはずなことを親が用意していたりするようで、実際問題、「どうなの?」と聞けば、苦笑いが返ってきたりします。
「くそばばあ」とまでは言わずとも、「もうそれはオレは楽しくないんだよ」「俺が行きたいのはプロレスなんだ」「ストリップなんだ」ということを言えればいいんですが、そうじゃなくて、彼は一応、その場を納めるために「楽しかったです」を繰り返す。

もし、彼が今でも実家に暮らしているとしたら、それが延々続くわけです。
実家に帰ると、同時に実家にいた頃の「爪噛み」が復活し、小指の爪がなくなるまで食べて返ってくる。
まあ一気に戻っちゃうんですよね、「楽しかったです」に。


まあ、そうやって「楽しかったです」が続いていく。
その中で、彼らは「本当に楽しかったかどうか」を検証することをやめてしまう。
つまり、ディズニーランドに何度行こうが、楽しかったかどうかではなく、「楽しかったです」と言う。

これは、未来に向けて、「今日は最悪だったけど、明日はいい日にしよう」みたいなことを潰してしまう。
つまり、もっと言うと、「楽しくなかった今日」があるからこそ、明日があるわけです。
同じ「楽しかったです」という日が続いていたら、未来はそこにはないんです。


まあ、ウチでは「楽しかったです禁止」なんです。
ビラ配りとかで結果や様子をみんなの前で発表するときに、「楽しかったです」は禁止。
楽しかったとしたら、どう楽しかったのか、を話しましょう、という感じでやってるんですけど。

失敗は成功の母だから。
なにも、よくない一日だったからといって、別にどうでもないじゃないですか。
という話しでした。







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(BGM:みのもんた「夜の虫」from「夜の虫 / 花と小父さん」)
→昭和歌謡を沖縄風にアレンジしてきました。
こういうアレンジいいなあ。
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