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スーパーちんどん・さとう

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ウチの現会長工藤さんなんかは、簡単に言うと身体が動かないので、介助を使って生活をしています。
まあそれを我々は「介助」という言い方をしていて、それは介護ではない、護られるのではない、という強い思いがそこにあります。
介助する人も、介助者、と呼びます。
介護者ではないし、ヘルパーでもない。
とはいえ、制度的にはヘルパー制度を使っているので、公式には「ヘルパーさん」ということになるんでしょう。

そもそも、ヘルパー制度というのは最近の言葉で、といっても30年くらい経ちますか、そもそもは「家庭奉仕員派遣制度」と呼ばれてました。
いわゆる「家政婦さん」という感じでしょうか。
その流れが「ヘルパー」という呼び方になります。
日本語で言うと、それが「介護」ということになるでしょうか。
つまりあくまで制度所以の言葉であって、我々がそれを選んだわけじゃないし、なので、まあ前からずっと我々はそういう制度とは全く関係なく、「介護ではなく介助」ということでやってきました。
それを変える気は今のところありません。

で、加えて言うと、我々は、介助を「させる側」と「する側」という言い方をします。
させる側、つまり先のことで言えば工藤さんがそれにあたり、介助者が「する側」ってことになります。
介助の内容については、主体はあくまで障害者側にある、ということですね。
ここをブラす気持ちも変わりません。
ある意味、介助者はロボットであり、その時間内はさせる側の支配下にある、という考え方です。

この「ロボット」という言葉を使うとけっこう論議を醸してしまうんですが、まあそれも変わらずずっとそう考えています。
介助者側の思いや信念は、少なくとも介助の内容に立ち入るべきではない。

ということでですね、その辺について今回は論議をしたいんじゃなくて、そういう風に考えている、ということです。
その上で、我々は「介助者は、させる側、つまり障害者の友達ではない」という風に考えています、ということを言いたかったのであります。

いや、これは語弊があるんだけれど、長い間やってれば友人のようになっていくこともあるでしょう。
でもそれは、その介助の時間内、介助の内容には関係ないんです。
そこの線引きをしっかりできている人が逆に友人になれるのかもしれませんね。
というか、長く続くというのは、そこの線引きが理解できている、ということでしょう。

友達と会うのなら、介助者と一緒に出かけて友達に会いに行く、ということであって。
友達を迎えるのなら、介助者を使ってお茶を入れて友達を家に迎える、ということであって、介助者はあくまでその人の動きを援助することだから、「介助者を迎える」なんてことはあり得ないし、つまり、介助者は友達ではないんです。

いや、それよりも簡単なのは、介助者は金で雇ってるんです。
金で雇って、その時間に来させるわけですね。
友達を金で買いますか?
それを友達とは言わないでしょう。

しかし、世の中どこか「介助者=友人」と思ってしまってるところがあります。
つまり、「優しいお友達がたくさんいてあなた幸せね」みたいなことです。
それは、介助者が「思いやりにあふれて優しい人」といったような「思い込み」があるからだと思うんです。

介助は仕事です。
このコロナの中でも接触をして、誰かがしなければならない仕事でもあります。
友達ではなく、仕事なんです。

もうちょっと話を進めますと、もし、「癒やし」がほしいのなら、それは介助の外で、例えば宗教に助けを求めると言うこともあるでしょうし、そういう集まりにでも出かければいい。
その「出かける」ことに手を貸すのは介助者だけれど、介助者は、癒やしそのものにはなりません。

というか、いや、それを「求めて」介助をさせてはいけないんです。
蛇足で言うと、結果、それはあるかもしれない。
させる側とする側の性格とか、いろいろがぶつかった時に癒やしを生む可能性はある。
そりゃ、人と人とがぶつかってるんだから。
でもそれは「求める」ものではなく、「結果」でしかありません。
その結果を求めるモノ、とするのなら、それはさせる側もする側も失格、ということになるかと思います。

ということで、そこまでが前提です。

で、何が言いたいかというと、先日高視聴率のまま終わったというドラマ、「私の家政夫ナギサさん」の話です。
これ、瀬戸康史さん、多部未華子さん、と、俺が好きな俳優さんが出ていたので見ていたんですけどね。

ミツ言うところの、「おじさんが勝手にやって来て掃除する話」ということなんですが、つまり、おじさんが家政婦、家政夫、ということですね。
その雇い主の方が、主役の多部未華子さん、ということになります。

これね、いや、もう家政夫さんが、ビジネスを超えてくるんですよ。
いちいち超えてくる。
もっというと、主役の多部未華子さんの人生を「支配」してるようにも見えるんです。
というと、ちょっと言い過ぎだけど、仕事に行き詰まったらアドバイスする、で、うまくいく、とか、まあ家政夫の仕事じゃないんですよ、もう。
まあ、ベースに昔同じ仕事をしていた、っていう設定はあるんですけど。

で、結果、その家政夫に「癒やされるわ~」みたいなことになって、「あなたがいない生活なんか考えられない」となっていき、最後は結婚するという。

…おいおいおい、と。
これさ、こういうことを目論んで家政夫になろうとする人が出てくるし、逆もまたしかり。

これさ、すごい家政婦の仕事を誤解させちゃうんじゃないか、って思うんですけど、まあ家政婦の世界のことは知らないのであれですけど、文句言うベテランの家政婦さんとかいないかなあ…。

家事を完璧にやってくれて、時間が作れた、楽になった、という以上の家政婦さんって、いや、怖くね?むしろ逆に。
オレならちょっとごめんだな。
生活空間に入り込むのはいいが、生活そのものに入り込まないでくれ、って思う。

というか、こういうのが介助者にも延長されて「癒やしを与えるのが介助者だ」とかなっちゃうのは断固拒んでいかねばならないわけであります。





車募集

(BGM:Bob James「Ludwig」from「Foxie」)
→この人のクラシックをやる感じがすごく好きで。
この曲もそうなわけだけど、クラシックをアレンジするというのはどっかすごく憧れるのである。
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