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スーパーちんどん・さとう

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井上たちは怖がっている


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井上たちは、健体者のことを怖がってるところがある。
怖がっている、というのとはちょっと違うか。
健体者の言うことには「間違ってない」と思い込んでいるフシがある。
なにかトラブルがあったとして、そのことをまくし立てられてもすぐに理解できない、ということもある。
「まくし立てられている」という状況だけが残って、その中身が伝わっていないのだから、とにかく、弁解をしようにもそもそもの話が理解ができず、その勢いだけで押し切られてしまう、ということになる。

まあ、これはまくし立てられてる、という場面になった時に、という話だけれど、一事が万事そういう感じになってしまう。
つまり、例えばにじ屋で何かを聞かれたとする。
聞かれたとして、その内容がよくわからなかったとする。
そうなると、まあ井上なんかはアタマが真っ白になってしまう。
それはそもそも「聞かれた内容がわからない」から真っ白になるというより、聞かれた瞬間に真っ白になってしまう感じである。

それでも毎日の中で、その傾向は薄まってきた。
けれども、本質的な部分は払拭できているわけではない、という感じ。

つまり、彼らは「ビクビクしている」のである。
時にそれがどうしようもなく「まくし立てられている」→「追い詰められる」になった場合、逆ギレを起こしたりするが、これはつまり「ビクビクしている」がベースにある。
追い詰められて手を振り回す、というイメージだ。

これは言い方を変えると「劣等感」である。
「知的障害者も同じ人間だ」などといくらお題目を唱えようと、彼らは社会に対して劣等感を抱いている。
それは、「看板の字が読めない」「ニュースが何を言ってるかわからない」「人が喋ってることを理解するのに時間がかかる」「メニューがわからない」というような事実から紡ぎ出された結果である。
一方で、たいがいの人は「看板の字が読める」のだから、それは劣等感になってしまう。

本来、「何を言ってるかわからない」のだったら、聞けばいい。
「メニューがわからなかったら」、聞けばいい。
だけれど、びくびくとした劣等感は、それを聞くことを妨げる。


毎日彼らと暮らしていると、「ビクビクするなよ」と思う。
そういう彼らを見ているのは辛い。
一方で、彼らを無意識にビクビクに追い込んでいる社会に対してとても憤慨する。
そして、もっと彼らがビクビクしないで暮らしやすい社会にならないもんかと思う。


まあ、今はどっか「知的障害者は生産性がない」とか、「知的障害者を外に出すな」とか、いやいや、殺しちゃった人もいたわけだけれど。
そういう世の中の雰囲気になってきて。
誰もが余裕がないんだろう、とは思うんですよ。
その中で、「お前らも頑張って生きればいい」というのはまあ簡単だけれど、といってもそれしかないんだけど、同時に、その中で、そういう視線にさらされ続けている彼らのきもちを考えると、それもお題目だよな、とも思う。

よけいに彼らがビクビクする要因が今の世の中にはあるというか。
数十年前から比べて、おそらく不景気になるのと連動して、彼らへの視線は厳しくなってきてて。
ま、確かに昔からそういうヘイトとかってのはあったけど、どっか「そんなバカなこといいなさんな」とたくさんの人がいさめてくれるところがあったと思うけど、それが少なくなって、「そうだそうだ!」と、ヘイトを応援しちゃう「大多数の人」が増えているという感じがする。

で、その「ヘイトを仕掛けてくる人」ってのが、彼らにとっては健体者で、それも彼らにとっては恐怖になっている。


で、先日、いいぞう師匠がにじ屋に来てくれて。
みんな喜んで。
ちょっと飲みに行きましょうか、となり。
いいぞう師匠、お時間ありますか?と。

で最近あったこととか話してたんですけど、「盆踊りを一生懸命やってる人たちがいて」とか、「野宿大好きな人がいて」とか、まあそういう人たちの集まりに参加してね、という話を師匠がしてくれたんですよ。
「ゆるくてねえ、なんかいい感じですよ」と。

師匠の周りには、そういう人たちがたくさんいるようで、いいなあ、という話なんですけど。

でね、たぶんだけど、井上たちがそういう人たちと一緒に毎日を過ごせたら、この「健体者が怖い」は変わってくるのかな、と思ったんです。
いや、「そういう人たちもいるんだよ」というのは井上たちに伝えたいな、と思いまして。

「健体者」って君たちはひとくくりにしているけど、そうじゃないんだよ、と。
イヤな人もいるだろうし、君らに恐怖を与える人もいるだろうけど、そういう人たちばかりじゃなくて、同じようなスピードで、いい感じで生きてる人もいるんだよ、と。


今のセルフレジ化も、彼らを追い詰める要因にしかならなくて。
アレをやらされるたびに、「これわかんない」と言えたとして、でもそれを聞くという劣等感を彼らは毎回感じなければならない。

でも、セルフレジなんかくそ食らえ、って健体者もいるんだよ、と。
あれは、健体者が仕掛けた君たちに劣等感を与える機械、ではないんだ、と。
一部の、アレで儲ける連中のためのもので、イヤだな、と思ってる人も多いんだ、ってことは伝えたい。


ま、この辺、彼らを馬鹿にしてるかどうか、とか、劣等感を植え付けようとしてるかどうか、とか、そういう気持ちの問題になりがちだけれど、結局は世の中の状況が悪くなっていけばなっていくほど、どんどん彼らはその底に、底に沈んで行かざるを得なくなる。

彼らが周りを怖くならない状況というのは、逆に言えば全体が上がっていく状況なのだろうな、と思う。
余裕がある社会というか。
セルフレジとかじゃなくて、ゆっくり彼らのペースに合わせてくれる世の中、というか。


そんな世の中にしていきたいものだ。
けれど、まず、「井上たちは健体者を怖がっている」ということを我々はしっかり受け止める必要があるな、と思っている。








(BGM:柳葉敏郎「われ幻の魚を見たり」from「You-Go(融合)」)
→サウンドとしてはまあ、普通なんですけどね。
けども、もう柳葉さんで、「われ幻の魚を見たり」というタイトルでもうおなかいっぱいになりますね。
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