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映画「罪の声」を見てきましたけど。
これ、3年ほど前に読んでますね原作(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4011.html)。
その時に「映画化した方がいいですね」と書いていたけど、されましたねやっぱ。
いや、これはなかなか面白い小説だったと記憶。
映画も面白かったですよ。
2時間半という長尺の映画ですが、長さを感じさせないし、中身もすげえなんだろう、ぎゅっと詰まっていて、見終わったときの充足感がしっかりあります。
今年、まあコロナもあって映画は奮わなかったけれど、なかなかの秀作と言っていいと思います。
グリコ森永事件、というのがあって。
ま、ここでは「ギン萬事件」、とされていますが、まああの事件をフィクションながら解決していく物語。
というか、これ、真相じゃないか?という気がしてくる。
この事件、未解決事件故、いろいろと推理があります。
前半と後半では犯人が違うんじゃないか?
違うというか、グループ内で内ゲバがあって、違う方が主導権を取ったのではないか?みたいな。
同時に、結局身代金は受け取れてない、ということになっていて。
しかし、内々に製菓会社と取引をしていたのではないか?とか。
株価操作が狙いだったのではないか?とか。
しかも、まあ表向きには誰も死んでない、ということになっていて。
そんなことで、ちょっとしたこの事件が神格化というか、犯人がヒーロー扱いされる部分もあります。
直接殺した、とかそういうのがないから。
とはいえ、製菓会社は売り上げが落ち、社員がリストラに遭ったりしているから、人に迷惑がかかってないわけじゃないんだけど。
でもどっか、「裕福な会社をひっくり返してやりたい」みたいな感じや、警察をおちょくる感じとかも、どっか庶民の思いをスッとさせてくれるところもある。
そういうことから、全共闘時代の残党の仕業じゃないか、みたいなことが言われたりもしてて。
俺自身はこれはどうも18歳くらいの頃だったらしく、当時のことを思い出すと、まあテレビとか新聞くらいしか見てませんが、「痛快だな」とは思っていたなあ、と思い出します。
店の棚からお菓子がなくなろうが、そんなに困る年でもなく、それでいてどっかグリコの社長が自力で逃げた、とか、あまり捜査に協力的じゃない、みたいな報道も当時あったりして、どっか大企業的「きな臭さ」を感じてもいた。
んなわけで、警察をおちょくる犯人にもどっか好意的に見ていたな、という。
それにそもそも、こんだけ大量の物証があるのに、どうして犯人一味の例えば実行役だけでも捕まらないのか。
そこにすごく不自然さも感じていて。
この映画では、この事件は元全共闘の闘士が株価操作を狙ったのが発端、ということになっていて、その資金は「中央から出ていた」と。
つまり、政治家である。
確かにそう考えると捕まらなかったのも、忸怩たる思いはあるが納得がいかないでもない。
この映画では、この事件は結局、急造の犯行チームにいたヤクザモノが内乱の引き金を引く感じになって、うまくいかなくなる。
しかも、中央のスポンサーに抜かれた金額が大きすぎて、チームの一人一人がもらえた金が300万程度で、それもチーム内に不満が鬱屈する理由になった、という。
つまりは、大して「儲け」にはならなかったという。
これもなんかリアルな感じもある。
で、まあこの映画は、犯人の電話連絡に使われた「子どもの声」が、実は自分の声だったということを知ったごく普通のテーラーの主人と、30年を経て改めてこの事件の真相に迫ろうとする新聞記者のダブル主演、という感じなんですけど。
事件を追っていく中で、子どもの声は3種類あったんだけど、残り二人が実に過酷な人生を歩んでいたことを知る。
まあ、やっぱ30年経って、時効も経て、「そろそろ」と語り出す関係者というか、目撃者というか、そういうのが出てくるわけですよ。
あの時は言えなかった、というのも、友人が関わっているかもしれない、みたいなことでね。
しかも、その友人はそのおかげで過酷な人生を送ることになっている、ということだから。
記憶に蓋をして生きてきた人たちが、ちょっとちょっと語り出す、という。
これね、まあ表向きには人は殺してない犯人、ということになっているけれど、これはもう、殺してますよね。
人の人生をめちゃくちゃにしている。
しかも子どもだ。
よくワケもわからずテープに「声を吹き込んだだけの子ども」が。
実際にこうだったかはわからないけれど、実際に「吹き込んだ」という子どもが現れていない以上、あり得ない話ではないな、と思う。
もしや、「それは私だった」と名乗り出れない事情、それも「名乗り出たらより困難な状況に陥る」という場所に彼らはいるのかもしれない。
ここに描かれているのは、確かに創作の物語だ。
だから事実かどうかはわからない。
わからないけれど、しかし、どんな犯罪においても、そこに巻き込まれた人がいて、被害者じゃなくても、それによって人生がめちゃくちゃになっている人がいるんだ、ということを我々は覚えとかなきゃいけないな、ということをこの事件を題材にこの創作物は教えてくれる。
小さな犯罪、大きな犯罪、人を殺してない犯罪、まあいろいろあるけれど、どこにも闇があって、その闇に取り込まれてしまった人は必ずいるのだ、と。
(BGM:Yo-Yo Ma, Cyro Baptista, Nilson Matta, Etc.「Chega De Saudade」from「Obrigado Brazil」)
→ボサノバのリズムってけっこう好きなんですよね。
鍵盤やってたときに、「2小節で一つのリズムなんだよ」と聞いて、ちょっとドラムとか叩かせてもらったりして(けっこう優秀な生徒だったのでドラムとかも使わせてもらえてた)、のめり込んだなあ。
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