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スーパーちんどん・さとう

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「定型」を疑いたい


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「定型」というのがあります。
今だと「デフォルト」、とか言いますか。
初期設定とかそういう意味ですかね。

ま、障害者が施設を出て一人でアパートを借りて暮らす、みたいなことって、一般には「自立生活」とか言うのがデフォルトですか。
「障害者自立生活運動」みたいなことを言いますのがデフォルトですか。
ま、もうデフォルト使うのやめます。

ウチもそういうことをやっている、ということですけど、まあ、「自立生活」という言葉は普段はあまり使わないですが(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3356.html)。

時折なんですか、テレビなんかでやってますね。
「自立生活への道」、みたいな。
「○○ちゃんの自立生活」みたいな。
ま、どうですかね、見たりすることはありますけど、基本見ませんけど。

研究会じゃないけど、全国大会とかそう言うのとかでもたいがいこの「自立生活」ってのは話題になります。
というか、どこの全国大会でも、たいがい分科会のテーマになっていたりします。

いろいろな団体が全国大会をやってますけど、どっかに行く、と決めてるわけでもないんですが、日にちとかあったり、お金があったりすると数人で行ったりします。
昔で言う社会党系、共産系、みたいなことも関係なく、どっちにも行きます。
たいがい井上たちのアレとしては、交流とかそういうんでしょうけど、俺なんかも付いていったりしますが、俺はあまりそうですね、どっか遊軍で、ちょっと気楽に参加してるんですが。
ま、終わった後のその土地の飲み屋とかも楽しみですし、そもそも旅行は嫌いじゃない。

と言うのもずいぶん前の話で、俺が行くことはもうほぼないんですけど、なんかレポートとか見てると、そういう「自立生活」というのには、定型があるんですよね。
これは昔で言う社会党系も共産系もたいがい同じでしたね。
ま、自立生活運動はそもそも社会党系が強かったわけですが。

例えば、親と介助者(ヘルパーとか支援者とか、いろいろ言い方はあるけれど)が話をする場があったり。
介助者が付ける日記があります、とか。
なんだかんだ親がその家に入り込んでいたり。

まあ、そういう感じ。

つまりは、親が親代わりを親の指導の下、新たに作っている、という感じですね。
介助者という親を作ろう、という。
いや、全否定するつもりはない。
わからなくはない。
親としてはボランティアとか介助者とかいろいろやな目にあって今日まで来たんだろうし、口を出すのもわからなくはない。

ただ、一つ言えるのは、手放しで子どもを「独立させる」つもりはないわけだ。
親の「自分色」の自立生活を、子どもに「やらせる」という形態である、ということだよね。
わかる。
わかるよ。
知的に障害があったりしたら、そりゃそうなるのもわかる。
わかるよ。

介助者の日記、というのも、まあ申し送りもあるだろうけど、たいがいはラブホにおいてあるノートと同じだ。
それ、まあ初代会長のあき江さんがやってた。
介助者がボランティアで、学生だった頃ね。
つまり、あき江さんとしては、「学生サークル」のノリを出したかっただけで、そこにあまり意味はなかった。
結局は、介助者主導というか、介助者自身が主体であると、彼らに「勘違い」させるための装置であって、深い意味はない。

ま、確かに、本人がボケてきたとか、そういう場合はそうした「申し送り」は必要になってくる場合はある。
それは必要に駆られてやることである。
もしくは、あき江さんのように「そういう目論見で」始めることもあろう。
どっちにせよ、それは本人が、もしくは本人が認識できなくなった場合の必要性というのがスタートになる。

つまり、そうした必要性がないまま、「自立生活とは介助者同士のノートがあるものである」というコトで始まってしまうことが多い、ということを指摘したいのだ。
定型がノートありきだから、ノートはあるべきだ、となってしまう、という逆説。
親が別に家に入り込まなくていいと思うんだけど、というか、それって別宅に住まわせてるだけジャン、とも思うんだけど、それが「定型」だから、そうなる、というような。

冷静に考えれば、自立生活なんて言うものは、各々違う生活の色があっていいわけで、もっというと「ダメになる」という選択肢もないわけじゃない。
けれども、介助者の方も、例えばヘルパー研修なんかで「障害者はネガティブになりがちです」「ポジティブになれるように声かけしましょう」なんてことを教わってくるモンだから、それが「定型」だと思い込んでやってしまう。
そして、まあそれは親が望むことでもあるから、そこで合致してしまい、定型は定型としてより強化される。

何時に寝るか、今日は夜更かしするか、今日は何を食べるか、もしくは今日は食べないか。
そんなことは自由であるはずで、それが「親から独立する」≒「自立生活」の意味なんだろうと思うけど、ポジティブ教と定型によってその自由度が狭められたりしてしまう。

ま、例えばグループホームなんかを自立生活と言えるのかどうか、ちょっとその言葉を使わない俺にはわからないけど、その場合、まあ決めちゃった方が楽なんですよね(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5220.html)。
世話する方の人が。

だからまあ、それが定型になり、それを見た人がまた「これが定型か」と思ってしまう。
つまりは本人不在なんだけど、まあそれでも「自立生活ビジネス」と言うようなモノはそこで「定型」の上に成り立ってしまう。

自立生活にプログラムがあるのだったら、それはもう自立生活ではないし、定型があると「考えるのなら」それは、もう自立生活じゃなくて「支配生活」だとオレは思うんだけど。
もちろん、先に書いたようにいろいろな要因があって、その中でもまれて「仕方なく」産まれてきたモノが「定型」だとは思うんだけどね。
だからそれをまっこうから否定する気はないのよ。
どっちかというと、その「要因」を俺は潰したい。

ま、ちょっとすっ飛ばしてるんであれだけど、まあ大枠そんな風に思ったりしています。







(BGM:郷ひろみ「逢いたくてしかたない」from「THE GREATEST HITS OF HIROMI GO Vol. II [Disc 1]」)
→歌い上げる系のいいバラードだよな。
作曲の方、都志見隆さんという人なんだけど、ちょっと見てみたらいろいろ書いてる人なのね。
このサビはもう知らない人はいないという感じで、なかなかどうしてこういうのすごいな、と思う。
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