【スーパー猛毒ちんどん動画】スーパー猛毒チャンネル ★
YOUTUBE知的生涯PV ★
知的生涯ライブ動画他
【リンク】スーパー猛毒ちんどんフェイスブック ★
虹の会本部HP虹魂的障害者自立生活 ★
虹の会本体ブログミツのホッサ日記PLUS ★
ツイキャス!!
虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら
「障害者とか困ってる人の役に立ちたい」と公言してはばからない人ってのがいます。
ま、いいと思います。
困ってる人を助けられればそりゃさぞいい気分でしょうし、入り口として否定するものではありません。
けどまあ、これ、長年工藤さんや井上たちと付き合ってると、「障害者とか困ってる人の役に立ちたい」というのは、どっか「素人くさく」聞こえます。
なんなら、数十年やってる人がこういうことを公言してはばからない場合、ちょっとひきます。
というのは、「役に立ちたい」というのは、どっか彼らの上に立った発言だからです。
もちろん、まあそういう人は「そんなつもりはない」ということを言うだろうと思います。
例えば、「だって、彼ら障害者から、いろいろなことも教えてもらってるし」とか。
じゃあそれはなんだ?と聞きたいけれど、けっこうその中身ってハッキリ出てこないコトが多かったりする。
ま、もちろん健体者が障害者と対等になる、ということは究極あり得ないコトなのかもしれない。
というか、そういうモノだと思う。
だって、身体が動かない、ということと動く、というのはそもそも違う。
単純に、「三本の手がある」人と、二本の手がある人では、作業効率も当然変わってくるだろう。
まあ、筋力は鍛えればなんとかなるかもしれないのでちょっと例が違うかもしれないが、筋力がすごくて米一俵など楽々持ち上げられる人と、筋力がノーマルな人でも違うわけで。
当然、そういう人が見る世界は変わってくる。
「この引っ越しは一日で済む」と考えるか、「一週間かかるね」という人では、そもそもそのものの見方が違うわけで、そうなると発想自体が変わってくるし、つまりはそういうことで生きていく、ということになる。
単純に身体が動かない、ということは、精神にも大きく影響すると思う。
というか、そういうもんだそもそも。
だから、人は決して同じではないわけで、「対等に」とかってそんなに簡単に使うべき言葉でもないよな、とか思うところもあったりします。
で、その上で、しかしこの世の中で、いわゆるハンディキャップ、社会的不利、ということに関しては、共通する面もある。
決して同じではないが、この社会と闘う上において、共通する面はある、というか。
彼らが例えば人の手を必要としているのであれば、本来はそれは行政の仕事であろう。
生活する上で「外出したい」という思いがあるのに、外出の人を探してお願いしなきゃいけないという状況はなんかちょっとヘンだ。
そこは決して個人のチカラに帰してはいけない。
行動の自由を制限されているのと同じだからだ。
いけないが、どうしてもそうした制度がない場合だったりすれば、それは人を頼まなきゃならない。
そこに、「いいことをしてやろう」「その人のためるになることをしたい」という人が来る。
まあ、それはそれで合致しているように見えるが、そもそもその「人のためになることをしてやりたい」ということと、「本来は基本的人権の問題である」という部分は相容れない。
つまりは、障害者が人の手を必要とするというのは、そもそもがきちんと保障された制度の中で行われていれば、「役に立ちたい」とかではなく、それは「業務」である。
けれども社会には「障害者の役に立とう」とか、「困ってる人を助けよう」という「道徳」があるから、そこに「業務」が入り込む隙がない。
その上に、「俺は困ってる人を助けたいんですよ」という人がやってくることによって、そもそも「業務」が縮小していってしまう可能性が高い。
いや、「困ってる人の役に立ちたい」というのは悪いことではまったくないし、善意だからね。
でも、その善意によって、業務が縮小し、それはひいては「障害者の移動の権利」は放棄される、という本末転倒なことが起こりかねない。
だから、障害者問題をかじっていれば、「困ってる人の役に立ちたい」という発言は、まずしない。
そう思っていたとしても、それを表明することで、そもそも困ってる人の権利を阻害する可能性があるから。
その上で、しかし、困ってる人を制度に結びつけたい、とか、そういう行動はあるワケだ。
しかしそれは、「社会的不利」という面において、自分が内在する問題と共通する部分がある、ということなんだよね。
障害者の権利が阻害される社会は、次に俺の権利を阻害してくる、ということですね。
だから、障害者が阻害されないようにしなければならない。
なぜなら、「自分が危ういから」。
つまり、自分のためなんですよね、それって。
もちろんそれは理屈上の話であって、現実に目の前の困った人を制度に結びつけよう、という場面でそう思ってやってるわけじゃないですけどね。
だから、俺も含め、たいがいのこういうことをやってる人たちは「困ってる人の役に立ちたい」ということは、まず言わないんですよ。
語弊がありすぎるんで。
何の注釈もなくそれを言うってコトは、障害者問題を理解してない、とオレは思っています。
ってか、「困ってる人の役に立ちたい」って、「なに上から目線なんだよ」としか思えませんし。

(BGM:【_Vani; lla】「JOKER」from「独りぼっち」)
→うぎゃあああ。
ビジュアル系巻き舌天国。
ここまで行ってるんだなビジュアル系。
スポンサーサイト
コメントの投稿