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スーパーちんどん・さとう

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工藤会長、先日56歳で亡くなりました。
56歳と言えば「若いのに」と思うかもしれないけど、筋ジストロフィーの中でも短命だと言われているデュシャンヌ型。
俺らが若い頃は二十歳まで生きられればいい方だ、といわれていた。
まあ、今は呼吸器とかいろいろ進化しているから、その数字は伸びているのだろう。

そもそも彼は小さい頃から病院に入っていて。
院内学校に通っていた。
最初のウチは歩けたけど、歩行器になり、そして車椅子になりという。
彼だけじゃなくて、まわりのみんなも同じ病気で、まあそうなっていく、みたいな感じ。

彼が23歳の時に一念発起して退院することになり、一人暮らし。
俺はそこから一緒にやってきた。

病院を出る時には、「一人暮らしなんか無理」「出たら死ぬ」みたいな脅しのようなことも言われた。
言われたけど、でも彼は出てきて、彼に言わせれば、「クラスでタイムマシンを校庭の隅に埋めたんだけどさ、掘り出す前に、病院にいる連中はみんな自分が埋まっちゃったよ」と。
病院にいる同級生はもういず、結局「死ぬ」と言われた彼が一番長生きしたわけだ。

結局、「やりたいことをやる」とか、「自由に選択する」ってことがどれだけ長生きにとって大事か、というようなことなのかな、と思うんだけど。

同じ障害のあき江さんが29歳で亡くなっていて、実はあき江さんのお姉さんも同じ障害で29歳で亡くなっておりまして。
佐竹というのがいたんだけど、彼も同じ障害で、介助派遣システムを立ち上げた人だったんだけど、彼も29歳で亡くなっていて。
なんだか、29歳ってのが、呪われた数字だったんだけど、それを越え、30を過ぎ、40を過ぎ、50を過ぎ、どっかまあ、「工藤さんは死なないのではないか」くらいのことは思っていたように思う。


確かに何度かの大手術もあったけど、なんやかんや工藤さんはいつも戻ってきた。
気管切開をした時には、「家族以外では吸引をやっちゃいけない」みたいな「慣習」だな、つまりは、そういうのもあったけど、押し切って戻ってきた。
そして、自分で全てコントロールする、いわゆるストイックな工藤さんがその時に生まれたよな、と思っている。
そこまでは「まあまあ」でやれていたことも、徹底した消毒なんかをする必要が出てきた。
でも、それを介助者にも徹底することで、そのことでトラブルもなくここまで生きてきた。
工藤さんがいたから、他の同じ病気の人が気切をしても地域で暮らすことができるようになったと言える。
その第一人者である。

そのあたりから、俺はあまり介助に入ることはなくなった。
介助料が出るようになったからだ。
それによって、介助者に厚みができて、緊急時にも交代する人ができたというのがある。
なので、もしかしたら、今の介助者はそのストイックな工藤さんしかしらないかもしれない。
介助者の中には怒られて「泣かされた」という人もいる。


最初の頃、そもそも介助料もなかったから、俺は24時間介助をしていた。
学生のボランティアも募った。
しかし、携帯電話もない時代。
ポケベルですらその数年後に登場したのであるから時代である。
なかなか学生に連絡が取れなかったりして、もう電話が手放せない日などざらだった。
その介助者にお金を出せるようになって、その介助者の層が厚くなって、それらは、工藤さんがいたからそうなった、とも言える。
役所に行って折衝し、「介助料出さないなら、俺はこのままここにいる。介助者がいないから帰れない」と市の人に言い放ったこともある。
夜遅くまで市役所にこもったこともあった。

彼の人生そのものが、浦和市の、今はさいたま市の介助保障の歴史であると言える。


ま、ここまでが彼の足跡で、こっからは俺と彼の話だ。

俺が最初の頃24時間介助をしていたことは書いたが、まあケンカばっかりしてたと思う。
やっぱ、24時間介助は無理なんだわ。
数ヶ月それは続いた。
24時間が俺も工藤さんもイヤだったから、必死にボランティアを募った。
あの頃が一番辛かったな。
金も貰えなかったし。
そもそも金がないし24時間だから、工藤さんちに住んでた。

でもまあ、いつかなんとかなるだろう、って希望だけはあった。
俺も工藤さんも若かったってのもある。
年齢は、彼は俺の一つ上。
同じ世代だったこともある。
だから頑張れたのかもしれない。

ま、こう書けば「いい話」だけど、実際は最初はケンカだからな。
でも、そのうち、ボランティアの中でも頼りにできる人が増えてきて、余裕が出てきた。
好きなオカルトやUFOのテレビ番組や映画に熱中もした。
たまたま趣味が同じだったんだよな。

介助をしない期間を経て、工藤さんと会うことは一時少なくなったが、何のきっかけだったか、週に一度映画を見に行こう、みたいなことになって。
だから、工藤さんとはなんやかんや週に一回は会ってた。
介助者を挟んで、俺と工藤さんがやっと介助抜きで友人になった日々が始まる。

いろんな映画を見たな。
主にはホラーだけれど。
井上たちも時に誘ってやったりして。

その後、ペースメーカーを入れたりして、呼吸も弱くなり、映画館に行くのが厳しくなった、ということになり、でも、工藤さんの家の巨大テレビで毎週なにかしらを見た。
オンデマンドには、シネコンにはない、B級ホラーも多く、「アレが見たい」「コレが見たい」と俺は工藤さんにリクエストして映画を見た。
市丸たちも、野球の日本シリーズを見たいとか言って、工藤さんちで一緒に見たりもした。
工藤さんの家は多チャンネルだったからね。

ケンカ別れしなくてよかったな。
いつかこうやって友人になれるもんだな、とも思えた。


ケンカしてきたし、それだけじゃない、もっと彼にはいろいろやってやれたのかもしれないという思いはある。
ぶっちゃけ、性的なこととか、もっと踏み込んで一緒に考えればよかったと思ったりもしていた。
思っていたけれど、何もしなかった。

だからどっか、「俺は工藤さんに恨まれてるかもな」と思っていた。
亡くなった後、病院で工藤さんに会った時、でもわかったんだよな。
「お互い様だ」って。

あの時辛かったのは、俺だけじゃない。
工藤さんも辛かった。
二人とも辛かった。
もうドローだ。
だからこそ、映画好きな友人になれたのかもしれないし。

向こうで会ったら、映画の話をしよう。
それまで、君の残したモノをしっかり続けていくから、ちょっと待っててな。


あ、そうだ。
それともう一つ心残りなのは、工藤さんと霊はいるのか?って話をしてた時。
「もし、俺が死んだら、このホワイトボード(薄っぺらい小さいのが工藤さんの家にかかってた)を揺らすから」と言ってたんだけどさ。
「でも、工藤さん、手が動かないじゃん」とか、その時は軽口を叩いていて。
「なんか、でも死んだら自由に手足動くらしい」とか。

でも、そのホワイトボード。
まあ、部屋の模様替えでしょう。
いつからかなくなっておりまして。
まあ、俺もその話も忘れていたんですけどね。

でも、彼が死んで部屋に戻ってきた時にその話を思い出してね。
ホワイトボードがないもんで、霊がいるのかいないのか、その答えが出ないまま、というのが心残りです。


ま、でも向こうで会えるか。
そうしたら、二人でなんか揺らそう。
俺はまだまだ生きるつもりだから、ちょっと先になるけど、でも、まあなんかそういう風に考えられる年になったな。

向こうにはあき江さんも、佐竹も、かおるさんも、藤井もいるだろうから、ヒマを潰していてくれや。



なお、このご時世でもあるので、葬儀等は近しい者のみで執り行うこととしました。
遠くから、工藤さんの冥福をぜひ祈ってやってください。








(BGM:Katy Perry「Firework」from「Songs For Japan [Disc 1]」)
→東日本大震災のチャリティCDってことになります。
これは「花火」ってタイトルになりますか、まあ、和訳を読んでみますと、「まだチャンスは巡ってくる、あなたの中には花火があるんだから」みたいな感じの歌詞でした。
花火って、なんだかまあ原発事故をどこか思い出しちゃうな、みたいなこともあったりなかったり、でもまあ、複数形じゃないし、直訳とは意味はちょっと違うのかもな。
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コメント

なんと申していいか分かりませんし、私が言っていい立場なのか分かりませんが本当に残念です。

遠くからになりますが、ご冥福をお祈りいたします。

Re: タイトルなし

コロナのこともあり、広く葬儀等の日程をお知らせすることができません。
皆様の場所で、彼の旅立ちに思いをはせていただければと思います。

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