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スーパーちんどん・さとう

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「みんな同じ」の不幸


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まあ、なかなか難しいところがありまして。

というのは、他の作業所から来た連中、学校卒業してすぐにウチに来たんじゃない場合、とにかく、悪く言えば「保育園感覚」というか、「お世話され感覚」というのが抜けない。
抜けないどころか、それを前提にしている向きもある。

例えば、ちょっとみんなで飲みましょうか、となった場合。
久しぶりの人が来るから、とか。
そういう場合に、「みんなにも会いたいと言ってくれているから、もし、会いたいという人がいたら参加してください」ってなりますね。
まあ、実際のところ、「みんな」いうても、本当の意味でみんなではないですからね。

でも、それをもう「行事だ」と勘違いするんですよ。
「お誕生会」ですね。

ウチの場合、こうした「行事」というのはないから、すべてが参加するかどうかを自分で決める。
マラソンしかり、どっかに出掛けるしかり、飲むしかり、それは全て「行事ではない」という前提の上に成り立っている。
やりたい人が、飲みたい人が集まる。

逆を言えば、「今日は遠慮しておく」という人を追い詰めない。
「俺はそれ行かない」という人を、きちんと尊重する、ということが求められます。
どっちかというと、一生懸命そっちに心を砕いてきたのだけれど、他から来た連中はその前段階が通用しない。
逆に「行く」とかなんとか自分の所在を明らかに言わないのに、「行くことになってるはず」という体でくる。
だから、そういう時は帰す。
「行事ではないから」。

意思を持っての参加しない、については尊重したいし、大事にデリケートに、うまいことやっていきたいが、この「参加できるはず」については、もう話にならん。

なんでこういう感じになっちゃってるのか。

自分の予定を自分で決めていない。
自分でわかっていない。
親と作業所の職員がわかっていれば、本人がわからなくても行事として成り立つ、というあたりのことが横行しているのだろうか。
自分が参加したくないもんに、そもそも参加しなくていいだろうに。

オレはけっこう「みんな一緒」が苦手で、というか嫌いなんだよね。
「一緒にレクリエーションの時間です」とか。
そんなことやります?
大の大人が?
いや、まあ職場でバレーボールやりましょう、となって、なんとなく参加しなきゃいけないかな~でも参加したくないなあ~ということはあるでしょう。
だからこそ、その「参加したくないなあ」を言いやすい雰囲気にしようと思ってきたし、それは井上達も同じ。
そこを大事にしたかったけど、外から来たオグラやカブキについては、「参加できるはず」だから、参加の表明もしない、ということになる。
「だって行事でしょ」という。

つまりは、行事以外の何かがこの人達にはなかったんだな、ということなのかもしれない。
友達と連れだってどっかに行く。
それだって、クラス全員でいくわけない。
行きたい人同士で約束するわけでしょ。
そういう「普通の関係」がそこにはあるわけで、それが彼らはなかなか作れない。

ボランティアさんが来たとして、そのボランティアさんもみんなに「平等」に接してくれる。
その中の誰かを取り出して電話番号を聞いて、後に飲みに行く、なんてことはなかなかなかったりする。
ウチの場合は、お手伝いさんとかイベントに参加してくれた人とか、ノブとかを誘ったりしてくれてるから、まあそういうのとはなんか感覚が違うワケだけれど。

「誘われなかったらかわいそう」ってのはわかる。
わかるけど、だからって、一斉に網をかけて「行事」にしてしまうのは、もっとかわいそうだ。
その先にはなんの「仲間」も産まない。

今日はこの人と飲もう、という関係性を作っていかないと、やっぱ難しいところはあって。
でも、そもそもそういう雰囲気の中に彼らはいなかったんだよね。
だから、彼らが悪いわけじゃないんだと思うけど。

でもなあ、そろそろもう抜け出してほしいとは思いますよ。
けど、抜け出せない。
一度、若い頃にそういう中にどっぷり浸かって、全てをあきらめてしまった後に、「もう一度仲間を作り直そう」っていくら言っても、やっぱもう信じてもらえなくなっちゃうのかもしれない。

なんかなあ。
安心安全とか、そういう目標はもう当たり前じゃん。
じゃなくて、仲間を作ろうとかさ、世の中に広がっていこうとか、なんかそういう社会参加の方向にきっちり舵を切らないと、こういう不幸な感じってずっと続くよ。

まあ、それには人が少ないとか、職員が足らないとかあるでしょう。
ウチも足らない。
だから、一緒に「金よこせ!」って言いましょうよ。

彼らに不幸を作るために福祉をやってるわけじゃないでしょうに。











ブログ用

(BGM:近藤真彦「無頼派 -Album Long Version-」from「無頼派」)
→鼓?の音が印象的な、「ザ歌謡曲」といった仕上がりの一作。
どこか北島三郎さんを彷彿とさせるアレンジが面白い。
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