fc2ブログ

プロフィール

スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

@SMChingDongSATO twitter

Calendar 1.1

<
>
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 78
9 10 11 12 13 1415
16 17 18 19 20 2122
23 24 25 26 27 2829
30 31 - - - - -

全記事

Designed by 石津 花

カテゴリ

最新記事

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

最新トラックバック

QRコード

QR

無音の世界 ★ 映画 「コーダ あいのうた」


【リンク】虹の会本体ホームページ虹の会本体ブログスーパー猛毒ちんどんフェイスブック虹魂的障害者自立生活ミツのホッサ日記PLUS井上のリーダーズブログ筋ジストロフィーの花屋・漆黒ブログ
【YOUTUBE】スーパー猛毒ちんどんチャンネル
スーパー猛毒ちんどんシリーズ介助者大募集シリーズ知的生涯シリーズ影の声シリーズ

虹の会では、専従職員を募集しています。社保完。詳しくはこちら





「コーダ あいのうた」をみてきましたけど。
コーダというのは、CODA、「Children of Deaf Adults=“耳の聴こえない両親に育てられた子ども”」という意味だそうで、不勉強で知りませんでした。

まあ、この「障害者モノ」というジャンルは鬼門で、オレとかにとっては当たり外れがデカい(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5095.html)。
なので、ほとんど見ない。
見てイライラするくらいだったら見ない方がいい。
むしろ危険である。
だから、安全が担保されないと見ないというコトが多い。

が、今回はろう者のコトということで、あまり自分は普段付き合いがないので、そもそも見るハードルは低かった。
さらに、予告編に出てきた出演者の面々がとてもいい感じで、「これは見た方がいいのでなかろうか」「避けない方がいいのではないか」という気がして、見ることにした。

後になってフライヤーなどをよく見てみると、ろう者の父母と兄、それぞれ難聴だったりの役者さんだそうで、いや、これがなんかね、手話がかっこよく見えちゃう。
とかいうと怒られそうだけれど、この兄ちゃんなんか、すごくかっこいいじゃないか。
父母世代とまた違った価値観があるというか。
スマホとかもデカいんだな。
だって、それぞれに筆談のボードを持ってるのと同じなんだから。

さて、物語は、ど田舎の漁港が舞台。
そこで代々漁をして暮らしている一家の物語。
父母と兄はろう者で、娘一人が聴者。
なので、どうしても娘が「通訳」として家族と一体にならざるを得ない状況があって。
まあ、これ、ど田舎、ってのもあるんだと思うけど、そういう感じなのね。
その主人公となる娘が高校を卒業する間際、日本で言えば高校三年生の時の話。

この主人公、抜群に歌の才能があった。
それを音楽の先生が発見する。
で、音大へ進むアドバイスをする。
彼女自身も歌に賭けたい気持ちはある。
けれども、音大は遠い。
実家を離れなければならない。
そうなったら、親はどうする…、という。

まあ、ありがちっちゃあ、ありがち。
途中、漁業組合の中抜きがヒドいということで、流れでこの父兄が中心になって自主漁業組合を結成することになって、まあそれは成功するんだけど、その中でどうしても彼女の「通訳」が必要だったりすることもあって。
じゃなければ、そもそももう廃業の危機、というところまで財政的にも追い詰められてもいて。

でもまあ、みなさんの想像どおり、最後は家族は温かく彼女を送り出すんだな。
ま、単純な話だし、わかりきった結末。
でも、この映画が突出していると思ったのは、この父母や兄を「美化」していないところ。
これはちょっと偏見だけれど、どっか「ど田舎の馬鹿親」そのものなんだ。
ものすごくここがリアルだったし、むしろ逆にこの家族がどんどん好きになっている自分がいる。
だから、「あなたがいないと困る」という気持ちも入ってきちゃうし、同時に「でも家族に縛り付けちゃダメだ」という気持ちも同時に入ってくる。

母親が娘に、「あなたを産んだとき、聴者の子だと聞いてがっかりした」という話をする場面があって。
「ああ、これで子育てに失敗する。だって、耳の聞こえない母親なんか、うまく子育てできるはずがない、ってその時思った」というセリフが続くんだけど。
これね、そうだよね。
世の中は、耳の聞こえない親が子育てをしていると聞けば美談にしたがるかもしれないが、そうじゃないよな。
この「がっかりした」的なことがきっちり普通の会話で出てくるあたり、この家族はきっと大丈夫なんだけど、逆に言えばさ、ものすごい苦労とプレッシャーが親にはあって、それを乗り越えてここまで来たことをこのセリフが伝えてくれるわけだ。
その膨大な絶望と、周囲の目を跳ね返すチカラ、いやいや、そもそも自分の「うまくいかないかもしれない」という思いを跳ね飛ばすチカラ、それをこのセリフに感じて、この親をなお好きになってしまった。
最初は、とんでもないことを娘に強要する親だ、と思ったところもあったが、そうじゃないんだな。
このリアル感は、この映画の一つの軸だと思った。

それと、娘の卒業公演がありまして。
合唱クラスの。
それに多くの生徒が出るから、親もたくさん見に来てて。
もちろん、この母親、兄も見に来るんだけどさ。

いや、聞こえないじゃん。
歌、聞こえないじゃん。
この子は歌の才能がある、って言われてもわかんないじゃん。
そもそも、子どもの才能をわかってあげられない辛さってのだってあるけどさ。
聞こえないんだから。

まわりにあわせて拍手したり、手拍子したりするんだけどさ。
この「なんとなく周りを見る感じ」「なんとなくまわりを気にしてあわせる感じ」ってのがね、もうなんか、なんて言っていいか、どうにもならない感情がわいてきて。
そしたら、音楽、音が一切なくなる演出になるんだ。
無音。
無音の中で、公演は続いている。
まわりの親たちは笑ったり、拍手したりしてる。
それを、見て、なんとなくあわせようとしているこの父母を見てね、いや、そうだよな、って。

単純に、これはろう者にとって普通のコトなんだろうと思う。
でも、それを想像したことがなかった。
この無音の場面は、否応なしに、オレのような、これまでろう者のことを想像もしなかった人にそれを突きつけてくる。
だからって、どうにもならないんだけれど、でも、なんかね、もう、感情がよくわからない。
涙が出るけれど、これがなんの涙かもわからない。

そもそも、子どものためだったら、親は何でもするんだよ。
だから、ウチだけ合唱クラスの卒業公演に行かない、という選択はない。
だから行く。
行くは行くけど、でも聞こえない。
それって、どういうことなのか。
舞台上の子どもに手を振ったりして、がんばって!というエールは送るが、しかし、頑張ったかどうかがわからない。
ステキにうまく歌えたかどうかはわからない…。

しかし、最後まで笑顔。
それは、まわりが笑顔で、娘自身が笑顔だから、「うまくいったんだろう」ということなんだけど、その、なんだろう、何かうまく言えないけど、その感じがもうオレにはなんか心にきた。

結局、この話は娘が主人公であるけれど、オレは親に感情移入してた。
もちろん、「通訳をさせられる娘」という視点もある。
でもオレは親に感情移入してた。

というわけで、この映画は見てほしい一作。
どこかでやっていたら見て下さい。
そして、大画面で見た方がいいです。
この無音の場面の臨場感、無音の圧迫感をぜひ、劇場で感じてもらいたい。









ブログ用

(BGM:?「調弦」from「沖縄の歌・三味線決定版」)
→いろいろと曲?によっての調弦を教えてくれるトラック。
こういうのを「曲じゃないじゃん」と飛ばす人もいるだろうけど、オレはなんか大切にしたくなるのよね。
スポンサーサイト



<< 「おめでとうじゃねえよ」という時 | ホーム | 初めてのデートかよ! >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP