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スーパーちんどん・さとう

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そもそも介護離職を無くせないんじゃダメだよな


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ある人のツイートで、「やりたいことをやってていいね、といわれるが、やりたいことをやるにもやりたくないコトをしなければならないのは当然なんだけど、その当然のことを口にしないだけなんだよね」というような意味のことがありまして。

そもそも「やりたいこと」ってこと自体が俺にはよくわからないが、例えばバンドで世に出たいとかそういうことが思いつくけど。
オモチャのデザインをやりたい、とか。
漫画を書きたい、小説を書きたい、とか。
中には会計事務が好き!やりたい!天職!って人もいるかもしれない。

俺はまあそういう「生産的なやりたいこと」ってのがあまりないのでなんとも言えないが、例えばもっと田舎の方で大きな家に住んで庭が広くて毎日庭でたき火とかしながら過ごしたいな、とかは思う。
思うが、それにはもちろん金が必要。
金があればなんとかそれは可能だが、金を稼がなければならない。
それはやりたいことではないので、ツラい、ということになるが、やりたい生活のために、と頑張れるのかもしれない。

ま、よくある話としては、「子どものために金を稼がなければならない」ってのがありますよね。
子どものためだから頑張るしかないよな、という。

なかなか人って自分のためには行動できなくて、まあ行動できる人もいるんだろうけど、俺はけっこうそれができなくて。
なんで「子どものため」ならまあなんとか頑張ることもできた気もしなくもない。
ま、でも「広い庭のある家のため」となれば、結局は自分のため、という感じか。
でも、なんかそれって「自分のため」とはちょっと違う気もする。
自分の夢のため、という。
今の自分からちょっとワンクッションある。

やりたいことがそのまま金になることであるなら、それを目指して勉強して就職するとか、力を磨いて世に認められるということが「やりたいこと」なんでしょうし、それはそれでいいと思うんです。
というか、でも認められるまではキツいのかもしれないし、イヤな仕事も引き受けなければならないのだと思いますが、それもまあどっか自分の夢のため、という。

だからまあ夢があるとか、職種とかに関係なく「こうなりたい」ってことがあったとしたら、人はなんとか頑張れるのかもしれない、と。
そっか。
確かにそうかもしれない。

でね、ちょっと思ったんですが、俺の歳56(これを書いているのは7月上旬)になると、親の介護問題ってのが出てくるんですよ。
けっこう回りでもいろいろ悩んでいる人もいて。
一緒に住んでいるとか近くに住んでいるというのだと、そんなにこちらの生活を変えなくてもなんとかなるのかもしれない。
けど、親が遠くの実家にいる、とかになると、生活の基盤を実家の方に移さざるを得ない、というようなこともあったりして。
そうなると、もう生活が一変せざるを得ない。

なにか自分の夢に向かって勉強したり働いたりしていたとして、でも生活を一変せざるを得なかったらこれはそれまでの努力が全てとは言わないがちょいと無駄になったような感じにもなる。
全てをあきらめて、ということもあろう。

で、まあ親の介護を毎日していたとしたら、やっぱさ、それをやりたかったわけじゃないから、なんか苦しいよな、と。
先が見えない状況、夢を見れない状況ということになると、人はやっぱ追い詰められちゃうんじゃなかろうか、と。

介護殺人、なんて言葉もあるくらいで、やっぱおいつまるコトが多いのではなかろうか。
続けるモチベーションというのも、親子というキズナだけで、実際、若い頃から親と良好な関係な人ばっかりでもないわけで。
そして、終わりは親の死である。
「早く終わりたい」というのは、「早く死ね」であって、それもどっか気持ちの中では折り合いがつかない。
だって、生きてもらうために田舎の実家に引っ越してきたのに。

何を言いたいかというと、親の介護って、やっぱキツいよな、って話です。
こういうことを言うと冷たい人だと言われるかもしれないが、でもやっぱ自分がそうなるとしたら耐えられる自信がない。
前に見た映画で、介護殺人を描いたモノ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6249.html)があって、それはホント見ていてツラかったというか、自分だったらどうするか?というのが頭をグルグル回りました。

それでも、やっぱ親をほっておくワケにはいかないし、痴呆で近所に迷惑を掛けるかもしれないし、となると帰るしかない、自分の生活を変えてでも実家に戻るしかない、ということになって…。

こういう言い方はなんだけど、死に向かう介護というのはやっぱキツい。
ホスピスとかって考え方が出てきて、それを一つの理屈や仕組みに当てはめることで、それを世の中に確立する方向というのがある。
それを一つの自分のやりがいとして、自分の夢としてやっている人もいると思う。
それはそれで大きな一歩だと思われるし、多くの示唆に富むモノのような気がする。

でも、そういうことを考えたことのない人にとって、やっぱ親の介護はキツいのではないか。
親の介護を「進んでやりたい」という人もいるとは思うが、俺は進んでやりたいとは思わない。
結局はどっか「自分の負い目」を埋めるためにやる、という感じしかない。

俺は家族のキズナとかって、正直どうかと思っていて。
親に感謝はあるが、そういうことじゃなくてキズナを強要される感じがイヤ、というか。
愛国心はあるが、それを強要されるのは違う、というのに似ているかもしれない。

これまで日本のために働いてきてくれた人たちに、最後どういう介護をしてやることができるか、というのを世の中全体で考えなければならないな、と思うし、それを子どもにだけ押しつけるのは、どっか違和感もある。
だって、それって子どもがいなかったらどうすんの?だし、ベースが「子どもが面倒をみる」だと、みんな「自分の贖罪のために介護をする」って感じになっちゃわないだろうか。
「だめな子ども」「冷たい子ども」といわれないために、自分でそう思わないために介護をする、みたいなことになってしまわないだろうか。

ヤングケアラーとかっていうけど、そもそも「介護離職」みたいなことを解決できないままではどうにもならないよな、と思う、という話でした。







(BGM:サザンオールスターズ「爆笑アイランド」from「さくら」)
→サザンはこういう昔で言うB面の曲がけっこう好きだったりする。
というのは、たぶん、彼らも好き勝手にやってるからなのではなかろうかと推測。
やっぱ音楽は遊び心がなくちゃな。

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