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スーパーちんどん・さとう

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相談する、というソフトな言葉の裏


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「相談」という言葉はとても便利で、どっちかというと「いい方」に捉えられガチだけれど、相談というのは時に明確に人と人を遮断する可能性もある。

よくある話で、例えばヘルパーさんが、当事者が「お腹いっぱいだと言っている」と。
その場合、食べさせないか、食べさせるか、という。
例えばカイが「食べない」と頑なになる時があるのだが、そういう場合ね。
ま、その判断には背景が重要になってくるので、これだけの状況ではなんとも言えないが、基本ラインとして、俺は「食べさせない」「食べるのは終わりにする」ということにするかな、と思う。
その上で、今後どうするかの問題はまた別であるけれど。

まあ、どっちにしろ判断はしなきゃならないんだよね。
その場でどうするか、というのは判断だから。

これ例えば胃ろうとかだったらどうしましょうか。
胃ろうもなんなら食事だから、もういい、となればまあもういいんだろう、と思いますね。
看護師さんなんかはまあそういう判断をするんだと思います。
無理に決まった量を常に身体に入れられるわけではないのは当然で。
だからまあ、そういう日もあるよね、という判断をするのは普通のことかな、と思います。

しかし、この時に、「相談する」って人ってまあ一定いるんです。
それは誰に?となりますが、いわゆる家族に、とか。
ここはつまり、「問題になっては困る」という風にモノを考えるか、その当事者の側にたってモノを考えるかによって変わってくるんだと思います。

問題になった場合には「家族がそう言っていた」ということで話は収まるから。
というか、家族に知らせないというのは、後々家族が騒ぐ可能性があるじゃないか、という。
常に、「本人の責任は全て家族に判断させる」というのがこの考えの底にあります。

ヘルパー講習では、「家族に相談する」というのが決め事のように出てくるという話を聞きました。
そこには「障害者は自分の問題に対して責任が取れない」という考えがベースにあります。
もっと言うと、「障害者が何を言っても世の中は相手にしないだろうが、家族が言ったら問題になる」という社会の差別的なありようすら肯定してしまっているように見えます。

こういう人が身近なヘルパーとして生活に入り込んでくるという状況は果たして幸せなのだろうか?と思うことがあります。

もちろん、最初に書いたように、背景が大事。
だから、全てにおいて本人の言うことを聞いてりゃいい、と言うことでもないと思います。
特にカイとかの場合、彼が何を言おうと、こちらが判断する部分も大きい。
「ここで服を脱ぎたい」と言っても、それは止めますね、そういうことです。

しかし、そのベースには「家族に満足してもらう前に本人にとっていい介助をしなければならない」ということがあると思います。
「家族に相談」というのは、その部分をすっ飛ばしていて、家族に対して満足させることを考えてしまっている。
相談する、というのは悪いことじゃないと思いますが、家族に相談、と言った時点で、カイはきっと「自分の言いたいことより家族の言いたいことを優先させる人」と思ってしまうのではなかろうか、というのが経験則です。

彼らはそもそも何かコトを起こせば「お母さんはどこ?」と聞かれてきたんですよね。
常に「自分では責任が取れない人」として扱われてきた。
こうなるとね、もう彼らは自暴自棄にだってなるんだと思います。
「自分の言ったこと」「自分がやったこと」には責任が伴わないとなれば、そりゃ気に入らなきゃ噛む、なんてことを簡単にしてしまうのではなかろうか。

確かに、今の世の中は親の声の方が大きかったりする。
それ自体がもう「本人には本人のことを訴えるチカラがない」ということを肯定してしまっているからバカバカしいともオレは思っているんだけど。

で、そこに阿って、ヘルパーと言った身近にいる人すら「親に相談する」ということを彼らの前でしてしまったら、そりゃね、彼らのメンツはどうなる?って思う。
堂々と、講習で「相談が基本でしょ」なんていうのは、そもそも彼らのメンツを何も考えてないんだよね。
それでいいのだろうか。
その前に、彼らにどうやって寄り添うか、先に死ぬ親のことじゃなくて、彼自身とどうつきあうのか、ということにもっと時間と経験をつぎ込むべきではなかろうか。
そもそも、親亡き後、なんてことはずっと前から言われているではないか。

ウチではまったく親を運営に入れることはない。
にじ屋に来ることもない。
そのくらいわかりやすく、「俺たちは君と付き合っているわけで、親と付き合ってるわけじゃない」ということを突きつけてやらなければ、やっぱダメだと思っている。
「なんかあったら親に相談なんて当たり前」というのとは真逆である。
というか、相談せねばならなくなったという事態はあってはならない。
前に事件が起きたときには、やっぱりそれは親にまず電話をせねばならない事態になった。
あれはもう最後手段でしかないし、あってはならない。

何を言いたいかというと、「相談する」、一見いい言葉だけれど、それによってツブされるメンツもある。
そのことが重要だと思えなかったら、こういう仕事はしない方がいい。
むいてない。









(BGM:周渝民「媽媽說」from「記得我愛你」)
→ゴキゲンなディスコ調ポップ。
なかなかこういう中国産ポップを聞く機会がないだけに、音源があったら必ず聞きますね。
ベートーベンの第九合唱がちりばめられてたり、なかなかどうして面白い。

kabukiboshuuu.jpg

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