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「ハンチバック」読了しました。
読了いうても、短いので、30分くらいで読み終えましたか。
これは主人公の独白、いや独り言がずっと綴られているという小説。
その主人公がハンチバックの女性、つまりはせむしの女性、ということである。
ま、障害によって背骨が湾曲している、ということなんだけれど。
この主人公はいわゆるな「お行儀のいい障害者」ではない。
24時間テレビに出てくる感じの「努力を重ねます」という人でもなければ、「一生懸命健体者社会の仲間に入れてもらおう」という人でもない。
そしてどこか冷めた、冷笑を含んで世の中を見ているような印象がある。
ま、俺はそれって別に普通だな、と思うんだけれど、一般の人の障害者像は大きく壊してもいるのだろう。
一般には、「社会に自分たちの思いを訴える障害者」「社会に順応して入れてもらおうと努力する障害者」って感じか。
まあどちらもどっか道徳的で、マジメで努力家である。
障害者に生まれたからと言ってマジメに生きなきゃならないということでもないわけだけれど、どっかそういう障害者を世の中は認めない。
そして性の問題からも彼らは外されガチである。
異性介助が当たり前のように行われているというのがその証左だろう(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6264.html)。
しかし、この「独り言」を読んでもらってわかるように、性の問題は生きる上で重要である(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5698.html、
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6379.html)。
スーパー猛毒ちんどんのレパートリーで「足がない」と言う曲がある(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2214.html、
https://www.youtube.com/watch?v=uNFjgzjkZwQ&list=PLQXcTzfqfNmEb5OgEXPfRqXE9z-t3f4cl&index=23)。
この中に「私にいいことばかりを言わないで 尊敬してるなんていわれても悲しいだけ」「ほんのちょっと、アナタにヤキモチを焼かせる、イヤな女になりたかったな ほんのちょっと、いつもアナタが悪口を言う、彼女のような」というような歌詞がある。
背徳のキスをしたい、酔っ払って好きでもない男と寝て翌朝大後悔してみたい、そういう思いをなんとか歌詞に入れたいと思ってそういう歌詞にしたんだけど。
私がセックスをする相手は愛するあなた一人だけ、というのは幸せだし、そう思うのは自由だ。
けれども、誰もがその愛にたどり着けるわけではない。
そもそも愛する人と添い遂げられずに、でも望まない結婚をするという人もいるだろう。
そしてその人が背徳のセックスをしたからと言って、「そんなことすべきじゃない」なんて言ったところで、そんなのはどっか道徳的で耳に入らない。
この歌を書いたきっかけは、とある知り合いの車いすの女性の話である。
バンドでは加納さんがソロで歌っているので加納さんの話なのかと思ってる人も多いかと思うが別の人である。
もちろんでも加納さんも「すごい気持ちはわかるよ」と歌ってくれているのだけれど。
その彼女が俺に言ったのは、「レイプされてでもイイから一度セックスがしてみたい」だった。
好きな人とか、愛とか恋とかそういうことじゃなく。
その絶望はあまりにも深く、俺はこれは歌にしなければいけないと思ったのだった。
知的生涯やソロで歌っている「イキタカッタ」という曲は、前々会長の故かおるさんのことを歌った曲だ(
http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3815.html、
https://www.youtube.com/watch?v=mTj4__f0IfE)。
彼女が死んでから書いた。
「イキタカッタ」は「生きたかった」ではない。
そのサビは「私が好きだった クリトリスなめられて ああ あなたの舌で もっと いきたかった あなたが好きだった 騎乗位で 腰をふって あなたの上で もっと いきたかった」である。
中途障害であった彼女のコトを書く以上、彼女が事故に遭って障害者になる前に同棲していた彼のことを書かなければ意味がない。
彼女はその後聖人のように生きていたけれど、亡くなって彼女を振り返ったとき、その聖人っぷりがむしろ俺には悲しくなった。
聖人に至る彼女の心の中はどういうモノだったのだろう。
それを考えると、絶望には底がないことを思い知らされる。
とある車いすの女性(故人)は、俺に「ラブホテルに連れてって」ということを盛んに言っていたことがあった。
彼女は聡明で団体の中心にいるようなすばらしい女性だったが、何度か飲みに行ったりすることで仲良くなって、けっこうそれを言われるようになった。
「行ってみたいのだ」と。
車いすで行けるモノなのかどうか、入れるモノなのかどうかってこともあるから、面白いね、行ってみようか、とか言っていた。
あ、そこにはあまり性的なことは俺は思ってなかったのだが、そういったまま行けずに彼女は急死してしまい、その時に彼女の近くの人に「○○さんは佐藤さんのこと好きだったのよ」と言われた。
それもどっかショックだった。
自分の鈍感さ加減にも、そしてそもそも車いすの彼女を性的に見ていなかったのかもしれない、という風にも思ったり。
いや、まあその時には俺には好きな人がいたし、そもそもそういう気もなかった、というのもあるんだけれど。
でもそれは、ハンチバックではない俺のストレートな人生の思いであり言い分でしかない。
車いすに乗った彼女たちが感じていてた絶望は、恐らくは俺には見えない。
見えないが、こうやってその独り言を物語にしてくれて、しかも賞を取って話題になったというのはとてもよかったと思う。
ぜひ読んでもらいたい。
あ、でも、この物語は、リアルに見えるけれど、恐らくリアルでもないのだと思う。
リアルはきっとハンチバックではない俺には感じることができないのだろうと思う。
これを読んで「リアルだ」と思い込んでしまうのは間違いだ。
そう感じたことが恐らくは彼女のリアルとはかけ離れてると思った方がいい。
絶望には底がない。
でも、希望にも果ては無い。
(BGM:UNICORN「手島いさむ物語」from「Z」)
→メンバーの方なんですね手島いさむさん。
ま、とにかく面倒くさがり屋って感じなのだろうと推測。
曲も詞も彼が担当していて、まあ歌も彼が歌ってるのかな。
どっちかというとハードロックの基本のようなサウンドに、朴訥な歌声で「めんどくさいんじゃ!」がかぶってきてなかなかユニコーンっぽい仕上がりになってるのがいい。

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