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スーパーちんどん・さとう

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「愛そう運動」であってはいけない


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前に「月」と言う映画を見たという話を書きました(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-6453.html)。
こちらぜひ見てもらいたいんですが。
相模原の事件をモチーフにした映画なんですけど。

この犯人、こういうことを言うんですよ。
「だって、じゃあ彼らを抱きしめられますか?」と。
世の中は彼らを平等だといいながら、いらない存在としているじゃないか、ということの文脈で。
その証拠に、あなた方は彼らと頬を合わせることができますか?と。

これね、よく言われることなんですよね。
ホームレスのことでもありました。
「だったら、あなたはホームレスを家に泊めることができますか?」とか。
それに続くのは、「ほら、なんだかんだ言っても、泊められないじゃないですか」と。
つまり、「あなた方の支援は、遠くから、安全地帯から言ってるだけで、ホンモノじゃない」というようなことを言いたいんだろうと推測されます。

これは結局「支援者攻撃」をしたいのだろう。
と同時に、「障害者など誰も救わないのだ」とも言いたいのか。
それとも、「俺は抱きしめられるから俺こそが本当の支援者だ」と言いたいのか。
ま、どっちにしても、現状の運動を分断しようとする声であることには間違いなかろう。

これ、理屈としてはなんか当たってる気もするかもしれませんが、間違った理屈だとオレは思っています。
だって、支援することと「頬ずりすること」は別なんじゃないかと思うからです。
支援の証明が頬ずりすることなのだとしたら、俺は支援者ではありませんね。
ってか、そもそも「支援」という言葉は我々は使いませんが。

障害者など誰も救わない、だって誰も君に頬ずりすることなどないのだから、というのはもっと間違ってるだろう。
別に障害者じゃなくても、誰かに頬ずりなどしないだろう。
しろ、と言われて、そんなに簡単にできるか?
何処の誰だか知らない相手に、なかなかそれは難しいじゃないか。
「君の夢を支えたい」と思っているような、いわゆる応援している人が相手だったとして、難しくないか?
ま、人によるというのはその通りだ。
出来る人もいようし、そうじゃない人もいよう。

もしかして、日本は「愛は地球を救う」と真剣に思ってるのかもしれない。
いや、愛しか障害者を救えないと思っているのではないか?
つまり、「障害者を愛しているなら頬ずりすることくらいできるだろう」という理屈なんじゃないかと思われる。

障害者問題の解決は、社会のありようの問題だろう。
つまり、社会の構造や慣習を変える運動が必要になる。
「障害者を愛する運動」ではないはずだ。
というか、それはちょっとおかしかろう。

だって、障害者一口に言うが、いいやつも悪いやつもいる。
そんなの当たり前じゃないか。
メディアにも出て、それなりに露出のある障害者が一万円貸してくれ、というから貸したらそのまんまもう五年以上返してもらえてない、なんてことだってある。
障害者だから皆好きになれ、というのはおかしな話である。
むしろなんか皇室を彷彿とさせる。
「皆好きだよね」と。
それこそ差別の逆張りである。
というか、その論理で言うと、皇室の存在も差別的ではある。
彼らも人間だ。

だから俺は「彼らを聖人にする風」の活動は好きじゃない。
何の解決にもならない。
というか、意味がない。
ま、もちろん、彼らにも絵の才能がある、とかって彼らを持ち上げる?こともあろう。
それはそれで意味があろう。
でもだからって彼らの絵を悪評価の対象から外すのはおかしいだろう、とは思う。

ま、とにかく、我々がすべきことは「社会を変える」ことなのだ。
役所のあり方も、政治のあり方も。
そして隣の人がイチマルを特別視せずにフラットに接してくれることを目指すべきなのだ。

愛は地球を救うかもしれない。
でも、障害者運動はそれとはまた別の次元のモノでなければならない、と俺は思う。
頬ずりをする必要などないのだ。









(BGM:AKIMA&NEOS「23世紀 Boogie Boy」from「23rd CENTURY BOOGIE BOY」)
→これ、もうちょっとT-REXのリフとかじゃんじゃん入れてくれたら楽しかったのにな。
って、まあそんなこととは関係なくカッコいいですけどねもちろん。

kabukiboshuuu.jpg
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