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スーパーちんどん・さとう

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真っ当な大人にはわかるまい ★ 「中央線は今日もまっすぐか?」


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予定調和、というのがあって。
飲み会や打ち上げで、どっか「皆笑顔で終わりたい」というような。
ま、いろいろあったけど、とりあえず笑顔で終わろうや、みたいな。

恐らくそれができるのが大人で、真っ当な人生を歩んでいる人で、幸せな人生を送っている人なのだろう、と偏見交じりにオレは思っていて。
いろいろ行き違いがあって仲違いしていても、なんやかんや葬式だったら行こう、と言うのが真っ当で。
それがきっと世の中をスムーズに泳ぎ回る術なんだろうと思う。

でもまあ、俺にはそれができない。
仲違いしてそのまま死んじゃった人の葬式には俺は出れない(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5077.html)。
それが組織的に、儀礼的に行くことが大事だったとして、でもやっぱ行けないよ。

例えばずいぶん前の話になりますが、ウチでバザーをやって、その打ち上げで、手伝いに来てくれた人達とかみんなが「今日は良かったね!」と乾杯する。
ま、いいことだと思うんですよ。
手伝いに来てくれたんだから、そう思ってくれて、こっちサイド、手伝いを呼んだサイドとしても嬉しい限り。

でも、どうしてもそこで引っかかっちゃうんだわ俺。
笑顔で終われない。

ま、ちょっとひねくれてるんだろうと思うんだけど、「いやいや、俺の毎日の中で、手伝いを呼ぶという大作業ってけっこうキツいんだ」とか。
「障害者問題だとかって、別にバザーが成功したからどうってコトでもねえし」とか。
「結局バザーの売上げで俺は自分で自分の給料を稼いでるんだけど、その辺のあれは?」とか。
ま、もう自分でもよくわかってるんだが、これは言いがかり。
なんだけど、でもとにかく「予定調和」で笑って終われない。

恐らく予定調和ができるのが大人で、真っ当な人生を歩んでいる人で、幸せな人生を送っている人なのだろう、と偏見交じりにオレは思っていて。
そして、大多数のそういう人達がこの世の中を作っていて。
障害者問題に税金を割かない社会を作っていて。
おかげで俺の給料は出ない。
だから、俺はその大多数の「大人の人達」に頭を下げて手伝いに来てもらっている。

予定調和を受け入れるためには、この大矛盾を自分の中で消化しなければならない。

いや、アタマの中ではわかっているのだ。
そんな闘争をすべきではなく、本当の敵はそこじゃないのだ、と。
これは何度も書いているように、その闘争はヤツらを高笑いさせるだけなのだ、とわかってはいる。

でも、給料もなくここで仕事を始めた俺は、「大人の人達」が引き受けないからやる羽目になったんだ、という思いもあり。
どんなに優しいことを言われても、やっぱりそれは受け入れがたい。
予定調和とはそれを受け入れることなのだが、それがちょっとなかなかできない。
そんな中、本当にここに人生をぶっ込んでくれる人がいて俺は救われるんだが、彼らがいない場面になると、やっぱその予定調和には唾を吐きたくなる。

今、若い子達もここで働いてくれているわけだけれど、ようやっときちんと給料が出るようになって来てくれてるわけだからね。
やっぱどっかその予定調和をどれだけ受け入れられるかどうか、というラインは明確に違ってくる。

とはいえ、やっぱその闘争は避けなければならない。
だから、普段は大人しくしようと思っているんだけど、でもやっぱ高ぶったりすればその「予定調和をぶっ壊す」行動は出ちゃうね。
ま、俺はまともな大人じゃないよ、でもなりたくてなったんじゃないけど、でも結果そんな感じで孫ができる年になってしまった。

てなことで。
なんでこんな話になってるかというと、イヌイジュンさんが書いた「中央線は今日もまっすぐか?」を読みましてね。
サブタイトルには「俺と遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年」とあります。

スターリンはメジャーで出たパンクバンドの先駆者とも言えるか。
俺の中では、シンタロウ、イヌイジュン、タム、そしてミチロウ、というメンバーなんだけど、とにかくメジャー進出後、メンバーチェンジが激しかった。
ミチロウさんのバンドだったってことなんだけれど、そうなると「ミチロウ+バックバンド」ということになって、そもそもバンドとしての体を成しているかというとちょっとどうなのか。
メジャー進出後、イヌイジュンさんもすぐに居なくなっちゃうんだが、メジャーの前があるわけよね。
その思いを綴ったのがこちらということか。

正直、ミチロウさんがいなくなって、急に乾さんが出てきた感があるんだが、まあそれはそれでいいのかな。
ある意味、ミチロウさんより過激だったとも言われていたし、まだスターリンが「ミチロウ+バックバンド」じゃなく、「バンド」そのものだったときの核だった人であることは確かだ。
この本を読んで、つまりまあ、メジャー進出でスターリンという「バンド」は終わっていたんだろうとも思った。

結局、乾さんは予定調和を壊したい人だったんだろうと思った。
むしろそれに比べれば、ミチロウさんは受け入れることが出来た人。
「受け入れない」というステージングを繰り返しながら、しかし社会人としては彼はいろいろなことを受け入れて「受け入れない」という予定調和を演じていたんじゃなかろうか。
それすらも受け入れられなかったメンバーは霧散し、バンドは終わった、と。
その後、スターリンという「バンド幻想」を振りまきつつ、バックバンドを従えたミチロウさんは、やっぱり、その「幻想」という予定調和を演じきったのではないか、と。

「冗談じゃねえや!」がパンクの基本だとすると(とオレは思ってるけど)、パンクを名乗るのなら、やっぱ予定調和を壊していかなきゃならないと思う。
「予定調和を壊すという予定調和」ではなく。

というようなことで、ま、乾さんのコトは実際はよく知りませんが、そんなことを思いました。






(BGM:miwa「僕が僕であるために」from「ヒカリへ」)
→尾崎さんのカバー。
ま、名曲ではあるんだよね。
尾崎さんも「しゃがれる」ではなく、キレイに歌うタイプですよね。
それをきっちり踏襲した感じのカバー。

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