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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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PTA活動は必要か?

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PTAをやっているという話は書きましたけれど、どうも「やっつけやっつけ」やっているな、と思うんです。
だったら、他の人に任せちゃえばいい、とか思うんですけど、いや、面倒なんですよね、人に頼むのって。
だから自分でやっちゃう。
やっつけやっつけ、やっちゃった方が早い。

まあ、そういうことをやってると、なかなかみんなの意識も上がらないし、いいこともない、ということもあるかもしれない。
それはわかる。
虹の中でだったら、オレは基本的に自分で仕事はしない。
基本、遊軍である。
やっぱ、自分でやったら早い、では運動は成り立たないから、自分でやらないことを選ぶ。
それが組織を大きくしていくポイントである。

が、PTAでは、まったく逆のことをしている。
なんでか、と考えてみると、答は簡単で、そのうち終わることがハッキリしているから。
ここのお母さん方とも、そんなにその後の人生でからむことはないだろうな、と思ったりもする。
だから、チャッチャとやっちゃって、任期が終わるのを待つというか、そういう感じね。

というか、高校にもなって、なんで親がそこまで…、って思うことも少なくないんですよ。
子どものテスト期間なんて、みなさん知ってます?
あれ?知ってる?。
う~む。
なにかちょっと勉強している風が見られて、「どうした?珍しいね、勉強なんかして?」と聞いて、「明日から中間テストなんだよ~」という答があってはじめてオレは、彼女がテスト期間であることを知る。
手紙を読みなさい!という意見もあるだろうが、そんなに重要なことって、ないでしょう?。
「明日弁当お願い!」とか集金とかってのは、本人が言いますよ。
小学生だったら当然かもしれませんが、高校になって、そんなこと別に手紙で親が先に知る必要があるとはあまり思わないというか。

今の時代、なんだか親子が親密すぎると思うんです。
いや、一方で、放任、じゃないな、ネグレクトの親もいっぱいいるからね。
そもそもの子どもの問題は家庭にあります。
だから、学校もそれを自覚してほしいというのはわかります。
けれども、あまりやりすぎはどうかな、と思ったり。

PTAに出てくる親なんていうのは、そもそもこういう心配はあまりなかったりするんだと思うんです。
だから、なんかちょっとこう、「そもそも論」になっちゃうんだけれど、PTAで○○講座とか、子どもの教育とかに関係ないことって、必要なのかな?って思うんです。

親同士の交流といえば聞こえはいいけど、どうなんだろう。
ちょっとオレはよくわからないです。

学校の方針に異を唱えるとか、そういう際に必要な組織だとは思うけれど、普段の中であまり必要性を感じないんです。
とはいえ、無かったらないでそれはまた「あったほうがいい」って思っちゃうと思うんです。
つまりは、「あり方」の問題なんだよな。

かといって、その「あり方論」「そもそも論」を持ち出すほどの時間はないんですよね。
子どもは3年で卒業しちゃうから。
その中でそもそも論を討議して、一定の方向性をつけて、しかもそれが脈々と続くような形にできるかというと、それは時間的に正直、無理だと思うんです。
しかも、仕事でやるわけじゃないから、現実的にそんなに時間がとれるわけじゃない。
だから、結局は「パッパとやって、任期を終える」ということを選ばざるを得ない。

すごくお役所的、日本的官僚主義的というか、そんな感じでイヤなんですけど、でも、それ以上のことができない。
だいたい、一年たっても、まだ出てくるお母さん方の顔と名前も一致しない。

ま、唯一実現できる方法としては、先生の側からこういう「そもそも論」が出てくるという形はあるかと思います。
けど、実際のところ、まあそういう感じでもないですね。
結局、「ああ、そんな経験もしたな」で終わってしまうのかな~。
こんな事書くと怒られるかもしれないけど、オレのところには来ないけど、いわゆる「女同士のイヤな感じ」もあったりするらしいし、困ったモノで。
まあ、このままいくのかなあ、任期のあと2年を。
ちょっとどうなんだろう…う~ん。

まあ、もっとステキな活動をしているPTAもあるかと思うんですが、ちょっと今はあまり肯定的に思えません。


てなことで、明日ついに「入江田マジックワンダーランド!」!
ぜひにじ屋に!




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(BGM:エイジア エンジニア「MOMI MOMI Fantastic(readymade モミモmix)」from「MOMI MOMI Fantastic feat.はるな愛」)
→オレははるな愛ちゃんが好きです。
すごくお父さんが厳しい人だったとか。
カミングアウトしてどうなるかと思ったら、お父さん怒る気持ちをぐっとこらえて、「その世界で一番になるようにがんばれ」的なことを言われたとか。
イヤ、立派なお父さんなのね。
なかなか言えないですよ。
そして、それに応えている彼女もとてもステキだと思うのです。

みちくさを喰おう!

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頭の中をジャパンツアー一色にしたいのに、まあなんにしてもいろいろ考えなきゃならないことがあってちょっと頭がパンク。
まあ、考えることが仕事とはいえ、どうにも時折気を抜く時を作らないとどうにもなりません。

人は、やっぱりやりたいことだけやるなんてことはやっぱりできなくて、それに付随する諸々に疲弊していくことが多いわけで、そこがまあ、ストレス。
うううう。
実際にはごく簡単なことなのにオオゴトになってしまったり、そうなると収拾をつけるにもオオゴトになる。
オレをそんなに困らせて楽しいか?って気もしたり。
でもまあ、困るのが唯一のオレの仕事なんで、それでいいんですけども。

自分に「がんばれ」って言って、「よし!」って思える人じゃないんだな、オレはきっと。
自分のテンションが下がらないように、その手だてをうまく使って毎日をこなしているけれど、どっかで気を抜くような時間が必要。
ウチの場合、休みが休みじゃないところもあるし、っていうか、そもそも管理職扱いのオレに休みはありませんが。
逆に言えば、いつでも休めるんで、そこはかなり有意に働いています。
あ、もうそろそろ気を抜こう、と思えば、そこで気を抜けばいいから。
でも、日程がつまってきたり、いくつものことが一度にやってくると、気を抜こう、という時間が作れない、ということにもなっちゃう。
ま、このへんは善し悪しです。


でも、最終的にはがんばるんだな。
がんばらなきゃ、人生面白くないから。
がんばった自分しか、ほめられないから。
気を抜くことはだからぜんぜんマイナスだと思ったことはなく、がんばるためには必要なことだから。
がんばらないで何をかできるほど立派な人ではないし、ダメだからこそ、がんばる。
でもそもそもダメな人間だからなかなかうまくいかないけれど、でも、そうしたらまたそのダメからがんばる。
まあ、人生その繰り返しです。


よく鬱の人に「がんばれ」と言うな、といいます。
けど、やっぱりオレは「がんばれ」って思っちゃう。
というか、それ以外に言葉がない。
例えば、外科的手術をした人にも、やっぱり「がんばれよ」って言う。
それ以外に、言葉ってありますか?。

おそらく、鬱にがんばれが禁句だというのは、「こんな事もできないのか」という言葉とセットであるからダメなんだと思うんです。
でも、「がんばれ」ってそういうことじゃないと思うんですよ、そもそも。
もっと違う言葉だと思うんです。


オレはよく「がんばれ」って言ったあとに「オレもがんばるよ」と言います。
がんばれ、って、ダメな自分を肯定する言葉だと思うんです。
オレもダメだけれど、オレもがんばるよ。
ダメはダメなんだけれど、ダメなりにがんばることで、ダメはダメじゃなくなる。
がんばってダメだとしても、明日またがんばればいいのだと俺は思う。
だって、所詮人間なんて、そんな立派なもんじゃないですよ。


人間、あきらめることだってあっていいと思うんです。
でも、それは何かをあきらめて、何かを成すためのあきらめる。
時間は有限だから、何もかにもできるわけがない。

長い目で見れば、鬱だろうが、オレにとっては気を抜くことだって、別にたいした寄り道じゃない。
それはがんばるための、人生をもっと面白くするための、楽しく生きるための、ただのちょっとしたみちくさ程度のことだと思う。

確かにね、オレは鬱になったことがないから、こんなことを言えるんだと思う。
話を聞いてみりゃ、そりゃ、かなり辛いことなんだろうと思う。
なりたくないとも思う。
でも、辛さを人と比べたって意味がないし、そういう人との比較から自由になった方がいいとも思う。
オレも辛い。アナタも辛い。
ただ、そういうことだと思うしかないと思ったり。
そう、たぶん、オレもけっこうギリギリだと思うんだ。
許容量いっぱい。


この前、ある苦しんでいる人に言ったんです。
「オレは、自分のまわりの人が鬱になっても言っちゃうな。
がんばれ。オレもがんばるよ。って。」

うん、オレは少なくともがんばるよ。
今日はダメでも、明日がんばる。
だから、君の期待に今は応えられなくても、明日はきっと応えられるさ。
応えられるまでやってれば、必ずそれは叶うのだし。




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(BGM:SAYOKO「花の河」from「PEEP」)
→ZELDA後期のミディアムバラード系統の一曲。
「星の数ほど涙流し すぎた日々 河へ流そう」
なんかね、この人のラブソング、といっても失恋ソングか。
すごく「次へ」感が強いので、オレはすごく好きなの。
ジメジメしたって始まらないわけで、涙流す自分も肯定して、そして、次へ。
ZELDAの「Darling Missing」から始まるこの感じ、なんかイイのだよ。

法を犯させた側の責任 ★ 光市母子殺人事件

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光市母子殺人事件の死刑が確定しました。
少年を死刑にすべきかどうか、その是非もそこでは問われていました。
この事件については、オレもちょっと注目して本なんかも読んでいたんだけれど(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-980.html)、正直こういう結果については、本当にこれでいいのか、という気持ちがわいてきました。

凶悪事件を死刑にする。
このこと自体は、今のところオレは否定するモノではありません。
というか、死刑論議については、ちょっとまだ勉強不足なので、そういう風に思っているのかもしれません。
国民が人を殺したらダメで、国家が殺す分にはいい、というのは確かに納得はいかないところはあるが、凶悪事件に関して、それを社会が排除するのは当然の帰結なのかな、と思うからです。
国家も国民の総意という意味で。
まあ、ここはもうちょっと勉強したいと思いますが、今のところ、そういうことです。

しかし、これが少年となると、またちょっと違うのかな、ということを今回は感じました。
少年だから凶悪事件を起こしてイイなどということを言いたいんではないんです。
でも、彼をココに駆り立てた、法を犯させた側の責任、はどうなるのか?ということなんです。


そもそも、子どもは未熟です。
だから間違いもする。
大人は、それを何度でも間違いだとしかってやらなければならない。
子どもをしかることや、何かその子の人生にとって必要なことを強制することは「子どもの人権」だのということとは全く無縁のこと。
それを間違ってしまって大騒ぎするから、どんどん世の大人は子どもをしかれなくなる。
駅で騒いでいる子どもを注意したら、親が「何でウチの子を怒鳴るんだ!」と逆ギレしてくると言うからあきれる。
どう考えても、普通、「有り難うございます、申し訳ありません」だろうと思うが、そういう阿呆な大人が増えて、子どもは何も学べなくなった。
それはあくまで大人の責任だ。

その結果として、殺人を犯す子が出たとして、なぜその子が責められよう?。
駅で他人お構いなしに、騒いで人にぶつかっていることの延長線に、この事件はある。
それをしかりもできない大人が、なぜぶつかってきたその子を死刑にできるのか?。

事件に翻って考えれば、だから、これはなんとしてでも更生させるべきだったんではないか、と思うんですよ。
それが大人の責任なんじゃないかって。
この事件は、「更生は難しいかもしれないが、大人の責任において、必死にそれに取り組む」と締めくくるべきだったんじゃないか。
そのことが、世の大人に子をしかる責任をあらためて植え付ける、思い知らせることになったんではないか。


こういう事を言えば、更生しようのない若者が「死刑にならないなら」とどんどん凶悪犯罪に手を染めるんじゃないかという意見もあろうと思う。
そういう面も否定できない。
しかし、かといって、死刑にすればいいというのは、短絡過ぎる気がする。

いや、ちょっと順序立てて考えてみよう。
まず、更生とは、駅でぶつかってきたときにまず行われなければならない。
3歳の時点から、大人は子を更生させることを考えなければならない。
注意した大人に逆ギレした先の親のような場合は、「叱り業務妨害」で、それこそ死刑でいい。
そういうことをしっかりやった結果、それでも凶悪犯罪を犯したら、その場合は死刑もやむを得ないかもしれない。
いや、そういうことがあり得ないための大人の責任なので、これが徹底されればあり得ないわけだが、もしそれでもあったら、それはその時にまた方法をあらためて考えるしかない。
それが大人の責任だろう。

少なくとも、今の状態は、昭和の時よりも地域社会の大人の教育力は徹底的に低下している。
親の教育力もしかり。
だから、まずをれを上げるようにしていく方策を見いださない限り、彼を死刑にしたところで、きっと何も変わらない。
当然ながら「死刑反対先にありき論」でも何も変わらない。
どころか、大人が子どもから逃げているということは明らかであり、それはより子どもをつけあがらせるのではないか。

単純な論で現実味も何もないが、でも、本質的にはこういうことだと俺は思う。
欧米型の個人主義を見直し、日本型の隣組・ムラ社会の(悪い点はたくさんあるのだが)イイ点をしっかり見極めて今の社会の中に取り込んでいくべきなのではないか。
それがまず我々のすべきことなんじゃないだろうか。


「法を犯させた側の責任~実際編」に続きます。




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(BGM:YUKA「お料理行進曲」from「キテレツ大百科 SUPER BEST」)
→これはいわずと知れたアニメのテーマ曲といっていいと思うんだけど。
アニメ自体はオレがずいぶん大人になってからやっていた感じなわけで、あまり見たことはないけど、この曲は頭に残っている。
つまりですね、これ、こうやってCDで聞くと2番まであることがわかるんだけれど、テレビでは、一番で終わるわけです。
1番はもうご存じ、コロッケのレシピを延々とやる。
「めざすはジャガイモ ゆでたら皮をむいて グニグニとつぶせ」から、「小麦粉・卵に パン粉をまぶして 揚げればコロッケだよ」とまあ、ここまではいいですよ。
コロッケできてるし。
しかし、この後だよね。
「キャベツはどうした?」って男性コーラスが唐突に入る。
これ、みなさんはどうなんでしょう。
いや、どうしたもこうしたも、それは付け合わせのさじ加減だと思うんですけれど、なんかこの唐突さがあまりにおかしい。

大人は、いつだって君を愛しているよ

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ちょっと前になりますが、にじ屋でこんな事があったそうです。

妙齢のおばさんがやってきて、「ランドセルはないか」という。
聞けば、保育園の保母さんから相談を受けたそうで、自分の受け持っていた子が小学校に上がったのにランドセルがないようだから…、てなことらしく…。
今の時代、そんなことがあるのかと思ったけれど、格差社会もくるところまできたという感じもある中、そんなもんなのかと思ったりしたんですけど。

けどよく聞いてみると、これは単純に格差云々ではなかった。

よくよく考えてみたら、それだったら買ってやってもいいじゃないかという話になるわけで。
これはあくまで「わざわざ買うんじゃなくて」ということが重要なんだということにすぐに気づきました。
つまり、その子の親の手前、買うわけにはいかない、という状況であるということですね。
かなり状況が複雑であることがうかがえます。

まあ、売り物ではちょっとランドセルはなかったのですが、チンドンの衣装用にとってあったものが一つありまして、それを「売り物ではないから、どうぞ」ということで渡したとのこと。
このにじ屋に訪れた方、その翌日にも来て、「どの子も大事にされる存在なのに、何とかしたかったからうれしかったわ」と、言って下さったとのこと。
アキの報告によれば、ランドセルはその人から直接ではなく、色々手を尽くして渡す手はずになったらしく、「(ランドセルを)買わないことで、ほんとにたくさんの人を巻き込んでる。うちもそう。」と。
そうだね、子どもは国の宝だから、みんなでこうやって考えていること、きっといつかその彼がくじけそうになった時に、わかってもらえたらな、と思いました。


にじ屋にはいろんな子が来て、その中には、冬だというのにTシャツだったり、朝から何も食べてない様子で、試食のおせんべいを一生懸命食べる子だったりがいます。
なんか手に傷があるな、と思ったら、次の日にはそれが膿んで腫れてしまっている子もいる。
何日も風呂に入っていないのが明らかな子もいる。

どうしたもんかと思うのだけれど、あまりに問題が大きければしかるべきところに相談する心づもりもあるけれど、なかなか「気になる」くらいのことだと、放置になってしまう。
「これでいいのか」という思いがいつも残る。
でも、今回、こういう人と知り合いになることで、またなにか違ったルートも生まれてくるかもしれない。


確かに、深夜のファミレスやコンビニで小さな子どもが親に連れられていることがあったりして、気になったりする。
まあ、旅行に行く途中だとか、本当にそういう「イレギュラー」な感じだったらまだしも、どうも「日常の風景」と見える家族もいる。
それも、俺なんかはおかしいと思うんだけれど、「ウチのやり方ですから」なんて反撃されてしまうとどうにもならない。
確かに、考えかたというのはあるとは思うから。
とはいっても、「それでいいのか?」という思いは消えない。


俺は、こういう子ども達が、犯罪なんかに走ることなく、まっすぐに育ってほしいと思う。
そして、「イイ仲間」「イイ大人」に恵まれてほしいと思う。
だめだったら、にじ屋にまた来てくれてもイイ。

例え親が自分を捨てたと思っても、そしてそれが事実だったとしても、君のことを考えている、君のことを気にかけている大人はたくさんいるってこと、覚えていてほしい。
君が駆け込んで来さえすれば、きっとたくさんの大人が、君を守ってくれるはずだ。
いざとなったら、その手があること、忘れないでいてほしい。


今回、こんなことがあって、俺は、「日本人、まだまだ捨てたもんじゃないじゃん。俺もがんばらなきゃ」と思った。




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(BGM:CUBISMO GRAFICO FIVE「POMP AND CIRCUMSTANCE feat.RICO RODRIGUEZ」from「ROCK THE MIX 2」)
→威風堂々、ですね。
これは楽しいです。
威風堂々は、こんな感じに楽しいアレンジがイイと思うのよね。
このCDは松本素生さんという人のミックスCDなんだけど、なんか選曲がばっちりはまっている。
吾妻光良&The Swinging Boppersにはじまり、つるみの塔なんか、昔よく聞いた。
同世代?いや、きっともっと若いんだろうけど、なかなか趣味が渋い。
いいです、このCD。

まあ、思っちゃったのでしょうがない

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こういうことを書くと、怒られるのはわかっていますが、やっぱどうしても思うことがありました。
思っちゃったモノはしょうがない。

何回か書きましたが、PTAの役員やってるんです。
クジでね。
やりたくないんですけど、まあしょうがない、と思ってやってるわけ。
まあ、ほとんどの保護者の方も同じだと思うんです。

で、やっぱお母さんが多い。
お父さんで出てきている人も数人いるけれど、絶対数はかなり少ないです。
まあ前提となる状況としてはそういうことですね。


そんな状況の中、前にも書いたと思うんですけど、話し合うっても、なかなか前に進まない、ということが多いんです。
ああでもないこうでもない、と、「今話すことじゃねえだろ!」って話まで出てきて、混乱しちゃうのね。
決めることはよくよく考えれば単純なのに、あれはこうだとか、こうなったらああなるとか、決まる前からいろいろと意見が出ちゃって収拾がつかないのであります。
あ、オレ、委員長なんで、進行役もやっています。

ところがですね、そこにお父さんが一人入ってくれて、意見を言ってくれると、うまくまとまることがある。
つまり、進行役であるオレとそのお父さんとのなんていうか、相談したわけでもないのに「こういうことですよね」というような共通認識というか、そういうことができあがるんですね。

まあ、そもそもPTAで決めることなんていうのは、どうでもいいんです。
なんて言ったら怒られるけど、でも正直そうです。
少なくともうちのPTAでは今のところそうです。
バザーやりましょう、ということが決まっていたとして、どんな段取りで値段付けをしようが、会計の場所をどこにしようが、集合時間を13時にしようが14時にしようが、まあどうでもいいでしょ。
そういうどうでもいいことを決めるわけなんで、まあそもそもどうでもいいから、みんなのいい感じで落としたい。
オレはあまり今まで虹の会なんかでも「多数決」ってのはあまりやらないので、っていうか、旅行の行き先を決めるときくらいしかやらないので、あまりそういう決め方もしたくない、っていうか、そんなに深刻に決めることでもないんですよ。
だいたい、「あの人が言ってるからいいか」とか、そういうことでいいんだと思うわけ。

だいたい、なんだかんだ言って、PTAというのは中心人物というのがなんとなくできます。
委員長とかっていうレベルじゃなくて、なんとなくお母さんの中でリーダーになるような人っていうか、人が集まる人っていうか、そういう人っているんです。
もちろん、その人ばっかりを重用したらうまくいかないのはわかってますが、それでもそういうのって「使いよう」なんだよね。
だから、こういう場合、意見の内容というよりも、誰が言うか、というのが重要だったりします。


で、ここまでが説明で、これが気づいたことなんですが、「女の人には人間関係の秩序を見抜けない人が多い」ということ。

男の場合だと、一目会った瞬間に、「この人の言うことに従っとけばうまくいくな」とか、その集団を見回したときに、「今回はオレがたたないとダメかな」「この程度のことだったら、自分はやらなくてすんで、あの人がやってくれるだろう」とかっていう、ある意味「序列」みたいなモノがなんとなく頭に浮かぶんです。
まあ、それがまた邪魔くさいという意見もあるかと思いますが、そういうことが多いような気がする。
だから、その「従っておこう」と思った人の意見には、まあどっちでもよければそれで決まるように自分が動けるわけです。

けど、お母さんたちの場合、これが通用しない。
なんでもかんでも、気づいたことを言ってくるので、もうどうにもまとまらないの。
あの人が言ったんだから、やるって言ってんだからいいじゃん、とかって思うんだけど、なかなかそうはいかない。
いや、悪いことじゃないんですよ、気づいたことをいうのは。
でも、どっちでもいいことを、ああでもないこうでもない、という時間は、正直もったいないわけです。


この「序列を一目で見抜く力」という、いわゆる人間関係の「秩序」みたいなモノね、なんかオレはすごく性差があるように思っている次第。
そういえば、親御さんと話すときも、お父さんというのは、相手を見て話している感じがするんです。
こっち側が誰かによってかなり対応が変わる人もいる。
例えば俺が行けば黙る、みたいなね。
けど、お母さんって変わらないんです。

ま、もちろん全員が全員そうではないですよ、決めつける気はありませんが、そんな「傾向がある」気がしている、という話です。


あ、それとおもしろいんですけど、親御さんと話をするという時に、両親が来てくれているときには、イスを二つ用意しておくわけですよね。
で、それのどっちにどっちが座るかというのはオレはほぼ100%当てられます。
これはその家庭によって変わりますけど、そういう、なんていうか「秩序」もありますね。
その辺については、また改めて書こうと思います。




(BGM:SNAIL RAMP「恋人がサンタクロース」from「DISCOVER」)
→ちょっとカバーをやってみました的ミニアルバム。
全般的にそんなに凝っているわけではない。
歌詞は英語なんだな、これは。
これを聞くと、バブルって言葉が浮かぶというか、恋人がサンタクロースなわけがない、というコトになるんだけども。
タイトル勝ちだと思うのね。
こういうタイトルの付け方ってすごいと思う。

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