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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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オグラが来た ② ~もう「お姉さん」とは呼ばない

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昨日、オグラが来ることは書きましたけれど、オグラのことはまたおいおい書くとして。

オグラにはお姉さんがいて、親御さんが高齢というコトもあって、施設から一時外出でにじ屋に来る時には一緒に来てました。
イベントなんかにも一緒に参加してたりして。

お姉さんが言うには、「いろんなトコロを見に行ったけれど、ここの人たちほど生き生きしているトコロはない」と。
ふむ。
「弟がこんなに笑ってるのを、久しぶりに見ました」と。
ふむ。
まあ、俺たちはオグラが笑ってるところしか見てないので、オグラが普段「マッタク表情がないんです」ということがにわかには信じられないのだが、まあ、そういうことらしい。

お姉さんの年が加納と近いこともあったりで、オグラのお姉さんということを越えて、なにか友情のようなモノが芽生える感もあったのかなかったのか。
なかなかステキな方で。


で、まあウチに来ることが正式に決まって、施設を出る日も確定し、にじ屋のイベントにお姉さんだけ来ていた時がありました。

「私、この半年でここに来るようになって、もちろん弟のコトで来てましたけど、自分も楽しみだったんだな、と思って…。もう来れなくなっちゃうかと思うと…なんか寂しくて」
…ふむ。
まあ、ウチの場合、親御さんを運営に入れていないので、ウチに来ることになったら、やっぱり家族の方はにじ屋で買い物もしてもらいたくはないし(親が金をあげちゃってることになるし)、イベントにも来てもらったりはしない。
ちんどんのライブも、大会場ならお誘いすることもありますが、普段はキャパの関係もあり、遠慮してもらっています。

そんな流れなので、「もうオグラ本人がこっちに来ることになったら、私は来れなくなっちゃうんだな…」という、まあことなんですけど。

ですねえ。
寂しいけれど、やっぱりそこは一線を引かないと、オグラのためにならないな、というか、みんなのためにもならないとは思うので、そこは、泣く泣く遠慮してもらわなきゃならないかな、ということではあるんですが。


俺は、お姉さんにはお姉さんの人生を明るく生きていって欲しい。
幸せになって欲しい。
オグラのことにかかりっきりだったこの数年を、やっぱり取り戻して欲しいと思う。
じゃなきゃ、それはやっぱり福祉の敗北なんだよ。

親や家族が必死になって子どもにつきあわなきゃならない、という現実。
これは確かに今はそうなんだけど、それを変えなきゃいけないと俺は思う。
テレビで親御さんの必死の介護だったり、親御さんが必死に作業所を立ち上げたりするのを美談にしてたりするけれど、それってやっぱりおかしい。
そんなの美談にしちゃいけない。

いや、確かに美談ではあるけど、そこに社会は反省しなきゃいけない。
福祉の現場は恥じなきゃいけない。
少なくとも、テレビなんかのドキュメンタリーならば、美談で終わるのではなく、その反省が加わってなければ話にならないと俺は思う。


まあですね、わかるんです。
親御さんの中には、数十年も子どものために団体をやり続けたり、作業所を立ち上げたり、ともすれば自分が職員になったり、ということをしている。
そして、それを続けていれば、それ自体が「生き甲斐」にもなる。
というか、自分の生き甲斐にしなければやってられないよね。

でも、それは反転してるんです。
確かに、美談ではあるし、それがなければ、本人には何もないんだから、必要なコトでもある。
けど、それは福祉がきちんと機能せず、「障害者を産んだ親に結果的に責任を負わせる」ことを助長することにしかならない。
だからまず、その「福祉をきちんと機能させる」ということを考えなきゃいけないんだけど、どうしても、今の福祉、福祉の現場は「本人を救う」ことではなく、「親御さんや家族を支える」というような感じの雰囲気に飲み込まれている。
それが親御さんの「生き甲斐」、といっても生き甲斐にしなければやっていけないような状況があるわけだけれど、と妙にヘンなマッチングをしてしまい、底なし沼のように本人を抜け出せない状況に追い込んでいる。


だから、スッキリすればいいんだと思うんです。
親御さんは参加を遠慮してもらう。
これだけで、少なくとも現場は変わるはずです。


ま、そんなこんなでお姉さんですが、これからはまた別の機会に飲みに誘ったりしようかな、と思っています。
そうですね、もう「お姉さん」と呼ぶのもやめました。
先日、お名前もちゃんと聞きました。

で、彼女のことは、もう名前で呼ぶことにしました。





(BGM:アレルギー「不知火」from「蘇生-Anabiosis-」)
→その後の復活ライブ以降でも定番ですね。
もう俺なんかは歌っちゃうね。

親子の距離感 その3(ラスト)

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2782.htmlのつづき

さて、とは言っても、親御さんの心配をなんとか軽減することを我々も考えなければなりません。
親御さんにばかり「自分の世界を作れ」といっても、現実的には、まあそれはそうした歩み寄りの結果でしか産まれないような気がします。

本人もまあ普通で、親御さんも仕事を持って、それなりにうまく回転している時は、まあなんとかなるんです。
普段の様子を機関紙や、時に必要であれば電話やメールなんかでやりとりして、というようなことで済むわけですが、これが崩れる時があります。

これは反省でもありますが、それは、家族に変化があった時、です。
本人に変化があった、ということでは全くなく、これまでの経験でいうと家族に変化があった、ということ以外には、うまくいかないことはまずありません。
具体的には、同居のおじいちゃんとかが亡くなった、とか、親の片方が亡くなった、とか、入院した、とか、そういうことですね。
それによって、親御さんの方の意識がグググッと変わってしまうことがあります。

家族の変化から、子どもの未来が急に心配になってきたりもするでしょうし、それまで看護で疲れていたところに、それが急に無くなったコトによる喪失感、みたいなモノが、一気に子どもの側に心が傾いていく結果になる。
そうなると、子どもの頃のイジメなんかのことを思い出してしまったり、急な不安が襲っても来ます。
この時に、こちらがちゃんと連絡を密に取れるように努力しなければならないんですが、またそのことが逆に不安を煽ってしまったりすることもあって、まあ難しいところなんですが、どちらにせよ、そういう時が重要なわけです。

その方法は、おそらくケースバイケースってコトになるわけですが、互いにですね、「こういう時がいろんなコトが崩れる」ってことを平素から理解し合ってることも大切かな、と思います。
そのことがよくわかってなかった時には、ずいぶん不幸な形で別れるしかなかった仲間もいます。
それはとても今は後悔です。


どのみち、親は先に死にます。
その時に、彼本人がどうするか。
どう生きていくか。
「どうせ施設なんだから。どうせ彼の人生は不幸なんですよ」と捨て台詞を俺に吐いた親御さんもいましたけど、それを親御さんが決めちゃダメです。
そうなったとして、でも、「どうせ」なんて言葉を使ってはいけません。

どうせ、ではなくて、なんとか彼が一人で世の中に対峙していく力をなんとかつけていく努力をすべきじゃないかと思うんです。
「どうせ無理だ」なんて言ってしまえば、もうそこで終わりだし、障害者を親に押しつけて、しかも微々たる補助金しか出さず、安穏と生きている連中の思うつぼです。
そうしていれば、やっぱりいつまでも障害児を産んだ親とその子は一体になって社会から孤立していく状況はなにも変わりません。

先に書きましたが、社会から孤立していく状況に甘んじているよりは、攻撃に転じていかなきゃいけない。
その道スジが、きっと本人と親御さん自身を解放させていく道のような気がするんです。

親御さん自身が、いつまでもその子を産んだことの責任を感じ、社会にいつでも頭を下げ続けていたのでは、なにも変わらない。
もちろん、気持ちはわかります。
でも、道の真ん中を堂々と歩きましょうよ。
一緒に。

社会に迷惑をかける存在から、社会の一角で、社会を構成する一員として彼らが光ることができるように。
そんな社会に、そして、そういう彼になれるように、我々はできる限りの努力をしていかなきゃいけないと思うのです。
福祉の現場は、そのことを目指して毎日を過ごしていかなきゃいけないと思うのです。




相談など気軽にどうぞ。虹の会HPに連絡先などあります。また、今まで断ってきた講演等も、今後は、受ける準備が自分の中で整いましたので、お話あれば連絡ください。

(BGM:LONG VACATION「SING SING SING」from「1991 SUMMER」)
→ケラさんですね。
もういつの間にかビックネーム。
ケラさんといえば、有頂天だとかナゴムだとかのDOLLの広告を思い出す俺。
才能ある人ってのは、まあどっから出ても才能が開花するもんなんだな、うん。

親子の距離感 その2

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http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-2781.htmlのつづき

さて、ちょっと前回も書きましたが、親御さんの心配はわかるんです。
「ウチの子は自分の気持ちがちゃんと言えない。だから、親が代わりに、見てやって、代弁してやらなきゃいけない。」
わかります。
小学校や中学校、いろいろとそれまでにイジメられたりもしたでしょう。
だから、いつだって神経を尖らせてないと「この子は迫害されてしまう」みたいな。

きっと、それまでのそうした経験が、親御さんとその子を一体化させ、孤立させてきたんだと思います。
それは、正に社会の状況を如実にあらわしているといえます。
だから、親御さんを責めたいんじゃないんですが、でも、その一歩先に俺はいきたい。
社会の中で孤立せざるを得なかった状況から、攻撃に転じたい、というか。

最終的には、彼らは親子一体で孤立していた状況から解放されなければならない。
そして、そのことは、親御さん自身も解放されなければならない、ということなんです。


これまでの経験から、作業所なんかに不信感を抱くのはわからなくはないんです。
でも、それって、全部を見れないわけですから、不信感というのはいくらでも増幅できちゃう。
こちらであったことを話したとして、「信じない」と言われちゃうこともあります。
そうなっちゃうと、もう話が進まない。
つまり、「心配」のあまり、必要ない、事実にはまったく関係のない「不信感」が煽られるコトになっちゃうことがよくあるんです。

彼らが仲間同士でトラブルがあったりするのは、楽しい時があるからこそ、トラブルがある。
そのトラブルをいちいち親が事前に回避してやってしまったら、彼らには仲間が出来ない。
トラブルを越える経験も必要です。
もちろん、我々はそれを遠くからきちんと見ているわけですが、それでも、ちょっとした「今日は起きたくないな、ねむいな」みたいなことを、真に受けちゃったりすると、その「不信感」が煽られちゃって、本人自身が引くに引けなくなっちゃう状況になったりします。
そうなると、「ちょっとしたグチ」まで彼らは言えなくなってしまう。
つまり、かなり窮屈な状況に置かれてしまうことになります。

状況を飲み込みながら、距離感を保ちながら、それでいてちゃんと見守ってやる、っていうことには、現実的には、親御さんにもきちんと世界がないと成り立たないんですね。
親御さんはいつも子どものことを考えていて、子どもがどっかに行っていても、いつも「どうしてるだろう」「困ってないだろうか」「仲間はずれになってないだろうか」なんて考えていると、いらぬ不信感がどんどん広がっていってしまうものです。
親って、まあそういうもんではありますけど。

でも、どっかでそれを考える時間を減らしていかなければ、その不信感は人間を取り込んでしまって、子から目が離せない状況になってしまいます。
彼は彼でなんとか不十分でアリながら、うまく行かなかったとしても、なんとかかんとか世の中を上手く渡っていくだろう、という風に頭の中を転換しないと、どうにもこの状況からは抜け出せなくなってしまう。
そうなれば、先にも書きましたが、窮屈になっていくのは本人でもあるんです。
そして親御さんも心配だから仕事もできない、なんて状況になる。
互いに窮屈な人生の中に閉じ込められてしまう。

どこかでこの悪循環を断ち切っていかなきゃならないんだけど、それには、俺はまず親御さんが自分の世界を作っていくことが必要なんじゃないかな、と現実的には思います。


しかし、まあそれは理想論かもしれません。
作業所なんかで、3時に帰される。
何かあれば呼び出される。
手伝いにかり出される。
何か予定があっても夜まで作業所に置いておいてはくれない。
…とかっていう状況の中では、親御さんが自分の世界を持つってことは難しい。
逆に、「子どものことをもっとちゃんと見てください」なんて作業所側から言われるようなこともあるとも聞きます(まあ、これは中身にもよりますが)。
これでは、そもそも「自分と子どもの距離を保て」なんて言われても無理という気がします。

今の補助金の出され方の状況、「制度で決まったことしかやらない」というような運営姿勢の作業所では、そもそも、彼らの解放などはできないのかもしれません。

しかし、俺は、もっとも福祉において、彼らの解放こそが目指すべきモノだと思っています。
そして、実際にそのことを実践し、制度を追いつかせる、くらいの気持ちで、毎日を過ごしていかなければな、と思うのです。


続きます



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(BGM:KWEEN「Somebody To Love」from「Rhapsody from Heaven」)
→完コピの人たちですね。
バンド名もイイ。
そして、このアルバムは基本アンプラグドってことなんだけど、それもこの曲なんかにはバッチリハマる。

親子の距離感 その1

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というわけで、いつだったか、ホンビイでみんな機関紙の原稿を書いていまして、けっこう遅くまでかかったヤツもいました。
で、なぜかコウヘイ一人が筆の滑りがよく、最後まで残っておりました。
俺とコウヘイ、という、あまりない取り合わせに。

ちょっと話の本題の前に説明が必要なんで、説明しますが、その翌日、コウヘイはカイの家に泊まるコトになっていました。
翌々日がちょっと朝早かったので。
そんなこんなで、その前日にいろいろとその話をしていたので、どうもコウヘイはその日から泊まりだと思っていたらしく。
カバンの中を見ると、パンツとか靴下が入っている。
ま、泊まる時は「薬とパンツと靴下をもってこい」ということになってるので、それはいい。
ちゃんと二着づつ入っている。
ま、とにかく彼は泊まるの大好き。
そりゃそうだ。
これまで、「友だちの家に何となく泊まりに行く」、なんてことは彼の人生でなかなかなかったことなわけで、そりゃテンション上がるわ。
みなさんも学生時代なんかを思い出してください。
テンション上がるでしょ、当然。
そこにきて、コウヘイは「調子のり」だから、その上がり具合も普通じゃない。
ま、ステキなことですね。

で、そうなれば、泊まったらいいじゃん、という話になるんだが、その日、ちょうどカイが熱を出していて、インフルではなかったモノの、胃腸炎かもしれない、みたいな診断だったと一緒に病院に行った外口さんから聞いていたので、泊まらない方がイイかもな、と判断。
家に帰れ、ということになったのだが、「一応、家に電話した方がいいんじゃないの?ご飯ある?って聞きなよ」ということになって、コウヘイはお母さんの携帯に電話した。

すると、なんか電話がコウヘイの言葉だけだとハッキリしない感じだったので、ラチがあかないと思って電話を替わった。
そうしたら、「今日から泊まりって言ってたから、今、外なんです~」とのこと。
「了解、了解。ですよね。わかりました。なら、一緒になんか喰ってから帰るようにしますね」ということで、一緒に飯を食うことにした。

ちょうど、雨が降り出してきて、しかも傘がない。
しかも、朝も雨が降っていたのでコウヘイは歩きで来ていたこともあって、もう21時くらいだったか、飯を食って家まで送ってやるよ、って話になりました。

ま、それがあったことの全容なんですが、俺が注目したいのは、この「泊まりだと思ったから外なんです~」という部分ね。
だって、すばらしいじゃないですか。

つい先日、ある親御さんとその子について話す機会があって、「こういう癖がありますよね~」なんて話していたら、「ああ~そうだったねえ。なんか最近会ってないから忘れちゃった」みたいなことをその親御さんが言っていたんですが。
これ、ステキですよね。

やっぱね、高校を出て、働く。
大人になるというか、そうなったら、だんだん親子の距離は空いていくんです。
それ、普通じゃないですか。

ウチの子どももこの春から就職ということで、働き始めたり、残り二人も大学生になったわけだけど、もうよくわかんないでしょ。
どういう職場かもわからないし、本人から話を聞くしかないけど、会う時間もどんどん少なくなっていく。
だからよくわからない。
「何か困ったら、いつだって相談してくれよ」とは言っているモノの、つまり、まあ、「便りがないのは無事な証拠」って感じになっていきます。


知的障害の子を持った親は、どうしても、「この子のことを私が守らなきゃ」という路線のママ、子が大人になっても学校の時と同じように、つまり子どもが大人になっているのに、それに気づかないで子どものママ接してしまう。
まあ、わかるんです。
作業所がちゃんとやってくれているのか、とか、心配になるのはわかる。
「この子はちゃんと言えないから」というのもわからなくはない。
けど、彼らの世界を広げるためには、やっぱり距離感はきちんと保たないと、いつまでも彼らの世界は広がらない。

具体的には、彼らの世界を広げるって行為は、親御さん自身の世界も広がっていかないと、どうにもならない。
だから、親御さんには親御さんだけの時間をぜひ作ってほしい。
夫婦二人で映画に行くもいいでしょう。
お友達と舞台を見に行くんでもいい。
そういう時間をもっと親御さんも積極的に作っていってほしい。

いつだって、「自分には子どもがセットでついてこなきゃ成り立たない」、という状況は、閉塞感を深めてしまいます。
それが「当たり前」になってしまうと、彼ら自身の世界を広げるどころか、どんどん窮屈な状況になってしまう。

俺は、この「泊まりだと思ったから外なんです」とか「最近会ってないから忘れちゃったなあ」という親御さんたちの言葉を、とてもすばらしく、自分にとってもありがたい言葉だと思っています。
ひいては、それは、彼らの世界を驚異的に広げていくことになります。

こういう言葉をたくさん聞くことが出来るように、毎日を過ごしていきたいもんです。


続きます



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(BGM:Kokua「Progress」from「Progress」)
→なんか、とにかくこの曲が好きって言うか、スガシカオさんがかなり俺、好きだわ。
独特の曲進行っていうのがあるよね、この人。
ハマったら、もうはまるタイプの。
最近ずっと聞いてる。

「絆」を越えて

【殴りあい2】に多数のご来場ありがとうございました!。また次回もよろしくお願いします!

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ネットで、2013年9月14日付の読売新聞にこんな記事がありました。
抜粋します。

「累犯障害者に執行猶予 更生に重点 識者ら評価」

 地検と福祉団体が協力して累犯障害者の再犯予防を目的に始めた「大津プロジェクト」の初適用者で、窃盗罪に問われた大津市の知的障害者の男性被告(61)の判決が13日、地裁であり、丸山徹裁判官は、懲役1年、保護観察付き執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。別の窃盗罪の執行猶予中に起こした犯罪に絡み、再び執行猶予判決が出るのは異例だが、専門家は「再犯防止に重きを置いた判断と言え、理解できる」としている。

 大津プロジェクトは、知的障害があり、犯罪を繰り返す「累犯」傾向の容疑者や被告に対し、捜査・公判段階から福祉の専門家が積極的に関与し、再犯防止とともに社会内での更生を目指す点に特徴がある。

 検察側はこの日の論告で、「刑事責任能力があり、身勝手な動機に酌量の余地はない」としながらも「具体的な福祉支援策が提示され、すでに実行に移っている」と情状面を酌む意見も陳述。「懲役1年」の実刑を求める一方で、「執行猶予を付する場合は保護観察を付けるべきだ」と異例のコメントも付け加え、裁判官がプロジェクトにのっとった判決も選択肢に入れられるよう配慮した。

 浜井浩一・龍谷大教授(犯罪学)の話 「再犯防止の観点に立ち、福祉の助けを受けるという前提での執行猶予付き判決は大いに意味がある。累犯障害者に対して単に刑罰を科すだけでは根本的な問題解決に至るとは考えにくい。検察庁と福祉の専門家らが連携し、累犯障害者に必要な福祉の助けを考えて効果的に施すことは、再犯防止の新たな可能性だ。有意義な取り組みで、全国的な広がりを期待したい」


山本譲司(元衆議院議員・東京都議会議員)さんの収監体験の出版からこの累犯障害者という言葉が大きく取り上げられるようになった。
平たく言えば、彼らは犯罪の加害者として収監されているが、その人生の中で、適切な援助を受けてこなかった被害者でもある、ということになるか。
つまりは、社会に彼らを加害者にしない努力がない、ということである。

親がきちんといて、その親に彼らをきちんと導ける能力がある、とか、きちんとした作業所なりにかよって、それなりに援助を受けている、とか、どっかの団体なんかに所属していて、その中でそれなりに援助を受けている、という場合は、まあいいわけだけれど、このどれからも漏れてしまうと、おそらく「同じ軽犯罪を繰り返す」という結果になるのは、日々の経験からわかる気がする。

で、ココまで書いて、この「適切な援助を受けている」という、その援助の担い手が、全ていわゆる「民間」であることに気づく。
まあ、公営の作業所もあるといえばあるが、現実問題を考えると、作業所の多く、というか9割以上が親の運営だったり、いわゆる「認可」された作業所、ということになろう。
運営主体は、あくまで民間である。

かといって、すべて障害者、もしくは障害者と思われる人に「行政のシステムがかっちりはまる」というのも、逆に言うとこれは恐ろしい「管理社会」であって、オレとしてはイイとは思えない。
もちろん、その責は福祉行政にある、ということは否定しないし、運動団体としてはそれを攻撃の手段とするが、それと行政による「人間の管理」を肯定はしない。
それは、障害者運動を含む市民運動の究極のゴールとしての「民衆の解放」を意味しないからである。

と、まあ、それはそうとして。
今の現実問題としてこのことを考えると、こんな感じになります。

民間のそうした作業所作りなどの動きにうまく絡みとられれば、刑務所に繰り返し行く可能性は低くなる。
けれども、そうじゃないと、人生の大半を刑務所で過ごす、そして「刑務所の方が居心地がいい」などということが起こる。
そういう人が、少なからずいるというのは、つまり「民間のそうした動きに絡みとられない人が少なからずいる」ということになる。

これ、経験的に、簡単に言うと、親同士の関係性なんです。
小学校、中学校、障害児学校に行こうが普通学校に行こうが、障害児として扱われている親同士のネットワークの中に、うまくハマる親の子は、なんとか本人もそのネットに絡みとられるけれど、そうじゃないと、そこから落ちる。
同時に、そういう親は、「子どもを適切に援助することが難しい」コトが多い。
結局、リーダー格の親単位で作業所ができて、そのどっかに参加することで、子どもの行き場所を確保する、というのが、今の障害者の生きる道の大きな方法なのだ。

そこには、親同士の関係があり、それはまさに単なる「人間関係」だから、裏切りがあったり、ハブがあったりもする。
親同士だからと言って、きちんと子どもの将来に論議ができるかというと、そういうわけでもなく、とにかく「仲間から落ちないこと」が求められたりもする。
つまり、今の「イジメが蔓延する学校のクラス」をそのまま親がやらざるを得ない、と考えるとわかりやすい。

ここからこぼれ落ちてしまうと、本人も同時に落ちてしまう。
例えば、親が死んでしまったら、本人は施設に行かざるを得ない、というのも、そういうことなんである。
親同士の関係の上で、利害は「互いの子を互いで支える」という、いわゆる放射能汚染における「絆」のようなものだから、支える親が死ねば、その子を他の親が支えるというのは、利害関係の上で成り立たない。

さて、ここまで書いていて、ホントに、なんだか切なくなるのだが、結局、この「互いの子を互いで支える」という「利害関係」の上にある、「親のネットワーク」に変わる何かを社会は構築しなければならない。
だって、その利害関係は、本人同士の関係の上では、なんも関係のないことなんだから、そこから本人をまず解放してやらなければならない。

我々も、親を入れない作業所運営の先駆けとして、このことは真剣に考えなければならないことだと思う。




にじ屋ブログが最近なかなか面白いぞ!みんながんばって書いておるようだ。虹の会本体HP「NIJIROCK.COM」からどうぞ!

親から独立した生活をしたいと思っている障害者の方、親の元気なウチになんとか障害を持つ子どもと離れて暮らす方向に持って行きたいという親御さん、親亡き後の不安、などなど、その辺の相談にのっています。お気軽にどうぞ。
まずはコメントください。非公開で対応します。


(BGM:フジファブリック「Love」from「HAPPY BIRTHDAY, JOHN」)
→この人達のことは、矢野顕子さんがライブでカバーしていて気になって、ちょっと音源をあさってみたらあったという。
これはジョンのカバーですが、かっこいいわ。
この重たい、というか、けだるい、というか、このサウンド、すてきじゃないの。

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