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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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先日、タピオカ超特Qさんの、いや、失礼、ユリオカ超特Qさんの「Q展」に行ってきたわけですけど、いやいやいや、毎回素晴らしいが今回、俺はなんかすげえ面白かったな。
毒っけも強くて、こういうユリオカさん好きだわ。
つまり、毒っけも強くてこういうユリオカさんが好き。
繰り返していきますよ小泉無双。

ということで、その後ちょっと飲んだりして。
夜の部だったんで、まあそんなに時間はないが、でも行こう。
行くんだよ、と。

どうなんですかね。
飲みに行くとイイながら、その日は俺はウーロン茶とかいただいてましたけど、それはそんなにどうでもいいことで、そういう時間が大事、というか。

基本、酒が飲めない人というのはいます。
飲めたにしても、体調にもよりますね。
翌日の云々とか。
だから、酒を無理に飲ませたりするのは俺は大嫌いです。
飲まなきゃいかん、とか、一気、とか、そういうの、すげえイヤじゃん。
何せ楽しくない。

大事なのは時間の共有であって、酒じゃない。

ま、今の時代、職場の飲み会は遠慮します、みたいな流れもあるそうで、それはそれで俺は遠慮したらイイと思います。
なので、俺が言い出すとちょっと強制っぽくなっちゃうので気にはしていますいつも。


ちょっと話変わりますが、ウチは、新人が来ても「新人教育」というのはありません。
ありませんが、それぞれの上の人たちが、それぞれに考えて彼らに当たっていく、ということになります。
けど、それは系統立ってないことなので、どこかでまとめてやる必要があります。

「市丸の携帯のチェックをやってるけど、アレは○○というコトが前にあって、で、今○○という理由でやってるんだよ」ということを伝えてやることも必要、という。
とりあえず、見よう見まねでやってるけど、その理由をきちんと説明してやる、ということですね。
で、その説明は、おそらく携帯のチェックだけじゃなくて、給料の封筒分けだったり、どっかに出かける時のルール、だったり、そういうのにも関わってきたりする。
つまり、各々バラバラにやってることを「つなげてやる」というか。
そういう作業をしていくことで、大きな枠でモノゴトを考えられるようになるし、そもそも市丸たちにどんな応援が必要なのか、という根本的なことを考える礎ができていくのではないか、と思うわけです。

つまりは「勉強」みたいなことなんですけど。
これ、じゃあ時間を取ってその勉強を日中に入れられるか?というと、これが難しい。

いや、入れるべきだと思うんですよ。
けれども、やっぱこれらの話はどこか市丸たちがいるところではやりにくい。
というか、「してはいけない」と俺は思っていて。

つまり、学校の先生が子どもの指導について会議をする、という姿を見せたら、一気に彼らは「対象」になってしまいますから。
それは避けたい。
「対象である」ことは、彼らに見つかってはいけない。
いつも一緒に遊んでいなきゃいけない。

というようなことで、時にそれらはメールで流したり、そういうことをしますが、それでも時間は足らない。
なぜなら、日中はいつだって市丸たちがいるわけです。
その中で、市丸のこれまでの云々とかを話せない。
昼休みといっても、彼らとメシを食ってるわけです。
終わってから、なんとなく事務所にいても、まあ彼らはいるわけです同じようになんとなく。

こうなると、飲みに行く、というような時間を作って、そういうことを話す、というコトが必要になります。
もちろん、先に書いたように「飲む」必要はないんです。
便宜上、というか、なんとなく「飲みに行く」と書いてますけど、そういうことじゃなくて時間の共有、というか。

ただ、仕事終わってから話すといっても、時間も時間ですし、「メシ喰いながら」とはなりますね。
そういう時間を作らないと、その「系統立てて考える時間」がとれないんですよ。

学校の先生なんかも、なんだかんだ給食だ、休み時間には個別に指導しなきゃいけない、放課後は部活動だ、と、おそらく1分も生徒のことを論理的に、系統立てて考える時間、というのは、日中の中では作れないと思います。

いや、だから本来は日中の業務の中に作れるようにすべきなんですよ。
先生を倍にすればできると思います。
同じように、我々も倍の人数を雇えれば可能かと思いますけど、今のところはギリギリでやっている。
なかなか難しいところなわけです。

これがモノを作る、とかだったら、もうラインを止めてでもやったらイイと思いますが、ウチや学校もそうですけど、市丸たちや生徒をタイムストップさせられない。
させられないから、勢い、その時間を外で確保しなきゃならなくなる。


話をする時間がない。
という感じなんだよね日中は。
いつだって市丸たちに向かっているわけだから我々は。
そこで、オレら同志が向き合う時間がない。

でも、ちょっとした「?」とか、ちょっとした疑問みたいなモノって、それ単品では大したことはなくても、レールがちょっとづつずれていくように、大きな誤解になったり、大きな勘違いになってしまったりする。

だからやっぱり「小さな?」の段階でつぶしたい。

俺が思っていること、アキが思ってること、外口が思ってること、コンさんが思ってること、カズミが思ってること、そういうことを新人にきちんと伝えたい、と思うワケです。
その時間をどうやって作ろうか、と日々思うわけです。


市丸たちに対する時に、大事なのはこっちの気持ちや一致団結力だと思っています。
大事なのは、こちら。
こちらがどれだけ信頼し合えているか、ということが彼らに如実に出てしまう。

俺は、それをとても大事にしなきゃいけないと思っています。


同時に、俺は、外の人と時間を共有することも大事だと思っていて。
じゃないと、独り善がりになるし、オレらの理屈と世の中の理屈がどう噛み合ってて、どう噛み合ってないのかがわからなくなるから。

というか、まあ編集者アオテツなんかとは週2ペースで会ってますけど、それはそれでね、もうそういうことでもないんだけど、でもまあ、飲みに行ったりする仲間が中にも外にもいるというのは幸せなことだなあ、と思います。
そして、たくさん話して、もっともっとラクに毎日がやれるように、楽しく過ごせるようにしたいな、と思っています。






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にじ屋初売り2020白黒ミニ

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(BGM:西岡たかし「そんなに愛がほしいなら」from「海賊キッドの冒険 SFレーベルカルトコレクション volume 2」)
→なんでしょうね、熱くない。
フォークソングってのは、俺のちょっと前の世代かと思うんだけど、熱いと思っていたが、そうでもない歌も多い。
皮肉っていうか、熱いフォーク自体を厭世的に見てる歌もたくさんあって。
言葉を大事にしてるなあ、とはすごく思うんだけど。
この辺の感じは嫌いじゃない。

先ず感性ありき


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kaijosha.jpg



まあ、毎日市丸たちと過ごしているという仕事?をやってるわけですが、まあ金もらってるから仕事ですね。
そう考えると、まあ「市丸たちになにをかできたか?」みたいなことが使命になるわけです。

ただ、俺はやっぱ一番の古株ということもあり、確かにそれも使命だけれど、もっとも大事なのは「ここで働く健体者の職員」だと思っています。
つまり、彼らがイイ顔をして働いてもらわないと、市丸たちになにをかできたか?という使命を達せられないと思うからです。

ウチのみなさんは、まあ他から言わせると、「みんな生き生きとやっている」とか、自分の主張を語りますよね、とか言われます。
とてもありがたいことだと思います。

とはいえ、まあここまで順風満帆できたわけじゃなくて、一時はうまくいかない時期もありました。
でもまあ、やっと最近になって「みんなで協力する」というか、そういう雰囲気が出来てきたように思います。


スズが来たばっかりの頃から数ヶ月経ってだったか、外から来てくれる人が「久しぶりに見たけどすげえなんか頼もしくなってる」と言っていたことがありました。
まあ、そうですよね。
最初の頃は誰だって小さくなってるもんだし。
数ヶ月経てばそれなりにまあ堂々とできるようにもなります。

まあ、なかなか難しいところはあって、人それぞれだから。
そうならないままいなくなっちゃう人もいます。

基本、ウチは放置というか、好きにやってもらう。
事前に何も教えないし、ドントシンク、フィール、みたいな。
で、まあ、それってどっかでは行き詰まってはきます。
その時に、「何かわかりたい」「知りたい」となった時に、まあいろいろ伝えるのがいいのかな、と。

だから、新人が「これ、どういう意味ですか?」みたいのを聞いてくれるのはとてもありがたいし、イイチャンスだな、というか。


よく障害学とかありますけど、それを最初に言っちゃうと、どうしても市丸たちをその中に「はめよう」としてしまう。
それって、やっぱ彼らを「一人の大人としてみる」ことを妨げちゃうところがあるんですよね。
その前に、彼らを一人の大人として扱って欲しいので、そういうことは最初には言わない。

でもまあ、感性だけだと行き詰まる。
その感性を理性にしていく過程が必要になってくる。
でも、それって、タイミングなんだよね。
わかりたいと思ってもいない人の口をこじ開けてなにかを押し込んだって消化不良になるだけだから。


やっぱね、感性が一番大事で、感じることですね。
その中から、やっぱ疑問が涌いてきたりするし、解決策をたぐるための方策を見つけたくもなる。
その時に、まあ助けてくれるのはやっぱ勉強なんですね。
ま、勉強っていうと堅苦しいけど、いろいろ話してやったり、メールとか、まあそういうのもあるでしょう。
そういうことを経て、感性を理性にしていく、というか。

感性はあやふやだけど、その理性は、なにかあっても揺るがないモノを作ってくれる。
そして、まあそれを経て、例えば思いがあれば運動をしたり、何か行動を起こしたり、そういうことになっていく。
そして、その行動がまた理性、理念をしっかりしたモノにしてくれる。


毎日の流れがルーチーンで、それをこなすだけで精一杯になってしまうと、その感性を磨く機会がない。
そうなると、いくら勉強させても、理性は育たない。
理性が育たなければしっかりした行動になんかならない。

だからまあ、なるべく新人のウチは遊軍にしてやりたいのですが、まあ手一杯は手一杯なので、いろいろと仕事は振らざるを得ないんだけど。


今のこうした「障害者を相手にする職場」の職員や社員には、いろいろな資格をとるような指導や行政肝いりの講習会なんかがたくさんあります。
よくお知らせが来たりしますが、興味をひかれたものはなかなかありません。
そこに「感性を大事にする」という観点があまり感じられないからです。
現状への疑問、というのがなければ、理性を磨こうとは思えないハズだと俺は思うんだけど、資格自体が現状を肯定するモノだと思うところもあって、あまり興味がひかれません。
それとまあ、市丸たちを置いてけぼりにしているような感じもあって…。
片仮名とか多いし、専門用語?とか。
なんとかレーションとか。
市丸たちにわかるような言葉で言えないんだろうか、とか。
専門家が市丸たちを追い出してるようにも見えちゃって。
つまりそれはもう気に入る気に入らないの感性の問題なんだけど。

ま、資格や講習会、それを目指すことが一つの「やりがい」を作っている、という面もあり、やりがい搾取のような感じもしたり。

でもまあ、その中でもきっとイイ講習会なんかもあるんだろうとは思います。
時間を裂いてまで、と思えるモノに出会ったら、まあ行ってみようと思うし、その様子もまた紹介しようと思います。








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にじ屋初売り2020白黒ミニ

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(BGM:小室友里「サンタマリア・ウォーク」fromYOUTUBE)
→ドラゲー、ヨースケサンタマリア選手のテーマなんですけどね。
いや、俺、サンタマリア選手大好きなんだよね。
彼女のキュートさとピッタリくるこの曲もすごくイイと思う。
K子と一緒に見に行った時、市丸がしつこく「ねえねえ、サンタマリア選手って男?女?」と聞いていて、K子が「人間よ!」といっていたのが印象的。
そう、もう男とか女とかどうでもいいのだ。
彼女はキュート。
それでOK。

なにかしてる「なにもしない」


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前に、カイのことで「もしかしたらなにもしないことが輝かしいのかもしれない」と書いた(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-5006.html)。

これね、簡単なように思うかもしれないが、かなり難しい。
こういう場所や学校とかってのは、「なにもしない」ことはかなり困難なのである。

先日、後輩のヨシヲが、教師をやっていますが、彼がなんかのレポートを書いて賞を取ったとか話をしてました。
最近もまだよくのみに行く仲間の一人なワケですが。
まあ、彼が言ったというわけじゃなくて、一緒に行った同じく教職の三原が知っていたらしく、「あれよかったね」とか言ってて。
「今度俺にも見せろよ」という話で、まあヨシヲが郵送で送ってきてくれました。
メールでもいい時代、アナログです。

彼のそのレポートは素晴らしい内容で、まあちょっとちゃんとした手続きを踏んでここにも掲載したいと思っているのですが、俺としてもとても誇らしく思いました。
後輩が、というか、今も付き合ってる仲間がこんなにいいレポートを書いてくれるというのがこんなに嬉しいのか、とつくづく思いました。
本当にいい仲間に巡り会ってるな、と俺は思うわけですが。
みんな、それぞれの場所でがんばってるわ。

で、それはそうと、そこにも書いてあったんですが、「なにもしない」というのは、やっぱ教師側にとっては難しいんですね。
何か問題があった時、「なにしてたんですか!」と言われてしまう。
言われてしまうから、何か問題がある前に、「なにかしてしまう」という。
それは、その子どものことを考えて、というのではなく、つまりは「教師が何かをしている」という免罪符のため、である。
意地悪く言えば、「何かしたのに、この子はそれを越えて問題を起こしたのです」という風にしたいんですね、と言いたくもなる。

いや、語弊があります。
「なにもしない」というのは正しくはありません。
正確には、ちゃんと「している」んです。

どういうことかというと、「自由にさせている風を装う」ということです。
具体的には「目の端に入れておくが、今は何も言わない」という状態のことを言います。

特にカイもそうですけど、まあハヤテとかも。
問題行動、つまり反社会的な行動を彼らはしでかすことがあります。
来たばかりの頃のオグラもそうでした。

経験上、彼らはとにかく「束縛されることを嫌う」というのがあります。
とはいえ、世界は彼らの好き勝手を許しはしません。
だから、まあ「指導」が必要になります。
じゃなければ、逮捕され、それこそ身体を拘束されることになります。

なので、まあ「指導」するんだけど、それ自体を彼らは拒否するわけです。
でも、彼らは「試している」ところもあって。
「どこまでこいつらは束縛してくるのだ?」ということを。
それを試すためにちょいちょい悪さをする、という感じがあります。

逆に、一生懸命指導すればするほど、「この人は束縛する人だ」という風に思われてしまい、逆に反発を受けがちになります。
それが「問題行動」につながってしまったりもする。
悪循環というヤツですね。

なので、「見てないよ」という「フリ」がとても重要な指導の最初の一歩、となる場合が多いと経験上思います。

これ、想像するより難しい。
本当に見てないのはダメ。
そこで何をしているか、しっかりと見ていることが必要。
もちろん、何かしでかしたら止めることも必要だし、同時に、そこでの行動が何かのヒントになるかもしれない。
だから、見てなきゃいけない。

ヨシヲのレポートには、この「見てない」時に、彼がしていた昆虫を探す、という行動を見つけ、クラスに引き入れていく様子が描かれていた。
それは見事にはまった。
恐らく彼に「何が好きなの?」と聞いても出てこなかっただろう。
でも、「見てない」からこそ、彼は自分が好きなことを自由の中で行動した。
それをそれとなく拾ってやることで、最初の一歩が作れたりもする。

でも、「見てることを悟られてはいけない」のである。
悟られると、彼らは「見られている」という前提の行動をする。
それは彼らの自由意思とはちょっと違っていたりするのである。

悟られない。
いわゆる「尾行」に近い。
それを普段の作業で他の連中と一緒にやりながら、そっちにきちんと気を配り普通にやりながらやる、のである。

つまりはまあ、これは実はとても難しいが、けっこう彼らの中に入っていく時に有効だと思う、という話なんですが。

例えば、問題行動を抑えるために「感情コントロール法」とかってのもある。
それを一生懸命やるのも悪くはないし、フィットする場合もあるだろうが、経験上、とにかくまず「この人は束縛する人だ」と思われてるウチはたいがいうまくいかない。
だからまず「見てない」ことが最初の一歩として必要になる、と俺は思っている。

この「見てない」。
なかなか彼らには新鮮なようで、とにかく「自由であることに戸惑う」。
でもそのうち、自由にやりながらも、だんだん「何か言ってくれないか?」という風に逆転していく場面があったりもする。

彼らに直接指導するってのも悪くはない。
でも、一生懸命になりすぎて、反発を受けてしまったら解決は遠くなる。

とはいえ、まあなかなか上手くいくことばかりでもありません。
でも、こっちが叩き込もうと思ってもやっぱりうまくいかなくて、向こうからなにか一つでも心を開いてくれないと、やっぱ難しい、という。

毎日まあなんだかんだ悩み悩みという話です。







佐藤店長生誕祭小

(BGM:YMO「君に、胸キュン。」from「愛と青春のニューミュージック・ベスト 80's」)
→ま、YMOが「愛と青春のニューミュージック・ベスト 80's」に入ってるという、まあなんでしょう、商業主義の「テキトウさ」ってすごいな、というか。
でもまあ、聞いてる多くの人にとっては、その辺どうでもいいのかもしれないな。

とりあえず舞台に上がれ


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よく子育て中のお母さんなんかがツイートしてるのが、子どもに怒ってたら、旦那が「あんまり怒らない方がいいよ」とか言ってきて、なおさら激怒、みたいな。
つまりまあ、普段あまり旦那は育児に参加してくれてない、ということのようで、子どもの面倒もみないのに、よくもまあ、そんなこと言えるな、という。

つまり、子どもを怒るくらい追い詰められて疲れているわけだから、その場面では、「あ、俺がもっと頑張らなきゃ」って思うのが普通でしょ!ということだ。
なのに、それでもまだ傍観者で「怒らない方がいいよ」なんて言われたら、そりゃ激怒もします。


これね、まあお母さんと旦那の考え方の違いというか、立場の違いというか、そういうのがまずありますわね。
日本って、どっか「家事と子育ては嫁がやる」ってなってるし、なんだか「母性」がすごく重んじられるから、どうしてもお母さんに比重がかかります。
その上で、でもお父さんも積極的に参加しよう、となると、まあすごくそれ以上やらないとなんか「真ん中」にはなかなかいかないよな、と思ったり。

でも最近はお父さんもおんぶひも使って買い物とかしてる風景見かけるし、ずいぶん変わってきたよな、とは思うんですけど。
俺らの世代が老人になる頃にはまたずいぶん社会の風景も変わるような気もします。


ま、んで冒頭に戻りますけど、これ、例えばウチなんかでもあるような気がします。

つまり、イチマルとかは特に悪くない、というか、まあ悪いとしても、そこに同じ立場の健体者の職員が傍観者でいられちゃうと、カチンとくる、みたいな。
これ、冒頭の父母の立場の違い、みたいなことで考えると、なんかわかってくることもあるような気がしまして。

イチマルに対するのは、俺も、例えばコンさんも誰も同じなんだけど、まあその問題問題において「役割」ってのはあるわけです。
つまり、何かイチマルが問題を起こしたとしましょう。
その時に、「それを指摘する人」と「間に入ってなだめる人」みたいなことですね。
そういう役割が「パッ」と、なんとなくさっとやれるのがプロだと俺は思うんだけど。

とはいえ、これは固定されてるわけじゃなくて、その場その場で役割が入れ替わったり、その問題の種類や、起き方、なんかによっても変わってくるわけです。
今日は俺が指摘役、でも、次の時にはなだめ役かもしれない。
そうやってまあ、「自然に演じわける」というのが重要なわけで。

これを実現するには、とにかく「その問題が起きている」という「劇場の舞台」に立ってもらわないと始まらない。
客席で見てるんじゃ、そりゃお客さん。
参加してないし、プロじゃない。


ま、ウチの場合、そもそも「怒る」とかいうのも、考え方としてそれは「演じる」わけです。
人を噛んじゃったとして、それを「ダメだ」と指摘しなきゃなりませんが、その際に「このくらい怒る感じでいっても、◯◯さんが間に入ってくれるから大丈夫だろう」みたいな目論見で、その場で路線が決まっていきます。
感情で怒ってるようじゃ素人ですから。

で、その瞬間に頭に描く「舞台のストーリー」に伴う「出演者」が、舞台に登ってこなかった場合、そりゃカチンとくるわけですね。
傍観者かよ、となる。

とにもかくにも、上がってもらわないと始まらない。
上がりさえしてくれれば、あとはまあ、うまいこと「アドリブ」でなんとでもなる。
というか、全部がアドリブ劇なんだから。

それがうまく「スイング」しないと、まあ冒頭のような「なんでお前傍観者なんだよ」という衝突が起きる。


そして、これは、まあ普段の意思疎通というか、ベースにあるモノが一定共有出来てないとなかなかうまくいかない。
その部分が互いによくわからなければ、そもそもその「演劇」を仕掛けられません。
仕掛けられないとすると、何もできない、ということにもなっちゃうわけで、どうにも発展性が見込めません。

よく、「個別指導計画」なんてことをこの業界では言うんだけど、そういうのはつまりその「一定共有出来る部分」でしかなくて、大事なのは、それをどうやって具現化するか?ということなわけです。
それって、まあ言葉ではなかなか伝わらない彼らの場合、やっぱ状況を変えていかなきゃいけないというか、理屈で詰めてもしょうがないですから。
やっぱ、みんなの協力によって彼らに理解を促す方法しかないと思うわけですね。

例えば「すぐに人を殴ってしまう」ということがあるとして、じゃあそれに対してどうするか?ってことなんだけど、理屈で詰めてもそりゃそれが殴るトリガーになってしまうわけで、どうやったら、「殴らない日々を続けられるか?」というのを考えるわけです。

それを我々サイドが当人に対してどう演じるか?というか。
そういう劇場を作っていくイメージですね。
その場に、もし傍観者がいたとしたら、それはやっぱうまくいかないんですよ。
こういうのは、もう総員一致でやっていかないと、彼らに理解を促せない。


ま、そんなこんなで毎日やってるわけですけど、で、冒頭に戻りますとね、やっぱ親子とかってすごく単位が小さいですから。
役割を入れ替える、とかってことができにくい。
だからどうしても、母親は母親として社会から求められる理想像をやらざるを得ない、みたいなことになっちゃう。
でも、それはあくまで社会が求める理想像であって、個人に返せばたいがいの場合、無理があるわけですよ。
そこに、まあ同じ立場としてここで金をもらってる身としては、傍観者はねえだろ、ということにはなるんだわな。


ウチの場合は、それでもチームだから。
なんとかいろいろやっつけられる部分がある。

親御さんに「家にいたままだったら、こんなことできるとは夢にも思わなかった」という話をよく聞きます。
それはまあ、だからチームだからですね。
こっちが各々うまく役割を演じられれば、まあ、うまくいく可能性が高まるよな、という。
ってか、こっちも息切れせずにやれる、というか。

そういうのを大事にして、市丸たちとスイングする舞台をこれからも展開していきたいと思う。





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(BGM:PAN「完全な命」from「CMJ JAPAN REPAINTS vol.8 [Punk After Punk !]」)
→こういう若い爽やかパンクがちょっと苦手なのが、「完全なこの命の偶然に乾杯!」みたいなことを平気で歌えちゃうところですね。
「もっと自由に好きにしたらいいよ!」みたいな。
…できねえんだって。
完璧なんかじゃねえんだって。

地に足をつけて、自分ファーストで


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人のためになにかをする。
簡単にいうけどなかなか難しい。

そもそも俺なんかは「めんどくさい」が口癖なので、どっか人のためより自分のことを優先してしまう傾向があるな、と思うし。
それに、どっか打算もあって。
俺がやらなくても、誰かやるだろう、みたいな。
めんどくさいし、みたいな。

だから、「人のためと見せかけて自分のため」という戦法をとったりすることになるわけです。
「君のためだよ」なんて言われて、「お前のためだろうが!」ということ、よくあるでしょ。
それですね。
俺ってけっこうそういう人なんじゃないか、という気がします。
イヤなヤツだ。

しかし、「君のため」ってなんだ?
お前に俺のことがわかってたまるか!みたいなこともないですか?。
ま、だから、この「君のためだよ」という台詞は言うべきじゃないですよね。
う~む。
メモメモ…。


人のため、というと、どっか「自己犠牲」みたいな感じがつきまといます。
といって、自己犠牲で何かされても、「そこまではけっこうです」という気持ちにもなりますよね。
俺に金をくれた人が明日破産した、なんて言われたら、ちょっと金返します、となります。

つまりはまあ、「人のため」って言ってる時点でちょっとダメなのかもしれません。


最近、再婚して思うのは、とにかく「俺は幸せでなければならない」って。
そもそも、前のパートナーもいるわけですし、俺の場合、子どももいます。
だから、彼らのためにも、そりゃ幸せじゃなかったら、なんで離婚したん?って話になりますし。

それに、やっぱり井上たちに「みんなで楽しく生きていこう」「幸せに長生きしよう」みたいなことを言ったところで、自分が苦しんで苦しんでいたら、そりゃやっぱ寝言になっちゃう。
最終的には、まあ彼らに言いたいのは、「満足して死のう」って話ですから。
自分が満足出来てなかったらなかなかねえ、彼らにも伝わらないというか。

だからまず、なんか自分が幸せにならなかったら、少なくとも幸せだと思えなかったらダメなんじゃないかな、というね。


井上たちを相手にする仕事をしていると、どっか「自己犠牲」みたいな感じで見られることが多いんですけど。
それはきっと、昔の篤志家みたいな感じで見られてるんですかね。
自腹を切って、みたいな。
ま、でも篤志家さんも、そうやって「いい人ですね」って言われるのが快感だからやってるんだとは思うんですけど。

でも、まあそういう「施し」から抜け出そうとしたのが福祉ですから。
確かに、その金は今やアメリカの武器を買う金ばかりが増えて、どんどん減ってる感じなわけですけど。
話に聞けば、保育とか介護とかって仕事は、他の仕事に比べて、同年代で給与にして月10万とか少ない、という話もあります。
まあ、10万とは言わなくても、けっこう少ない、というのは実感ですね。

だからまあ、篤志家みたいに言われてもしょうがないんだけど。
「他の仕事を選んでいたらよかったのに。10万低い、誰かがやらなきゃならない仕事を一生懸命やってくれてありがとう」みたいなことなのか。
だとしたら、まあ当たってはいるわけですけど。


つまりはまあ、なにが言いたいかというと、だとしたらですよ。
そういう給料が低い状況で、例えば結婚出来ない、みたいな話もあるわけですよ。
なのに、市丸に「幸せになれ」というのは、やっぱ伝わらないですわ。

市丸も井上も、俺の真似をしたいんだから。
というか、職員ってそういう仕事だとは思うんですよ、ある部分で。
憧れられてなんぼ。

で、職員が幸せそうじゃなかったら、やっぱ彼らもそうはならない。
というか、まあ彼らが俺らの真似をしたいと思ってくれないと、そもそも話が通じない。
「こうした方がいいよ」が通じなくなっちゃうわけで。

だからそもそも、もっと福祉に金を回して欲しい。
10万の格差はいくらなんでも大きすぎる。
結婚出来ない、明日の生活が不安じゃ、では彼らに人生の話もできない。

だから、考え方としては、「自分が幸せになりたい」でいいんだと思うんです。
そのために、一生懸命になる。
その姿を真似してもらえばいいわけでしょ。


先日、他のとこの職員とかに会った時に、ちょっと違和感だったんですよね。
「彼らのために一生懸命なんです」という自分に酔ってないか?って。
「自分のことは後回し」という感じ、というか…。

そうじゃなくて、自分が幸せになりたい、って一生懸命になることが先じゃないか?って思ったのよね。


自分のことより人のこと、ってよく言うけど。
だけれど、それってつまりは自分のことなんだよね。





(BGM:山口水希「アッシー・ミツグ・ネッシー君」 fromYOUTUBE)
→バブってます。
「赤坂新宿、アッシーアッシー、車で走る 水希の便利なアッシー君」
…ぎゃはははははははははははは。
そりゃ車で走るだろうよ、と。
マラソンじゃないんだから。

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