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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
ちんどん太鼓担当

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自分の正当性が認められない場所にいるのであれば、俺はその場所から離れた方がイイと思う。

どんなに苦しい思いをしても、どんなに努力しても、「ここでは自分は認められない」と思うのなら、やっぱその場所からは離れた方がイイ。
もちろん、それは、その場所にいる人たちからは、「卑怯」と言われるだろうし、「ここで認められるようにがんばるべきだ」と言われるだろう。

確かに、どんな場所でも認められるように全力を出すべきだろうと思う。
けれども、それを許さない場所ってのが時にある。

時代によっては(もしかしたら今でも)、女性であるというだけで、どんな努力も認められなかったコトもあったろう。
貧乏人だから、と、学校に入れないとか(これは今でもそうか)、そもそも勉強という努力のタネを得られない、ということもあろう。
集団が、その個人の意見を受け入れるのを拒否したり、派閥とかで、その個人を認めたくない、とかってのもあるだろう。
個人の意見ではなく、考えでなく、その人を入れるのはイヤだ、というような。

ま、3人寄れば派閥ができると言います。
だから、「排除」とはいかないまでも、「何となく居づらくする」みたいなことで、だんだん排除していく、みたいな。

まあ、これは俺も気をつけなきゃいけないことだな、と思ったりするんですが、それはまあ集団の側にいるからそう思うんであって、つまりは強い立場にいるわけですね。
もし、この集団を変えようとする「意見」や「思い」を持った人が現れた場合、それは自分の集団の「問題点」を洗い出してくれることなのかもしれない、とそれを受け入れるのがスジである。
そもそも、人は渦中にいるとその問題を俯瞰して考える事ができなくなる、というのもあります。
だからこそ、そういう意見こそしっかり中に入れ込んでいかなきゃいけない、と思います。

とはいえ、多くの場合、そうした意見は、新しい人の意見だったりして、コッチの集団側は「お前にはわからないことがたくさんあるんだ」とかなんとか思いがちですね。
ま、それはよく思ったりします。
思ったりするけれど、無碍にアタマから否定するのはダメだわな。

とまあ、そのヘンは一般論なんですが。
この集団、というのが「権力」だったとするとどうでしょうか。

権力は集団と言うにはあまりに巨大で凶暴である。
その社会の世の中の仕組み自体を作ってるのが権力だから、たとえば、「意見を言う」こと自体にも、その仕組みの中でのルールが適応されるんだから、意見すら言えない、ということだってあり得る。

しかも、これが「自分の有罪無罪を決定する場面」だったとしたら、これは一大事です。
「反論すらできない」状況に置かれたら、その後の一生に関わる。

ま、そういうことがないように、裁判、司法は行政統治からは独立しているはずだけれど、どうもここのところそうとも言えない事案が頻発に起きているようにも見える。
もし、政治に文句を言ったら捕まってしまう感じ、というか逆に政権に近かったら逮捕されない、みたいな状況がある感じだ。
独立してるとはとうてい思えないのよね。

ま、それもとんでもない話だけれど。
そもそも、司法自体も日本は人質司法なんて言われるけど、推定無罪の原則なんかはなんか成り立ってないような感じもある。
法相が、「司法の場で無罪を証明すればいい」とか言ってるようじゃあ、困ったもんである。
ま、有罪率が高いというのを「日本の警察が有能である」というのは正しいと思うけれど、どこか「1回捕まったら終わりである」という風にも読めてしまう。
逮捕=有罪という認識があるから、そういう法相のコメントが出てしまうのだろうな。
理屈が逆転してしまったという感じがする。

というわけで、そんなコトの上に考えますと、ゴーンさんの件だけれど、海外に逃亡したのは悪い、悪いから、もうゴーンさんが何を言ってもダメ、聞かない、言う資格なし、というのは果たしてどうなのだろう、という気がする。
ま、きちんと日本の司法が機能しているのだったら、その意見も至極ごもっともだけれど、ゴーンさんの会見を聞いていると、なんだか「そりゃ、なんとか反論の機会を作るしかなかったんだろうなあ、という風にしか思えなかったな。
その方法が、もう国内では無理だった、という感じ。
会見も開かせない、意見を言わせる機会を奪う、家族とあわせない、取り調べに弁護士を入れさせない、罪を認めれば出すが、認めなきゃ出さない、という感じ。
それらは、なんだか「推定無罪の原則」にはまったく基づいていないように見える。

ま、それは通常日本で行われてることなんだろうけど、それでいいのか日本の司法?という気がしてならない。

ゴーンさんの記者会見をして、テレビのコメンテーターが「裁判の過程で言えばイイのに」とか言っていたけど、それも5年も6年もかかる感じのスケジュールだったんでしょ。

いや、これさ、自分が捕まったら、とか思わない?
俺は思うなあ。
俺には国外に逃亡させてくれるような「チカラ」を持った友人はいないし、プライベートジェットも持ってない。
だから、もし何かがあったら、もう言いたいことがあっても大人しく閉じ込められるしかないのだな。
そして言いたいコトは外にはつながらない。
家族にも会えない。

う~ん。

そりゃね、捕まるようなことしなきゃいいんだ、ってのは正論だし、ほぼ大多数のみなさんはそうやって生きてますよね。
まあ、普通のことです。

でも、誰かにはめられたら?みたいなことだって、ないわけじゃないでしょう。
今回もゴーンさんはそう言ってました。
まあ、それが本当にそうなのかどうかは別として。
まあ俺ははめられるような大物ではないけれど、だとしたら、もうなんかどうしようもないじゃない。
「それははめたヤツがいたんだ」って言ったところで、コッチの言い分は通らない、それで何年も監禁されるんじゃ、もうそりゃ「すいませんでした」って、根拠もなく完全降伏しなきゃなんなくなっちゃうよなあ…。
それでも戦い続けられるほど、自分が強いとは思えない。


ま、裁判だけじゃなく、「自分が認められない」と思ったら、まあ逃げ出すのはなんかありなんじゃないか、という気がしたって話。
まあ、だからといって保釈条件を破っていいか?といわれれば、そりゃダメなんだけどさ…。






2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:二村定一「洒落男 ゲイ・キャバレロ」from「想い出の戦前戦中歌謡大全集 II 君恋し」)
→二村さんは、もう楽しいよね。
名曲をたくさん残しているわけですが。
これもいいですね。
誰でも知ってるメロディですけど、戦前はこういうアメリカの曲も流行ってたんだよな…。

最低!と罵るべきなのだが


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kaijosha.jpg


芸の道というのは厳しいものである、なんて当たり前のことですね。
世に脚光を浴びるのはほんの一握りだ。
歌やエンタメ、バンドというのも同じようなモノだろう。

といって、芸が素晴らしいからといって必ずしも脚光を浴びるということとイコールでもない。
もちろん、芸を磨くことは大事だけれど、それが世の中に合わない、ということもあるんだよな。

「テレビに出たいのなら、そのやり方を変えないとダメだよ」というようなことを言われながらも、決して自分のやり方を変えない人というのもいる。
小さな劇場で、舞台で、それでも自分のやりたい表現を続けている人というのもいる。
それはとても尊く、俺には光って見える。

音楽の世界でも、インディーが本当の意味で「独立」だったころ、メジャーには「のれない音」というのがあった。
メジャーになるには、きちんとしたメジャー向きの音を奏でなきゃならない。
ノイズなんてのがテレビの音楽番組にのることはあり得ない。
「昭和崩御」というタイトルのアルバムはやっぱりタイトルを変更させられたし、有頂天も昭和の終わりに「キミはガンなのだ」という歌を作って、メジャー展開していたのにインディーで出すことになったりもした。

インディーにはインディーの意味がある。
それがまあ、宝島社の台頭で、インデイーがメジャー予備軍、になってしまった感があり、俺は心底がっかりしたもんである。


さて、先日「アンダーグランドから這い上がることなく解散」したBBG48。
もう何度もBBGは見に行った。
共演させてもらうずっと前から、何度もいっていたグループである。

確かにドインディーといっていい。
正直、どの曲もどの曲も、一曲たりともテレビの歌番組には流れない。

インディーでなければ成り立たない音がそこにある。
もちろん、そもそも彼女たち自身がもう放送禁止である。
ケツも出ているし、性欲も強すぎる。
いや、まあ「性欲が強い」って歌があるからそう思ってるだけで、本当にそうかどうかはわからないが、いや、本当に性欲が強いように見えてくる鬼気。

いやこれ、目指す音楽だなあ。

爆笑とまではいかない、失笑あり、客に危機感を浴びせるパフォーマンス。
全裸の男たち。
綿のパンツを脱ぎ捨てるBBGのアイドル達。

どれも最低である。
けれども、なにか中毒性がある。

狂っていく出演者の彼女たちが、どこかアイドルに見えていく不可思議。
いや、アイドルったって、テレビに魂を売るような連中とは全く違う、石の原石。
ただのむき出しの石。
しかし、その石にこそ、なにかがあるのだ。
なにせ、地球が生まれた数億年前からあるのかもしれない、その石は。


で、まあその彼女たちの解散ライブ。
これが最後は対バンのおいおい教とのコラボだったんだけど、なんか泣けちゃったじゃないか。

いや、泣いちゃいけない。
感動などしてはいけないのである。

彼女たちは我々を感動させるためにやってるわけじゃない。
アンダーグランドからも這い上がる気もない。
最低の表現を、最低の形でやってるだけだ。
しかも、彼女たちはその「最低」を徹底してやりたいのである。

だから、感動なんかしてはいけない。
最低!と罵るがいいのだ。
「素晴らしかった」などと言ってはいけないのである。

だから、感動した、などと言わないぞ、俺は。

…でも、最後だ。
最後だから、一度だけ言おう。

感動したわ。

ってか、自分のその気持ちにびっくりしたわ。
しかもその感動は、カラッとしていて、ジトっとしたところがなく、気持ちを高揚させてくれた。

俺も頑張ろう、なんて思っちゃったじゃねえか。
ってか、思った自分にびっくりだわ。


なんだろうこの多幸感。
まあ、おいおい教教祖の力もあります。
なにせ、なんか俺はおいおい教のラストの曲で毎回感動してしまう。
包茎の皮に卵を包むような最低の芸を見せられても、最後はなにに感動してるのかわからないが、とにかく心が動く彼らのライブが大好きである。

いや、BBGもおいおい教もすげえや。

なんかもう、いや、ホント、なんかもっときちんとバンドやらなきゃな、って思ったわ。
決してアンダーグランドから這い上がることなく、その意味をしっかりやってかなきゃ。





2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:Akatuki「ゴールドラッシュ」from「素敵コンピレイション PUNK ROCK」)
→これはね、すごいセンスがありますよね。
イントロとかコードとか、けっこうツウ好みというか。
かっこいいなあ。
ベースのうねりもいい。
それでいて、サビがわかりやすい、という。
お手本にしたいような曲だわ。

え?回想シーンメイン?? ★ 映画 「おかえり寅さん」


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寅さんについては、上映されていた時には一切見たことがないし、テレビでも見たことがない。
そもそも「正月映画」「国民的映画」という感じに興味が無かった。
「毎年寅さん見ないと年が明けた気がしない」というような「寅さん帝国」の人たちから見たら、非国民といわれてしまう感じだ。

しかし、たまたまなんだけど、藤井が元旦に死んで、いろいろあった予定が飛んだときに録画してもらっていた第一作を見たのよね。
そしたら、これが面白い。
泣いた。
日本映画の基本パターンが詰まっている。
そして、倍賞千恵子さんのキュートさに度肝を抜かれた。

てなことで、その時、アキ坊といくつか見たわけです。
寅さんって、もっとこう、もっと「まともな人」かと思っていたんだよ。
いい人で、みんなを助けたりするみたいな。

でも、当初の寅さんはただの破天荒じゃん。
ダメ人間じゃん。
メロンが一切れ自分の分ないだけで大騒ぎするじゃん。
子どもじゃん。

なんかまあ、それが結果人を助けたり、より所になったりするんだけど。
つまりは、ダメ人間に一般の人が憧れるなにかが寅さんにはあった、みたいな。
それがだんだんまあ、「いい人イメージ」になっていってしまったというか。

両さんですな。
両さんも最初はとんでもないバイオレンス警官ですからね。
あれがなんかいいイメージになって行ってしまった。
長く続く、日本的○○、となるには、最初のバイオレンスが薄まっていかざるを得ないのだな。
それでいいのか?という気がするわけですが。

最初の設定が薄まっていってしまうし、「ダメ人間も生きていていい」というのなら、寅さんや両さんはもっとダメ人間でなければならないし、嫌われもしなければならない。
「でもちょっとはイイところがある」くらいでちょうどいい感じがする。


という流れの中で、ちょっとした時間が空きまして、「おかえり寅さん」を見たわけです。

いや、これね、もっと寅さんを昔の映像から切り取って、動くのかと思ったんですよ。
つまり、寅さんが帰ってくるくらいのことはやってくれるのか?と思ってた。

けどね、回想シーンで昔の映像使うだけ。
時に寅さんが切り取られて出てはくるけど、特にストーリーにからむこともなく。

というか、ストーリーもあってないようなもんです。
満夫、吉岡秀隆さんですけど、彼が初恋の人、後藤久美子さんと再会する、ってだけ。
物語はそこから動くこともない。
後藤久美子さんの家族の感じ、いわゆる機能不全家族というか、それはなんかすごくリアルで、当時描かれなかった部分が描かれたのかもしれないけど、そこから話は先に進まない。

あちこちで、出演者が「寅さんを思い出す」→「回想シーン」の繰り返し。
確かに画質は格段にアップしてキレイになっていたけど、で?、という感じが否めない。

そもそも、渥美清さんは亡くなったけど、寅さんは死んでないんだよね?。
いつ帰ってくるかわからないはず。
なのに、なんかみんなの感じは死んだ感じになっちゃってる。
待ってるわけでもなく、帰ってくるのを「めんどくさい」って思ってる感じもない。

それが如実に出ちゃったのが冒頭の桑田さんの歌。
あんなに追悼感たっぷり出して歌わなきゃ良かったのにな、と思います。

というか、まあそもそもこれは「追悼のための同窓会なのである」というなら、まあこれでいいのか。


俺としては、池脇千鶴さん扮する編集者と満夫の新しいストーリーにしてほしかった。
後藤久美子さんの絡みはあったとしても、あそこまでやる必要があったかどうか…。
その中で、新メンバーの池脇さんとのロマンスを進展させた方が、「過去を振り返るだけじゃなく今を生きる」「生きなきゃならん」、そのための寅さんの教え、って感じになったんではないだろうか。
これでは中身まで同窓会である。

いや、だから同窓会なら同窓会でイイけど、だったら、タイトルは「おかえり寅さん」ではないはずではないか、という気がする。


ま、寅さんファンでもない俺がこんなにだめ出ししたところで、「お前は何も知らない」と言われてしまう感じがするけれど、日本を代表する映画のラストだというのなら、これはちょっと…。

横尾忠則さんが、この映画に関してとても怒ってるらしい、という話をネットの記事で読んだけれど、回想シーンでつなげる映画に怒っても大人げないですよ、と思った。
でも、その子どもっぽさこそが、どこか寅さんのような気もしたりする。






2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:ザ・タイガース「緑の丘」from「戦争は知らない」)
→タイガースなんだ、この曲。
これ、なかなかメロディラインがイイと思うのよね。
惜しむらくは、ベースラインがもっとうねってればなあ…。

本が好き


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そういえば、この前飲んでて思いだしたんだけど、図書券ってありましたね。
なんか、百円づつとか切り離すようになってたりしませんでした?

けっこう親戚だったり親の知り合いだったりからもらうのって、図書券だったりした記憶があります。
お金をそのままあげるより、図書券の方がどっか「いい感じ」があった時代だったのだと思いますね。

というか、そういえば一番下の子のPTA役員をやった時、任期3年が終わったあと、なぜか役員に図書カードが配られました。
お礼、とのことでしたけど、あれはPTA会費から出ていたんだろうけど、これもどっか「現金よりもなんかいいんじゃね?」くらいの感じだったんだろうなあ、と思われます。

現金だと角が立つというか、どっか不正の感じがあるというか。
でもまあ、金券でも同じですけど、お金も金券ではあるわけで。

それにまあ、小さい頃のことを考えると、「子どもには本!」という、なにかこう、そういう雰囲気が世の中にあったような気がします。
そもそも俺が子どもの頃はテレビゲームとかもありませんでしたし、「子どもが欲しいモノ」ってのは、素朴なおもちゃか本くらいしかなかったんだよね。

今思い出すに、プレゼントとかで欲しかったモノってなんだったんだろう。
プラモデル?
確かにプラモデルは好きだった。
ミクロマンとか覚えてるな。
超合金、とか言って。
って、超合金ってなんだ?
俺はあまりキャラクターモノをそんなに欲しなかったので、まあそんなもんかな。
メンコとかビー玉とか流行ってたから、そういうのは欲しかったかな。
でもまあ、それはプレゼントというカテゴリーではないなあ。

そう考えると、本というのはプレゼントとしては当時かなり逸材だったと言えます。
あげる側も、なんか教育的にもいい気がする。
とはいえ、あげる側としてはその子の興味の方向とかがわかりませんから、そこで図書券が登場するわけであります。

でもまあ、もらった側は漫画を買うかもしれない。
当時だとがきデカとか。
八丈島のキョンですね。
でもまあ、なんかいいわけですよ。
本であるなら、まあヨシとする、みたいな。
なんで、図書券あげよう、と。

あの「本とは素晴らしいモノである」という思想、嫌いじゃないし、むしろいい時代だったような気がする。
だって、やっぱ思想が広がっていく、理屈がわかる、っていう、いわゆる社会の教養がアップしたのって、印刷という発明があってこそなわけで。
それが綴じてあるっていうんだから、本とはやっぱすばらしい。

哲学書じゃなく、漫画であっても素晴らしいという気がするのよね。
「快僧のざらし」でも、「幼虫」でも、「恐怖新聞」でも、素晴らしいわけです。
…こうやって、当時読んでいた漫画を思い出しているわけですが、どれもチャンピオン系列だわ。
「750ライダー」もあったなあ。
もちろん、「ふたりと五人」とか。
「マカロニほうれん荘」も忘れちゃならないな。
ま、そこはどうでもいい。

今は漫画もどこか市民権を得たというか、「漫画とは言え中身もあるだろう」という感じ?で認められてきたけど、いわゆる芸術点が高くなった、というか。
当時はけっこう「漫画は悪」みたいな感じもなかったわけじゃない。
でも、おもちゃ買うより本の方が上、という感じがあったのは確か。
図書券がずいぶん流通していたのがその証なような気がする。

俺は昔から本が好きで、漫画も好きだったけど。
兄弟がいない、というのもあるかもしれない。
一人の時間が長かったから。
とにかく本を読んでた記憶があります。

それは今に通じていて、けっこう今でも本を読む。
紙の本。
活字を読むのが好きなんだな、きっと。
基本、まあなんでもいいんだけど、今は怪談ばかり読んでるけど。

本を読まずとも、まあその本を原作とした映画を見ても同じじゃないか、ってこともあるんだろうけど、中身的には。
でも、どこか「紙の本を読んでいる」というのは、自分の知識力を上げるって感じがします。
それはきっと、俺が子どもの頃の時代の「本は良識」「印刷物は正義」みたいな世の中の雰囲気をそのまま持っているからだと思いますけど。

何が言いたいかというと、特に言いたいこともないンですけど、本が好き、って話。








2020もち

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jr.jpg

(BGM:舟木一夫「サボテンの花」from「昭和おとなカヴァー II」)
→こういうカバーは、どれだけ「ええ?あの人がこの曲を?」という意外性がないとおもしろくないわけです。
秋川雅史さんがブルーハーツ歌う感じとか。
千昌夫さんの「あんたのバラード」(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-375.html)はすごい名カバーに仕上がってました。
これはどうでしょうかね。
舟木さんがチューリップ、と思ったけど、聞いてみたらそんなに違和感なかった。
歌手ってすごい。

人としてby金八2


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異性愛者で付き合ってる人がいるとして、女の人の方が外で活躍していたりすると、男の人が嫉妬する、みたいなことってのがあります。
ま、逆もあるんでしょうけど、どこか「女は家を守る」みたいな流れがある日本の中で、女性の方が活躍してしまうことに対する「嫉妬」は、逆のそれよりもずっとトリガーが外れやすい気がします。


専業主婦なんて言い方がありますけど、よくよく考えてみると、地域の集まりや子どものPTAのことなど、母親が出てくることがやっぱり多いですよね。
いわゆる、報酬のない「仕事」というか。
最近は男親もPTAに積極的に出たりもあるようですけど、まあ俺も役員なんかをやりましたが、やっぱ9割は母親でしたね。

PTAだけでなく、地域のことでも、「近所の誰々が云々」みたいなことって、たいがいその専業主婦の奥さんから聞くことになります。
「あそこのおばあちゃんが最近歩くのがきつくなってるみたい」とか。
「あそこは子どもがどうも放置されてるっぽい」とか。

まあ、いわゆる「井戸端会議」とかとも言われるんだけど、どっちかというと蔑まされる感じというか、そんな雰囲気を持つ言葉だけれど、でも地域のことを知るんならやっぱこの「井戸端会議」はとても大切なことなような気がします。
確かに、イヤなことや不満のはけ口のような感じで村八分を作るための井戸端会議もあるだろうから、全てが全て持ち上げるモノでもないとは思うけど、でも、自分が住んでる地域のことを知るためには、それなりの意味はあるように思う。

下手すれば、隣に誰が住んでいるかもわからないのが今の都会の感じというか、それはそれで個が守られていいんだろうけど、知らない間に隣のおばあちゃんが動けなくて死んでた、ってのもどうだろうか。
もちろん、かといって、あまりにプライバシーがないのも窮屈ですよ。
でも、動けなくなったのが自分だったとしたら、と考えると、やっぱ隣の人がちょっと、「薄く」見守ってくれる感じってのは、あってもいいんじゃないかと勝手なことを考えたりします。

でもまあ、働いていたりすると、井戸端会議にも出れないし、そもそも地域の人を知らない、という事態に陥ります。
それは時間を共有できないからで、それはそれでしょうがないんだけど。

昔は専業主婦の人が多かったから、地域というのはもっと身近だったように思うし、「あそこの誰々がどうだ」ってことを、旦那も子どもも知っていたように思う。
そういう意味で、ものすごく専業主婦ってのは、高度経済成長の時代の日本の重要な役割を果たしてきたような気がします。

ただ、それがどっか女性を家に縛り付けてしまう、仕事をさせない、外に出さない、という風になってしまっていたのも事実で、それはとても耐えがたい問題だとも思います。
そして、まあ今は結婚の時に「専業主婦になってください」とかいう男はダメじゃない?みたいな流れになってて、それはそれでとても歓迎すべきコトだと思います。

まあ、総じて男も女も、もっと仕事がラクになって、それでも収入が確保できて、地域のことや井戸端会議やPTAに参加できればいいんだと思いますけどね。
世帯として考えれば、男だろうが、女だろうが、その辺はまあどっちでもいいわけだし、単身の方だってそれは同じで、そうやって地域のことや人をしることも重要な気がします。
災害があって避難所に行って始めて地域の人と会うよりは、前から友だちだった方がイイし、復興に向けての話だって、そりゃその方がスムーズなんだから。


しかしまあ、男がその辺を全部パートナーである女性に押しつけて、そして「お前は仕事をしなくてイイ」というのが「男の甲斐性」みたいなことになってきたのが今の日本で。
ま、もうその辺も前近代的になってきましたか。
そんなこと言うヤツは古い、っていうか。
そもそも、「男・女」で語ってる時点でダメというか、「男・男」だって「女・女」だってあるわけで。
「女・女」だったら、その論理だと甲斐性はどこに行くんだ?みたいな。

ま、「専業主婦の方がラクだし」とか思ってる人もいるかもしれませんが、いやいやいや、地域のことだったりなんだったり、いろいろ舞い込みますよ。
そんなにラクじゃないと思うんだけどな思うよりずっと。
だったら仕事続けておけば良かった、くらいの。
そのくらい重要な仕事でもあるんだけど、まあ対価がないだけで。


でもまあ、そういういろいろな個人の思いが行ったり来たりしてるのが今の状況で、やっぱり「女の人の方が活躍してる」というのは、男としては我慢できない、という感じがあるんでしょうか。
そういうのが根強く残っているんでしょうかね。

異性愛者だとして、女性の方がたくさん友だちがいて、頼りにもされていて、時に出かけていったりすることを、男の方がなかなか「認めたがらない」というか。
面と向かって「嫉妬してます」とは言わないんだろうけど、「機嫌を悪くする」みたいなことで対応したりしてる人は多いのではないか。

ま、男性側に「自信がない」というのもあるんでしょうかね。
「自分にはそんなに頼ってくれる人がいない」とか。

…う~ん、それは彼女が悪いんじゃなくて、頼られないお前に問題があるよ、って話なんですけどね。

ま、どうでしょう。
自分が愛している人が、多くの友だちがいて、頼られていて、自分だけじゃなくて他人にも優しく慕われる人だったら、俺はなんかその方がとても自慢だし、愛が深くなるような気がするんだけど。
俺もそうなろう、と思うし。
彼女の友だちを尊重しよう、と俺は思うよ。
俺の仲間も尊重してもらってるわけだから。

なんで嫉妬するんだろう。
気持ちがわからない。
愛してる人が信じられないのかしら。
まあ、ってか、人として、人を信じて裏切られる方がイイby海援隊ですよ。





2020もち

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駅無人化小

駅無人化大

(BGM:宮尾すすむと日本の社長「ニャロメのうた」from「赤塚不二夫トリビュート [四十一才の春だから]」)
→やっぱ赤塚大先生のエッセンスはバカボンに凝縮されていると言ってイイのだろう。
アレを越える設定というのはいまだないのではないだろうか。
正直、アニメ版の最初の3話くらい、泣くし。
今こそ再評価すべきアニメだよな。

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