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スーパーちんどん・さとう

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とにかくリアル ★ 映画 「キュアード」


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kaijosha.jpg


「キュアード」を見て来たわけですが。
「CURED」ですね。
治療完了した、というような意味になるでしょうか。

メイズウイルスという、人が凶暴化するウイルスが蔓延、しかし、その治療法が確立し、キュアード、つまり回復者が社会の中でどう生きていくか、みたいな感じの映画。
ウイルスなので、正確にはゾンビではないが、その様は完全にゾンビで。
人食っちゃうし。
いわゆるゾンビの「その後」を描いた映画だとは言えるでしょう。

ゾンビ映画の新しい形ですね、これ。
まあ、これまでもコメディではこの辺を掘った映画はありましたけど、こちらはシリアス。
回復するのも75%、というリアルな数字。
残り25%を政府は抹殺することに決める、みたいなあたりも今の世相を反映してるでしょうか。

この映画のキモは、回復者が、その感染中の記憶を残してる、ってとこなのね。
つまり、兄弟を食っちゃった、とか、そういう記憶が残ってて、まあ悪夢を見るとかそういう感じになる。
そりゃそうで、凶暴化して人を喰っちゃった記憶がそのまま残ってるんだから、その「罪悪感」たるや相当なモノであろうことは想像に易い。

で、一方で、感染してなかった人たち、まあ一般の人、とここでは言いますが、彼らは親や兄弟、子どもを彼らに食われてるわけですね。
ウイルスのせいだ、その人のせいじゃないんだ、という正当な考え方もその虐殺されたという事実の前にはなんの役にも立たない。
そして、「回復者を赦さない」という空気感が一般にはできあがっていく。
回復者差別、ですね。

このあたりをごく自然にこの映画は描いていて、なかなかいい。
回復者で、社会に復帰する人が主人公なんだけど、義理の姉の元で暮らすことになって。
そこには姉の子どももいるんだけど。
家のドアに落書きされたりして。
けどまあ、その姉も声高に「ウイルスのせいであって、回復者自身が悪いわけじゃない」と訴えるでもなく、しずかに、ある意味「耐えていく」という感じ。
その辺もリアル。
声高に訴えていけば、やっぱりその分反発も強くなる。
かといって、差別を放置していいわけじゃないんだけど、でもまあ、個人でやれることなんてたかが知れていて、という現実の前に、静かに生きていくことを選択しているというか。

で、まあ回復者が徒党を組んでそうした差別に立ち向かっていくんだ、という流れができあがってくる。
いわゆる、急進的なやり方で、ってことになるんだけど。
そのボスは、感染前は弁護士、市長だかに出馬寸前だったという男。
この男は主人公を感染させた(噛むと感染する、ここもゾンビと同じ)過去があるわけなんだけど。
治療中も一緒にいた、みたいな。

でもまあ、主人公はそういう「性急なやり方」について行けず、でも姉と子どもに被害が及ぶのではないかという恐れや、同時にこのままでいいわけない、という当たり前の感情が渦巻いているのは当然で、でも、感染中に犯した罪にもさいなまれていて、いったんそこに参加したりもするけど、最終的にはそこへの参加を拒む。
ボスはそれが気に入らない。
そもそもボスは家族に迎え入れられなかった。
けど、主人公は家族に迎え入れられた、みたいなこともあって。
それはなんかすごく愛憎な感じなんだけど。
一緒にやってきたじゃないか、みたいなのもあって。
その辺りもなんかリアル。

で、もう一つのこの映画のキモが、感染者は、回復者を襲わない、という「ルール」。
そこで、この急進的な回復者同盟は残る25%を世に放って、回復者の権利を勝ち取るんだ、という方法を取ることにするわけ。
ま、感染者を抹殺するという考え方は、回復者差別を正当化することにならなくはないわけで、その辺をこの同盟は理念の軸にするんだけど。
そしてまた街は大混乱に陥る。
最終的には、その混乱も制圧され、全員に効く治療法が確立、そのボスは市長選かなんかに「回復者の権利擁護」を掲げて立候補する、というところで映画は終わります。

このボスというのが、まあ感染前も弁護士でいわゆる「この世の春」を謳歌していたような、いわゆる「甘い汁も吸いますよ」みたいな人だったという感じで描かれているんだけど、なんだかんだ感染しようがしまいが、同じような人生にはなるわな、という。
ボスはやっぱどこか「犠牲はつきもの」みたいな、人が死んでも俺のやりたいコトを通す、みたいな感じもあって、いけ好かないところはあるんですね。
人物として気持ち悪いし、どこか偏執狂みたいにも描かれていて。

ま、う~ん、なんでしょう、このメイズウイルス騒動があろうがなかろうが、なんだかんんだ世の中というのはこういうもんだ、みたいな。
同時に、その経過の中にある差別、というものの残酷さ、みたいな。
そういうのをなんでしょう、押しつけるわけでもなく淡々とこの映画は見せてくれるのでとても好感が持てますね。

押しつけない、という意味では、この映画は見る人によってかなり感想が変わってくるだろうな、と思います。

この映画のレビューを見てみると、バッドエンド、と書いてる人もいました。
ま、確かに最終的に感染者を世に放って混乱に陥らせるのだからバッドエンドではあるんですけどね。
でもまあ、俺なんかにしてみると、じゃあ回復者の権利を勝ち取るために、他に方法はあったんだろうか、と思うと、う~ん…。

回復者を忌み嫌う流れってのはもう感情だから、そこでいくら「これはウイルスのせいであって、その人を責めるべきじゃない」というコトを言っても通じないんですよね。
これ、まあ障害者の問題でも同じで、SNSとかで差別発言をしてる人たちって、結局は理屈じゃないんですよね。
だから、そこでどう理屈を説いても理解されない。
歩み寄れないんですよ。

そして、まあ相模原の事件みたいのも生まれてくる。
残念ながら、結局は、やられちゃう。
そこでいくら正当な理屈を言ったところで、殺されちゃうんですから。

こういう中にいると、やっぱまあこの性急な動きも「あるだろうな」というのはとてもよくわかる。
そういう心理になるのもよくわかる。

だから俺なんかはバッドエンドだとも断じられない、というか…。
まあ、性急な方法で人を殺していい、なんて風には思わないけど、じゃあどうしろっていうんだよ…、という気持ちはすごくわかるというか。

世の中というのは強大で、いつの世もその階級構造や体制の構造の中で差別され、殺されていく命がある。
そして、「殺す」ことは、構造の中で正当化される。
そういうことを「されているのに」、犠牲を出さずに差別を解消しようという「殺される側からの改革」は、果たして可能なのか?。

まあ、そういう意味で社会派の映画。
差別の問題とかに取り組んでる人がいたら、ぜひ見てほしい一作ですね。
ゾンビ映画って、まあそもそもが「社会派」だと思ってますけど、これはその後を描いた、という意味で新しい。
「ゾンビ映画なんて…」というなかれ。

さて、まあこの映画はアオテツがぜひ行きたいと言っていて行ったんだけど、予定やりくりしたら封切りの日に行くことになりまして。
すごい封切りを楽しみにしてた人たちみたいになっちゃいました。

ま、最近は「封切り」って言わないですかね。








(BGM:Rabbitt「OYASUMI」from「9.24 ザ・スターリン同窓会」)
→冷静に考えたとき、スターリン同窓会といった場合、TAMさんと晋太郎さんが揃っていて欲しかった気がするが、どちらも鬼籍に入られているのだった。
と思ったら、宮沢さんがいたじゃないか、という。

通話はご遠慮ください


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バスとか電車に乗ると、「携帯はマナーモードにして通話はご遠慮ください」とか言いますね。

どうなんですかね?。
いや、マナーモードにして、まではわかりますけど、通話はいいんじゃねえの?とか思うんですけど。

そりゃ鳴ったらビクッとするし、「自分のが鳴ったか?」と思って自分の携帯カバンから出したりしなきゃならなくなるから、マナーモードにはしましょう。
それはそうだと思うけど、なんで通話がダメなんだろう。

だって、別に友人と乗っていれば、話もするじゃない。
電話でもそこはかわらなくない?というか。
そんな気がするわけです。

大声でおしゃべりしてる人がうっとおしい、というのは確かにあります。
だから、まあたいがいは電車内で友人と話すときは小さな声になったりしますね。
けどまあ、携帯ってついつい大声になったりする、というのもわからなくはない。
実際、携帯だとちょっとボリュームは上がるような気がする。

しかし、だとしたら、「大声」というマナーが必要なんであって、通話禁止というのはちょっとおかしな感じがする。

しかしですね、まあちょっと考えますと、大声で話していても、まあ人によると思うんですが、子どもとお母さんの微笑ましい会話なんてのは聞いてられたりしますね。
「お母さん!富士山見える!」とか「そうねえ」なんて言ったりして。
そういうのは別に気になりませんし、むしろなんかいい感じがします。

けど、ひそひそ声で、まあ聞こえる感じだとして、なんか一緒にのってる他の知らない乗客の見た目なんかをディスってたりするのは、聞いてて不愉快ですよね。
車いすの人をして、「車いす邪魔だよね」とかこそこそ言ってるのを聞くのは大変不愉快。
「堂々と言いたまえ」「堂々と言うなら反論しちゃる」という感じもします。
ま、いわゆるヘイトなんだけど、友人2人でこそこそ言ってたりするからタチが悪い。
お前ら、なに言ってるのかわかってんのか?という気持ちになります。
というか、わかってるから小声なんでしょうけど。

つまりですね、まあ会話の中身にはよるんだよな。

酔っ払ったバカが、さっきまで一緒に飲んでた女の人をバカにしてたり、その容姿を蔑んでいたり、そういうことを大声で話していたりすると、確かにもうリーチですね。
その女性がいないわけですから、誰も反論できないけど、でも「不愉快ですね」と言う寸前な感じになります。

ここまで書いて、ふと思いましたけど、これ「会話の内容を聞いている」ということなんですね。
Aという人がBという、恐らく友人であろう隣の人に何かを言っている。
そして、BがAに返す、という、その内容を「理解している」ということです。

まあ、もちろん聞こえてこなきゃわからないけど、大まかな流れはわかる。
それに、俺の場合は晴眼者だから、例えばディスニーランドの袋を持っていれば、ネズミーランドの帰りだな、というのはわかるし、なんとなくそういう話の流れだろうな、とは思うから、一部聞こえなくても、まあだいたいわかる。

つまり、電車という空間だと、そこで喋っていることは、オープンに話されていること、ということになります。
Aという人の持ち物や容姿を含め、公開会話、というか。

これがまあ喫茶店の隣の人、とかだとまた違って、なんでかというと、やっぱそこにはコーヒーを飲みに来てたり、一緒に来た人と話に来たりしてるから。
こっちも、あっちも。
だけど、電車移動するために乗ってるから、まあその中で何もすることがないんですよね基本。
だから、そこで会話が始まると、勢いやっぱ内容が他人に入ってきてしまうんだな。

と、考えると、これが携帯だった場合。
相手が見えないわけです。
さっきの説明だと、Aが通話先のBに話した言葉はわかるけど、Bがどう返したかはわからないし、Bの容姿や雰囲気もわからない。

つまり、会話の全貌がわからない。
なんとなく、もわからない。

まあ、わかる会話もあるでしょうけど、例えば「ごめん、もうちょっとで浦和に着くわ」とか言ってれば、「ああ、浦和で待ち合わせで、この人はちょっと遅れてるんだな」くらいのことはわかるんでいいですけど、田舎の土地の遺産相続の話なんかされていたらもう意味がわからなくなる。

これが携帯でない会話だとしたら、「ああ、Aはおばあちゃんの意向を尊重したいが、Bはもうおばあちゃんは長くないし、その辺は無視したいんだな」というのがわかりますが、携帯だとBの様子がわからないだけに、「その遺産相続の様子」がまったくわからない。

外国に行った時に、まわりが何を話してるかわからないというのは、多少ストレスになりますね。
それと同じで、「何話してるかわからない」のはストレスなのかもしれない。

でもそれ、どっかプライバシーと真逆に行ってる感じがあって、ちょっとなんかおかしな感じもしますね。

とはいえ、出なきゃならない電話もかかってくると思うんですよね。
だからまあ、俺はいいんじゃないかと思いますね。
大声じゃなきゃ通話したって。

その内容がこっちにわからなかろうが、それでストレスを感じようが、まあしょうがないんじゃないの?という気がします。







(BGM:クレモンティーヌ「スーダラ節*ボーナストラック」from「バラエンティーヌ」)
→フランス語ですねこれたぶん。
あうんでしょうかね、この「すいすいすーだららった」が。
なんかスッと入ってきますね。
オシャレ店でかかってそうなトラック。

ピザ問題


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「お前は何が好きなの?」という問いをすることがあります。
食べ物で、って話なんですけど。
例えば一緒にご飯を食べていて、コバに、「食べ物で好きなのは?」とか、「嫌いなモノは?」みたいなことですね。

コバとか市丸とか、まあたいがいみんな「嫌いなモノ」というのはないようで、子どもの頃なら「好き嫌いがなくてイイですね」となる感じ。
カイなんかはトマトが嫌い、というか野菜は食べない、みたいな触れ込み、というか親にそう聞いていたけれど、まあ今は食べますね。
カイは言葉として言葉を喋らないので、好きになったかどうかはわかりませんが、鍋の縁についた野菜を一生懸命素手で取ったりしてるから、まあ嫌いじゃないんだろう。

ま、「食べられないモノがない」というのはこっち的にはラクですね。
考えなくてイイから。
というか、そもそも個々の好みなんかは考えないで料理とかはしてるけれども。
そこまで「してあげる」感は我々にはない。
食べられないモノが今日あったとしても、明日同じということはほぼないわけで、まあなんとかなる。
もう大人なんで、一回満腹に食べなかったからと言ってどうなるもんでもない。
保育園なら食べないことはオオゴトだろうが、正直、中年になれば一食くらい抜いても逆に健康にいい、という話もなくはない。

といって、まあ先も書いたように、食べない、ということはみんなほぼない。
なにせ、嫌いなモノがないんだから。
アクムも恐らく苦手なモノでも、まあ食べてる。
というか、イヤイヤ食ってるように「見える」から、「苦手なんじゃないか」とこっちが思ってるだけで、そもそも、彼にとって食べる時の感じ全てが「いやいやくってる感じ」なのかもしれないので、その辺も、まあよくわからない。
結果食べてるんだから、苦手じゃないのかもしれない。

というわけで、まあそんな感じなんですけど。


で、まあ冒頭に戻りますが、コバの話で。
嫌いなモノはない。
「じゃ、好きなモノは?」と問えば、「ピザです」と彼は答える。

ふむ。
井上なんかに言わせれば、メニューにピザがあるファミレスでも、コバがピザを頼んでるところを見たことがないという。
「ピザとハンバーグがあったら、どっち頼むの?」と聞けば、迷うことなく「ハンバーグです」と。

…それはハンバーグが好きなんじゃないのか…。

けどまあ、彼は「ピザが好き主張」を曲げない。
というのも、子どもの頃に家族で行ったファミレスで、ピザをよく食べた、ということらしい。
ま、子どもの頃ってのは、「あんたは○○が好きなのよね」ということで親が「勝手に」注文を決めたり、ってことがありますわ。
親の立場からすると、まあそれが楽ちん、というのはわかります。
で、まあよくピザを食べていた、ってのがあるようで。

しかも彼の場合は「家族で外食」というのがとても珍しかったようで、そういう「家族の思い出」みたいなモノもそこに入ってる感じ。
そういえば、にじ屋のイベントで何か模擬店で食べ物出そう、となった時に「みそおでん」と主張してたのがコバなんだけど、その理由が、「昔一度だけ家族でお祭に行った時に買ってもらった」というもので、ミソおでんかどうかはあまり関係ない感じであった(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-280.html)。

なんでまあ、「ピザが好き」というのは、そういう意味でいろいろとなにかもの悲しい気持ちにもなるところもあります。
同時に、もちろんピザは好きなんだよね。
ハンバーグと並べれば多少落ちるが、好きは好き。

そりゃそうで、ピザはみんなたいがい好きなんだよね。
それに、家でピザを作って食べるってことはなかなか少ない。
つまりスペシャル感があるわけですよ、ピザには。
一方、ハンバーグは家で作って食べることはまああるわけですよね。
だから、その「スペシャル感が好き」ってのも理解できる。

とはいっても、やっぱハンバーグを頼んじゃうし、生姜焼きも好きだし、とんかつも好き。
同じようにピザも好きだが、そこには家族との思い出とかスペシャル感とかがある、という、まあそういう感じか。
かといって、でもピザをわざわざ頼むことはない、というこのほんわかとした矛盾というか、そのへんがなんかおかしい。

それでもまあ、「何が好きなの?」と聞くと、やっぱ「ピザが好きです」と答えるので、「それは、ピザも好き」という感じだね、と。
も、だと。

ま、好きな食べ物というのはなにも味だけじゃないというか、思い出も含まれているというか、かといって一方で「ピザばかりじゃアレなんで、多少違うモノも食べたいです」という、なんでしょう、結局はなんでも好きなんじゃん!という。


ま、なんでこの「コバピザ好き話」になったかというと、手伝いに来てくれたり遊びによく誘ってくれるカワセが、コバをピザ屋に誘ってくれて、一緒に呑んだらしいんだけど、「ピザで良かったね」というのと同時に、「なぜピザに誘われたのか?」という話になって、「ピザが好きだからです」という話で、う~む、なぜカワセがコバがピザ好きだって知ってたわけ?という話になりまして、更に井上の「そもそもお前、ピザ頼まないじゃん」という話からこんな話になったという一文が長い。

てなことで、でもまあなんにしても思い出と、彼らを誘ってくれる人がいるという幸せも込みで、コバの「ピザも好き」は、なかなかそれはそれでどんどん言っていったらいいと思った次第。
「○○とピザだったらどっち?」とか聞いていくと面白いし。







(BGM:フォーク・クルセダーズ「こきりこの唄」from「当世今様民謡大温習会(はれんちりさいたる)」)
→こきりこ節。
こういう曲を愛していたんだなあこのバンドは。

受難のマスカー


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まあね、まあマスクしてますよ。
花粉症がひどい。

ま、もうこれは毎年の恒例なんで、もうちょっと前からなにかしら薬を飲むとかそういうことをしておけばいいのに、この「ヒドイ状態」を忘れちゃうんだ。
で、結局花粉が舞い始めてもう寝れない、みたいな。

困ったもんです。
覚えとけよ!と思うんですけど。

そもそも俺は重症で、小学校だったか中学だったか、まだ花粉症という言葉がなかった時に春になるたびに耳鼻科に行ったりしてました。
点鼻薬とかもらったりして。
その時からもうその時期は満員でしたね耳鼻科。
同じように苦しんでいる人はその頃からいたわけです。
というか、だからこそ、まあ今は国民病のようになってるというか、そういうことなんでしょうけど。

年々ひどくなる感じですね。
鼻のまわりにワセリン塗ったりしてマスクしたりして、でもまあダメですね。

どうも市丸とアクムが花粉症なんですが、とにかくマスクができない。
いやなんでしょうね、顔が覆われるのが。
見る度にずらしたりしてるので、それも腹が立つのでまあワセリンぬってやったりしています。
アクムはある日、「ああ、風邪引いちゃった」と棒読みで言ってましたけど、そもそももう「花粉症の顔」してました。
熱もないし、まあ鼻がズルズルなんだな。
花粉症の顔、というのは、もうなんでしょう目が赤いというか、開いてないというかそういう感じ。

自分としては、もうアタマの上半分がボッとしてる。
で、顔の皮膚が重い。
もう全部下に下がってる気がする。
この肌の張りのなさは加齢じゃない、花粉だ、というか。

でもなんでしょうね、日光に行って杉林とか通った時はそうでもない、というね。
灯台もと暗しというか、花粉も下には落ちないんでしょうかね。
風に乗って飛んで行っちゃうのだろうかしら。

まあ、それはいいとして、マスクですよ、マスク。
今は品薄とか。
幸いにもなんかマスクはたくさんあって。
ネットの事務所にも、まあ俺のデスクにも、ウチにもまあありましたんで助かってるわけですけど。

マスク転売を禁止するならマスク配れよ、と思うんですけどね。
なにやってんでしょうね、政治は。
なんのための政治だよ、という。
後手後手がひどすぎ。

で、言いたいのは、マスクの性能ですよ。
まず、メガネが曇る!
これね、まあ「メガネが曇りにくいマスク」も曇ります。
いやまあ、「曇りにくい、ってだけなんですよお。曇らないとは言ってないじゃないですかあ」みたいな、そういうアレなんでしょうけど、まあ曇る。

よく、デブが集まると窓が曇る、みたいなことを言います。
暑苦しい、というか。
…俺、そういう顔なんだろうか。
顔ってか、口まわりなんだろうか。
なんかイヤな感じですね。
近づきたくないですねそんな人。

まあ、これも外を歩いている分には、なんでしょう、外気温との差があるからか、メガネが「曇る→曇りが去る→曇る→曇りが去る」を呼吸に合わせてなっちゃう、という。
まあ歩けなくはないですが、なんだかみっともない感じもします。
室内だともう曇りっぱなし、という。
メガネしてんのに見えない、という。

これねえ、でもまあしょうがないんでしょうね。
もっと小さいマスクにすればいいのかもしれないけど、小さいマスクってのはそれはそれでみっともない、という。

市丸が自宅から通っていた時、なんか顔がでかい、というのもあるんですが、子どもがするようなガーゼ地のマスクしてきまして、まあなんでしょう、彼がすると眼帯を口にしてるようにしか見えない、という。
もう大爆笑したんですけど。
写真撮っとけばよかったなあ。
彼が電車で来る間、どれだけの人が大爆笑をかみ殺しただろうかと考えるだけでなんか申し訳ない気になったりならなかったり。
ま、俺が申し訳なくなる必要はないんですけど。

そしてもう一つ、耳が痛い!
これはまあ、痛くないマスクもあるんですけど、それもまあ「痛くなりにくい」ですね。
俺の場合、メガネもしていますから、二重に耳に負担がかかるわけですね。
このあたり、まあ結局メガネに優しくない、というのがマスクの本性かといえるかと思います。

加えて、デスクに向かってる時はほぼ俺はヘッドホンをしています。
外界を遮断しているというイヤなヤツ!。
一緒の部屋で働きたくない選手権があったらけっこう上位に入ると思います。
この辺、アクムの気持ちがよくわかるんですが。
必要以上喋りたくないんで、まあしてるんですけど、そうなると、まあ三重苦ですね。
ヘッドホンやめろ、って話なんですが、ちょっとごめん、それはできない。


というわけで、マスカー(マスクしてる人)のみなさん、特にメガネの人には受難の季節になってしまいました。
ま、俺はコンタクトも持ってはいるんですよ。
でも、この花粉の状況の中、普段してないコンタクトをする勇気はない。

ってかねえ、早くコロナも終息してほしい。
とにかく早くマスクから解放されたいものです。







(BGM:休みの国「旅するおばさん」from「休みの国」)
→バンド名が秀逸だよな。
ベースとドラム、フルートにボーカルという編成のこの曲。
いや、こういう音数少ない曲に惹かれる。

それとこれとは別


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虹の会という組織は、介助派遣とか、まあいろいろ事業?があって、いろいろな形で人を雇ってるわけだけれど、専従、というのは、まあ全部、という人たちを指します。
全部の仕事をやる、という。
なにか、という部門なし、ということですね。

俺は役員なので、使う側、ということになるんですが、正直、まあ役員会って言っても運営をしっかりできるわけじゃない、というか、まあう~ん、なんとなく今は隠居場みたいになってて、それはそれであまりよろしくないな、とは思うんですが、まあそういう流れで。
なもんで、というのもなんだけど、まあ運営に関わることも彼らは積極的に意見をしてくれます。

頼れるし、まあ彼らがいなければ成り立たない、という部分は大きいですね。
まあ、藤井が死んでしまったことで、役員先行、役員トップダウン型はなくなって、というか、まあできなくなって、みんなで考えるしかない、みたいな感じもあります。
いや、トップダウンと言えば悪い感じに聞こえますが、価値感がきちんと共有できていれば、それはそれでスピードを持ってやれることもあるし、悪いことばかりではなかったんですけどね。
そもそも、まあある程度の価値感、例えば障害者問題への考え方や、行政に対する姿勢とか、が共有できている、という集団があるからできることですね。
金がなかった時代からの野武士の集まりなんで、それはまあ、そういう感じになります。


先日、その専従の労働組合というのがあるんだけど、そこから要望書が来まして。
執行委員長、外口さんの名前で。

まあ、要は今、専従の賞与が停止されているんです。
もうずいぶん長い間。
で、年度末に一時金を考えてほしい、と。
来年度はもちろん賞与を復活させてほしい、と。

もちろん、正当な要望ですよね。
要望に正当も何もないけど、でも、どっから見てもそりゃ出して上げなさいよ、という中身。

とはいえ、まあ外口さん始め、専従のみなさんも会計の数字を見てるわけだし、介助者の来年度の給料などについての素案もまとめてくれていたりするから、財政状況はわかってる。
わかってはいるけど、まあそれとこれとは別、ってことですね。

この辺の「それとこれとは別」ってのが、俺はとてもなんかまず素晴らしいと思うんです。


やっぱり、緊張感はなきゃダメだと思います。
どんなに仲よくても、「君と僕とは立場が違う」というのはハッキリさせなきゃいけないと思うのよね。
それは「冷たい関係」とかじゃなくて、そうしないと、下の立場、この場合は労働者である専従のみなさんが「まあまあ」って丸め込まれてしまうだけだから。

結局、「なあなあ」ってのは、弱い立場に不利が生じるんです。


もちろん、この要望書自体がプロレスだ、というのも当たってはいます。
この回答をするために、確かに今、財政状況を役員じゃない人に確認し、来年度の予測を専従にたずねたりしていますから。
その中で出されたみんなの意見や見通しを最終的に金額にして回答するわけですが。
なんで、彼らが何を言うかで決まる、という面は確かに現実的にはある。
現場の意見はなにより重視しなければならない、とも思っていますから。

でもまあ、決定権はこちらにある。
決定した責任も役員にあるわけです。
「あの時、お前がこう言ったじゃないか」ということを、決して言わない、というのも一つのルールですね。


会議で出されたことについて、何か決めなきゃいけない、とします。
俺は、お金に関わることだと、会計にまず聞きます。
どうなってるか?というのを聞かなきゃ始まらない。
で、同時に俺はたいがい「あなただったらどう判断する?」とも聞きます。
他の人にも聞くかもしれない。
「あなたはあの時ああ言ってたけど、それって結局○○って意味なの?」とか。

で、それら意見を聞いて、俺が「○○でどうでしょうか」と最終的に提案する。
もしくは、まあ決定することもあります役員だから。

たいがい、その俺が決めた「○○」は、その時に俺が聞いた人の答えです。
でも、決めたのは俺です、ということですね。


組織というのは、緊張感がなきゃいけないし、そもそも形式主義は大切だと俺は思っています。
民主主義は形式主義から始まる、とも思っています。
決める段取りをきちんと踏んで決めなければならない。
一つでもなあなあで飛び越えてはいけない、と。

だから、めんどくさくてもメールとかでやりとりするし、同じことだったとしても、それをしなければならない、と思っていて。


この専従の要望についても、どこかの会議で、「この金額なら出せるんじゃないか」みたいな話で提案して、結果として決めてしまうことも可能だったと思いますが、労働者、という観点を彼らは大事にしたかったんだと思う。
それはとても重要なことだし、大事なコトで、この先、福祉の世界ではしていかなきゃならないことで、こういう「それとこれは別」って動きができる専従を、とてもありがたく、すばらしいと思っています。







(BGM:荒木一郎「ミスター・ロビンソン」from「荒木一郎 ツイン・ベスト」)
→いや、なにこれ。
カッコイイ。
ドゥワップ感を煽るのが前後にくっついてるラジオDJ風の英語。
なに言ってるのかわからないが、ベストマッチ。
ちゃちなラジオで聞きたい。

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