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スーパーちんどん・さとう

Author:スーパーちんどん・さとう
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テレビは「千に一つの正解」を映さない


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先日、工藤さんちで「ほんとうにあった怖い話」を見たんだけど。

ま、地上波でやってましたやつです。
稲垣吾郎さんが出てます。
イワコデジマとか言ってるアレですね。

この番組、長寿番組と言ってイイかと思いますが、昔やってたと思うんだけど「霊に取り憑かれた人の霊を祓う」とかって部分がなくなって、全部再現ドラマになって、よくなりましたね。

正直、「霊に取り憑かれた人」ってのをやっぱテレビには出しちゃダメだと思うんです。
なぜなら、やっぱそれは「取り憑かれてないから」ですね。
いや、取り憑かれてないかどうかは証明ができないんですが、正直、そうじゃない人の方が多いと思われ。

つまりですね、藁にもすがる思いでテレビに出演する、って人はやっぱいないですよ。
できれば隠したい。
表には出たくない、という部分の正気を保ってる人じゃないと、やっぱテレビには出しちゃいけないと思うんだな。
で、まあそういう人は出ない、ということなので、やっぱテレビには出しちゃダメだと思う。

テレビって、やっぱ「正解の装置」なんですよ。
「テレビでやってたんだからいいことなんだ」とか。
「テレビでやってたから本当なんだ」とか。

だから、霊に取り憑かれてない人が「霊に取り憑かれた」って信じ込んでテレビに出たとしたら、(もちろん、自薦ではなく、恐らく他薦、つまり霊能者とかのプッシュとか、テレビ局側の「絵になる」って人を選んでいるんだろうけど。つまりその「憑かれた」って人自身が悪いわけでもないんだけど)それが、「霊に取り憑かれることがあるんだ」という「正解」を流布してることになってしまう。

といって、「この人は霊に取り憑かれてません」と霊能者が言ったところで、それは霊能者を正解にしているわけですから、もう出さない方がいいんです。

ま、オカルト好きな俺ですから、憑かれることがない、とか、霊がいない、とは思わないんですが、霊はテレビと相容れないのではないか、と。


でもまあ、再現ドラマはやってるわけで、どうなんだ?という気はしますが、まああれはまだ役者さんがやってる以上、「ドラマ」として見るコトができます。
「んなわけないじゃん」と突っ込める。
実際にあったかどうかは別として、そういう風に見るコトができる。

恐怖におののいている本人を前に、「んなわけないじゃん」とはやっぱ言えないけど、それを台本でやってる役者にはそれが言えるじゃないですか。

ので、まあセーフかな、というか、「オカルトを楽しむ」ということにはなるかな、と思ったりするわけです。

そう考えると、オカルトを楽しむ文化、ってのは、かなり民度が高くないと難しい、って話で、「狐憑きとはなんだったのか」、「開かずの間とはなんだったのか」「魔女狩りってなんだったのか」とかそういう知識がやっぱ多少必要になります。


オウム事件の時に、この手のオカルト番組は一掃されました。
「信じ込んじゃう若者がいる」というのが理由ですね。
テレビはそもそも「正解を指し示す装置ではない」ということを、テレビ側が自ら証明してるような流れだったんだけど、そこで、「オカルト番組は視聴率がとれるから、霊がいるかどうかわからないけどとりあえず合成の心霊写真ってわかってても、なんでもやっちゃってます」って言えばよかったのに、そこを明確にせず「やらない」という選択で済ませてしまった。

このことは、改めて霊の存在を認めるようなことになってしまったとも言えるのよね。


あのね、オカルトは本気で信じ込んじゃったら負け。
本気で楽しむモノだから。
とか言うと、本気で霊障に悩んでいる人もいる、とか言われそうですけど、いやいや、霊障以外の要因をまずきちんと考えませんか?という。

いや、でも、本気で「これはなんなんだ?」というものもありますよ(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-3806.html)。
生き人形とか。
ま、それも、それら本や語りがきちんと事実を綴っていれば、という前提ですけど。

そういうのは、おそらく千に一つはあるんだと思います。


だから、全否定はしたくないんですが、少なくともテレビでやってる某は、おそらくその千のうちの999の方のような気がします。
なぜなら、生き人形の例があるように、テレビでやれば、そのテレビに障りが起こるから。
そこには、テレビマンは手を出しませんよ。
テレビマンにも恋人とかパートナーとか、大切な人がいたりもするんですから。


霊能者って人たちも、人生相談だと思えば、かなりの部分、それで解決はすると思うんです。
つまりそれはもう霊に憑かれてはいないんですが、「霊に憑かれている」と信じ込んでる部分を溶かしてやればいい、ってことであって。

でも、「これは先祖の霊です」みたいなことを言えちゃう感じがオレにはよくわからないけど。
本気でそうなのか、もしくはそれも霊能者自身が「その人に霊が憑いていると信じている」だけかもしれない。
そうなれば、その霊能者の「信じてる」は誰が溶かすのか?って話になってしまいます。

故中岡先生のように、「これは1856年に死んだ江戸に住んでいたタエさんの霊です」とかマデ言ってくれると、それはそれでもうオカルトコントとして成立するんですが、取りようによってはどうとでもとれるコトを言われると、人は逆に信じてしまったりします。

もっと言えば、本気で霊能者で、ホントに霊が見えるのなら、やっぱテレビには出ないと思いますね。
そんなの出ちゃったら、日常生活に支障が出ますよ。
そこの部分の正気を保ってる、というか、テレビに出なくても正常?に日常をおくってる人ならまあ出てもいいんでしょうが、でもそういう人はだから、出ない、ということになります。


ま、んなわけで、この番組はそれらドラマを真に受けるでもなく、吾郎さんが「イイ感じで」受け流してたりするんで、すげえ「テレビの人だな」、って思うんですけど。
あの程度で流してもらわないと、信じちゃう人が出てきますね。
同時に、子役の子たちが、すげえ現場監督のキューで泣いてる感じもよく出ていて、それはまた、「これ、ガチじゃないじゃん」というのを逆に表現してますね。
この辺、この番組がオウムを経てのテレビの時代に復活し、生き残ってきた要因かと思います。


さて、で、この番組を久しぶりに見て、霊能者の人が出てきますが、その人、昔はもっと優しそうな顔してたと思うんだけど、表情が狐になってるじゃん…。

それが、ほんとうにあった一番怖い話だな、と思いました。







(BGM:ザ・ライオンズ「すてきなエルザ」fromYOUTUBE)
→「好きなんだ~(好き!)」「とてもエルザが(エルザ!)」
という、この()の合いの手が秀逸。
やけっぱちにも聞こえる。
けどもね、これ、逆になんかすげえネイクドでカッコいいかも、と思えてきた。
そう聞くと、この時代のGSにあって、演奏もけっこうラフなんじゃないかと。
コーラスもかなり音程苦しいところもあるし。
逆にいいよね、こういうの。

いやあ、プロレスの基本!


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今の日本のプロレスは、やっとこう復興してきた、と言われています。
低迷期がありましたからね(http://superchingdong.blog70.fc2.com/blog-entry-4480.html)。

低迷から救ったのは新日だと思います。
プロレスを知らない人でも猪木さんは知ってると思いますが、猪木さんの団体ですね。
彼は今は退いていますが。

新日は日本のプロレス界のトップ団体と言っていいわけですが、もう一つ、実は一般にはあまり知られてないかもしれないけど、ドラゴンゲートという団体がすごい人気であります。
新日をのぞけば一人勝ち、とも言われています。

といって、実はあまり見にいく機会はなく、すごく昔に文体だったか、そして埼玉にあったカツラスタジオに見にいった記憶があります。
まあ、プロレスってストーリーでもあるので、団体ごとに、「これを見にいく」みたいな感じになりがちで、あまりまんべんなく見る、ということがない、というのもあります。
で、その中から、ドラゴンゲートは抜けていました。

ドラゴンゲートから分派したエルドラドなんかは見にいったりしてたな、とか今思い出しましたけど、ドラゲーのあまりの躍進ぶりに、インディー好きな俺の食指が動かなかったというのもあるかな。


で、ちょっと縁あって、ドラゲーを見る機会に恵まれまして。
まあ、見にいってみたい、とは思ってましたから、ご縁ありがたくちょうだいしまして行って参りました。

結果からいうとですね、面白かった。
今度はお金払ってちゃんとまた行きたいと思いました。

会場はフルハウス、満員。
券の引替だけでも長い行列。
でもなんか、誘導はしっかりしてるというか、すいすい進む。

会場に入りましたら、他の団体と違うのは、プロレスTシャツとかを着てる人が少ない。
仕事帰りのOLさん、スーツの人、なんかが多い。
女子トイレは満員が過ぎて長蛇の列、みたいな。

そして選手はビルドアップされた筋肉の塊といっていいか、WWEを見てるような感じ。
おそらく、この体型を維持するための某もきっとしっかりしてるんだろう、と思わせてくれる。

入場も華やかで、しっかり時間をかけているし、俳優の小沢仁志さんが花束持ってきたりしてて、まあ華やかなことこの上ない。
選手のスーパースター感がすごいのね。
新日のそれに匹敵する感じの。


第一試合の冒頭、子どもを呼び込んで会場と一体になってコールする、みたいなのがあったり、客の口を開けさせる工夫もある。
なにより、各選手のマイクがうまい。
演技者としても一流だなあ、というのを感じさせてくれる。

これで試合内容がしょぼかったらどうしようもないけど、それがまあ、なんかハイスピードな展開でまったく飽きさせない。
もともとがルチャの選手を養成する「闘龍門」から始まった団体だから、そりゃ飛ぶ飛ぶ。体操選手のような身のこなしで、タッグでも次々に選手がリングインしては、展開をめまぐるしく変える。
ルチャはそもそもタッチしなくてもいい、みたいなこともあったりするからなのか、その辺、ちょっとルール的にゆるかったりすることもあるんだけど。


メインイベントでは、いいモノVS悪者、というわかりやすいプロレスで、しかもいいモノが悪者に寝返る!という裏切り劇もありまして。
場内騒然。
一瞬、何が起こったのか、となりましたが、お客さんの中には本気で怒ってる人もいて。
「どうしてなんだよ!」みたいに怒鳴ってる人とかいて。

いやあ、すげえ面白いですよ。
そこまで客の心を動かすストーリー、ってか、まあ裏切りなんてのはプロレスの中でも単純が過ぎるストーリーですけど、こういうの、わかりやすくていいし、グッときますね。
久しぶりにこの「裏切り劇」を見て、なんかプロレスの基本を見たような気分になりました。


いや、まあメジャーの団体、人気がある団体が面白い、っていうんじゃなくて、これまでも見てきたし書いてきましたけど、インディーの団体でも面白いのはたくさんありますから。
それぞれにファンの人はいるわけでね。
目につく機会が少ないだけで。

だからまあ、見てみなきゃわからない、ということですわ。

なかなかね、行けない、という事情はあります。
けども、まあいろんな団体をやっぱ見にいきたいなあ、短い人生だし、と思いました。






(BGM:ぶりっ子ままさんず「きもちんよか」fromYOUTUBE)
→これ、なんかのCMだった気がする。


と、この改行の間に調べたら、楽太郎さん(当時)が出てた入浴剤のアレだ。
思い出したぞ。
ま、それに便乗した一枚なんでしょう。
唄があまりにきちんとしすぎてて、なんかちょっと哀しくもある。

なにをしたいか?って難しい


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なんか最近思うのは、やっぱオレなんかは「フツーの仕事じゃないんだな」という。
雇われてるわけじゃないし、それぞれの考えて動いてるし、そもそもなんかを「作る」「売る」仕事じゃないし。
って、まあにじ屋は一応商売だけど、それはまあ本質ではない。


そう考えると、一般に、「普通に仕事してる人たち」ってのがいて。
聞けば、職場のいろいろに「対応しよう」って、みんな一生懸命みたいで。
それが「働くこと」みたいな風に思ってる人も多いのかもしれないな、と。

長時間に耐える、残業する、早く来る。
そういうことを「要求される」。
それに応えて、まあ一生懸命やってる。
で、それが「仕事だよ」みたいなことになっちゃってる感じがして。

つまり、そういうのが、一般的な「仕事観」というか。

自分が学生時代から特に何もかわらない、そのままの状態なのに、卒業してそれを要求されて、とにかく応える、みたいなことを十年とか続けてたら、まあそうなるよね。
それで、とにかく自分がすり減っちゃわないんだろうか、と思っちゃう。

いや、すごいな、とも思うし、でも、なんかそれって違うよな、って気もする。
もちろん、それを社会から要求される、ってことがベースの話なんで、その人がどうこうってことでもないわけだけど。


オグラもそうだね。
ずっと入所施設にいて、そして、ここに来て。
今、どこに行きたい?ってきかれても、おそらく出てこないのは、ずっとずっと行けなかったからでしょ。
だから、もう「行く」ってコトもわからなくなって、どこに行きたいかもわからないし、行きたくても、どう実現したらいいかわからないし、ってのをずっと続けてたら、そりゃもう「どこに行きたいか」なんて「思考回路」が閉じちゃってもおかしくない。


なんか、それと同じなんじゃないかな、って思うコトがあって。
だって、「普通の職場」で、ずっとやってきた人も、だって、やすめないんだもん。
早退してライブに行きます、なんて、できないんだもん。
それをしちゃえば、クビになっちゃう、と派遣の従兄弟は言う。
多くの人は、なにか予定をたずねても、「次の休みのシフトが出ないとわからない」という。
それがまあ、「普通」なんだろう。

そうなってたら、「自分が行きたいライブに行く」ってことが、きっとわからなくなっちゃわないんだろうか?と。
「行きたい」ってこととか。
「ライブ」ってこととか。
わからなくなっちゃわないんだろうか?って。

つまり、「予定」ってモノが、大きく職場から提示されて、しかもそれが時間外の夜のライブの予定だったとして、それも「残業があるかも」って、予定として入れられないとしたら、もう「自分で自分の予定を決める」ってことが、そもそもわからなくなっちゃわないんだろうか?と。

もちろん、なにがあるかわからない、突発的なことも含んだ仕事、ってのもあると思う。
例えば、教師とかもそう言う部分あるかもしれない。
でもまあ、本質的には、「拘束時間」というのはあるわけで…。


だからね、自分たちも、というか、この社会のそれを変えないと、オグラに「行きたい場所を言えるようになれ」ったって、無理だよねって思う。
ま、社会を変えるってのはいきなりでかすぎるんだけれど、そうじゃなく、「そういう自分に自覚的になる」ってことがないと、オグラの「自分では決められない」は、永遠になにもかわらない気がする。

例えば、オグラとしても、ソレができてない人に、言われたってなあ、って思っちゃうよなあ。


市丸と付き合っていて思うのは、自分を変えられるかどうか、なんだよなってコトで。
彼らになにか伝えようとするためには、自分がなにかを変えなきゃ伝わらない、ってのが肌感覚。
逆に言えば、「自分がそんなにしなくてもイイヤ」って思ってることは、彼らには伝わらない。
「トイレに行って手を洗おう」ってことが、「そんなに必要ないや」「自分ではやらない時もあるけど」って俺が、それをイチマルたちに言ったところで、伝わらない。

ま、直接どうこうもあるけど、そういうことに「自覚的かどうか」は重要、って思ったりする。
同時に、イチマルと俺とは同じ地平でつながっている、というか。


今、仕事前に一緒に朝飯を食う、って流れがあるけど、朝飯は確かに市丸たちが引っ越してきて今の形になったけど、その前にAのこともあった。
Aについては、家庭がちょっと困ったとこもあって、朝飯をこっちで食えばいいのでは?、という流れもあったんだけど、パンだけ買って、「食べなさい」ってなっちゃって。
つまり、こちらサイド、「コッチで食べなよ」という専従の側が、それによって何も変わらない、という。
ただ買って置いておいて、「たべなさい」って。
それはまあもちろん定着しなかった。
Aにとって、なんの解決にもならなかった。

今考えれば、そりゃ、やっぱ伝わらないよな、と。
だって、こっちが変われなかった。
自分だって、朝飯食えないで仕事に来てたりしてたはずなのに。


ま、コッチにしてみたら、生活を変えることだから、タイヘンだよね。

例えば、彼らの食生活についても同じ。
コッチがコーラをジャンジャン飲んでるのに、「コーラは身体によくない」なんて伝わるわけがない。

この仕事は、自分が変わることだな、と。





(BGM:風間杜夫「ララバイ・ロックンロール」fromYOUTUBE)
→のってるなー。
サビ部分の「今夜~愛し合う~」のところの裏声はいるところなんか最高にのってる。
時代を超えて今聞いて辛くならないだろうか、と少し心配。

ちょっとの雨ならがまん


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「ちょっとの雨ならがまん」
見てきました。

1980年代くらいのジャパニーズハードコアパンク界隈を撮ったドキュメンタリー。
当時、確かに上映とかされていたのは覚えているけど、見には行ってなかった。

30年以上の時を経て公開されたのは嬉しい限りである。

この情報を得た時、まあ心が躍りました。
なんだろう、あの頃のざらついたライブハウスの雰囲気にまた会えるという期待感。

最近のパンクは、どっかフレンドリーになって、当時のあの「怖かった」感じはあまり感じない。
まあ、でもサウンドは素晴らしいし、のれる。
逆に言えば、すごくなんかパッケージングされた感じも感じたりする。

とはいえ、それでもやっぱ当時の面影を残すバンドも多く、それを見に行くのはとても楽しみだし、50になった今でも見に行ったりする。
ラフィンなんかはとにかく今でも情報をいちいち調べて都合が合う限り見に行っている。

ハードコアが独立独歩というか、バンドが徒党を組むなんてコトがあり得ない感じだった頃、俺の中でのパンクは始まった。
そして時はPOWの発刊だったり、キャプテンの台頭なんかがあって、だんだんと様相を変えていく。

今考えれば、資本によらないインディー音楽に、資本が流入してきたってことなんだな。
パンクはそもそもDO IT YOURSELFという精神が基本で(という論にもいろいろと反論もあるだろうけど)、資本に対抗する勢力だったわけだけれど、そこに資本が入ってきたらそりゃ様相は変わる。

まあ、必然ではあったんだと思う。
ハードコアがいくら反戦だの言ったところで世の中は変わらない。
それに、ライブハウスで暴れてる連中に反戦言われたところで…、みたいなことは世の中側からしてみればあるわけで。
だからまあ、バンド側が横のつながりで社会の中で存在感を求めていったのは当然だろう。
同時に、音楽で喰っていくには、やっぱり金は必要だ。

根っ子は拡がっていき、凄味のないかわいい男の子なんかがライブハウスに来るようになって、でもまあ、俺は千葉だったんだけど、音が鳴り始めるとその連中は、昔の「怖かった時代」の残党たちに首根っこ捕まれてほおり出されたりもしてた。

そういうのを見て育ってきたので、今のライブハウスはとてもまあ、居心地がいい。
当時はとにかく凄味をまとわなきゃならなかったし、背伸びをしてでも周りをにらんでなきゃいけないというか。
それをしなくても、まあ今は見に行ける。

イイ時代にはなったんだと思う。
誰でもパンクを楽しめる。
けど、ロックンロールが市民権を得て古くなっていったように、パンクもそういうジャンルの死に向かっているのかもしれない、とも言える。
それはどっか俺の中では悲しいことではある。

衝撃は、時を経て薄れる。
ディスチャージのWHYも、今や古典になってしまった感もある。
ピストルズも、今の若い子には古いのかもしれない。

衝撃を衝撃として残していくには、裾野が拡がってしまってはだめなんだよね。
でも方やパンクが拡がっていくことにも未来を見いだしていたわけで。
だって、素晴らしいと思う音楽が多くの人に聴かれるようになるのはやっぱり嬉しい。
その相反する気持ちは半々あるんだよね。

今はきっとラップだったり、ミクスチャーなんかが出てきて、そっちが衝撃だったりするのかもしれない。
それはまあ聞いていればわかる。
確かに音は衝撃だ。
けど、そのライブに足繁く通ったわけではないから、現場としてその「衝撃」には出会っていない。

俺の中では、ハードコアが衝撃で、音楽の初期衝動。
ま、たまたまその現場にいたから。
あの頃のハードコアパンク。

そのフィルムに出会えるというのだから、心が躍らないわけがない。

で、改めて当時を俯瞰して見て、結局ですね、ハードコアは「俺の方が目立ってる」「俺の方がすごい」という目立ちたい精神の塊だったのかもしれない、と。
「おまえらついてこれないだろう?」という感じ、というか。
そういう各々の生き方とか、生き様とかが衝撃になった、というか。
そりゃそうだよな。

ま、今思えば、そういう感じだったのかもしれない。
もっとカッコいい音楽を、もっとカッコいいパンクを、もっと過激に、もっとカッコいい、いや、強いバンドに、みたいな。
そりゃ、いつの世も同じだ。

そして、それが俺にはかっこよかった。
単純で、ガキみたいだけど、でも、かっこよかったんだよね。

まあ、当時から、「ケンカが強いバンドがかっこいい」ってのはどうなんだ?みたいな論議はあった。
パンクの有りよう、というか。
ハードコアパンクのオムニバスのジャケットをめぐって、アウトサイダー論争、なんてのもあった。
でも、俺はなんかそういう「より過激に」って部分、キライじゃなかった。
そんなに難しく考えなくてもいいじゃん、みたいな気持ちもあった。

それに好き嫌いは各々だし、聞きたくない人は聞かなきゃいいんだし、って。
俺は、これが好きなんだ、というか。
で、それでいいんだよね、パンクって、とか。
個人個人のアレじゃん、というか。
自分に正直にアレ、自分の思いに正直に生きろ、というか。
パンクを広げようとかの策を弄するのはジャンルを殺してしまう、というか。
今でもそれは思ってるけど。


このフィルムには、ゲットザグローリーを歌うSAKEVIさんがうつってる。
チャーミーさんがギターを弾いている。
融和の方向に向かっている時代だ。
ハードコアが芽生えた時から見ると、様相を変え始めた頃の映像だな、という感じ。

これはこれでひじょうに資料的価値が高いし、感激もするけれど、一方で、このちょっと前には、ゲットザグローリーをSAKEVIさんが歌うなんてのはあり得ない、という風に見えた時代もあったということも、ちょっと思い出した。
そのざらつき感は、このフィルムに映し出される以上のモノだった、とも。

そして今、改めてCLAYを思い出して聞いている。
すげえかっこよかったな、と。








(BGM:アイドルス「夕日よ燃えろ」fromYOUTUBE)
→なんていうか、表層に出てきていたGSって、確かにエレキサウンドってことなんだろうけど、一方で、どっか昭和歌謡曲の歌唱を残してるところがミソだよな、って思うんだけど。
つまり、バックがエレキサウンドで、ただ、きちんとした歌唱が乗っかってる、というか。
正直、このタキシード着た感じの歌唱は今のロックから考えると聴いてられないところはあります。

未来がない… ★ 貧困クライシス


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藤田孝典さんの「貧困クライシス~国民「最底辺」社会」を読みましたけど。

よく「スマホ持ってるのに貧困じゃねえだろ」とか、「コンビニで飯買ってて貧困じゃねえだろ」みたいなことを言う人とかがいるんだけれど。

しかし、今や携帯なくしては仕事の応募もままならない。
炊飯器がなければコンビニでおにぎりでも買わなければ喰うこともできない。

いわゆる、「緩やかな貧困」である。

そういう人たちに、「がんばれよ」とか言ったって、今の時代、頑張ったところで非正規のままでは年収が200万切るやもしれないだのということらしいし、それも何時切られるかわからない状態で、昇級もしないのである。
しかも非正規雇用の人たちが4割いる、という統計もあったりする。

頑張ってればほとんどのサラリーマンが結婚してマイホームを持てた時代ではないのである。
今世の中は高度経済成長の時代とは全く違う、ということをまず理解しないと始まらない。

にもかかわらず、いまだにその頃の幻影を引きずって「本人が頑張ってないのが悪い」みたいな言説が垂れ流されていて、まあどうにも社会が見えてない人がいるな、って話なんだけれど。

結局、この状況は経済を回さない。
若者の車離れとか言うけど、違うでしょ。
金が若者から離れていて、若者は車を買えないだけなんじゃないか?
マイホームしかりで、つまりは経済が回らない。
不況になる。
安くなければ物が売れない。
そうなれば、結局自分が安く使われる、という悪循環。

単純にもっと市場に金が回るシステムを作らなければならないのに、生活保護を切ったりする。
元は税金である生活保護は、簡単に言えばそのほとんどが市場に出て行く金だから、生活保護を1億円切る、というのは、市場への一億円を切るのと同じことなんだけど。
それを法人税減税なんかで内部留保になってしまうのでは、いつまでたってもこの悪循環は断ち切れない。


この本で衝撃的なのは、高齢者の貯蓄額と寿命が比例する、みたいな話。
同時に、貧困に陥ると炭水化物中心の食事になってしまい、どうしても健康状態が悪くなる、と。
しかも、どうしても健康のことを考えるまでに至らなくなってしまう、みたいな話

先日、貧困に陥った41歳アルバイト男性の一週間の食事、という記事では、その男性はやっぱり炭水化物中心、というかそればっかりになっちゃってるんだけど、それについて、「今の食生活が原因で倒れたり、最悪そのまま死んでもそれは仕方ないかなと思うんです。こんな惨めな貧乏暮らしでクソみたいな食事を今後何十年も続けることを考えたらうんざりしちゃいますよ」と語っていた。

そもそも、会社で使い捨てされ、社会がそれを認めている以上、社会からのネグレクト状態に置かれているわけで、そりゃ自暴自棄にもなるよな…というか。

こういう状態を変えようと、例えば「食事は野菜から食べましょう」みたいなパンフレットを行政が作ったとする。
でも、おそらく、それを手に取るのは、「食事は野菜からなんて当たり前だけど、なんか他のこともかいてあるなら参考にしようかしら」という層だ。
本当にこの41歳アルバイトにこれが届くかというと疑問である。

つまりそうやって、貧困は健康格差も生んでいく。


手っ取り早く、安く腹を満たすためには、米だ、パスタだ。
行く金があれば牛丼だ。
コーラを飲んだ方が腹もふくれる。

目の前の自分の必要とするものを体内に入れることで精一杯。
もう、今の自分の生活が臨界点に達しているのだから、一ヶ月先、一年先の自分が病気になってるかどうかなど気にかけてなどいられない。

建康に気を遣う、というのは、そもそも未来への投資みたいな部分があって、しかもそれはマラソンとかの能動的な部分もあるが、体内に摂取するモノが左右する部分が大きい。
それが未来の身体を作っていくのだから。

でも、その未来を想像できなくなったら。
非正規で期限延長されるかどうかもわからない中、上司からの理不尽な仕打ちに耐え、耐えたところで貯蓄もできず、炭水化物で腹を満たす日々。
そんな風に、未来を「放棄しろ」って、遠回しに社会に言われ続けたら。

やっぱり人は「なにもなくなっちゃう」んじゃないか。


こうした層が、年々増え続けている。
決起するしか道はないように思うけど、でも、その道も生活保護を叩くことに快感を見いだしてる連中(おそらくコレも根っこは同じで、未来へのネグレクトが要因のような気もするが)が跋扈し、それを政権が支持するような動きを見せている中、なかなかに遠いような気がする。

政治的な見方をすれば、「全てなくなっちゃえばいい」「戦争、いいじゃないですか」って層がどんどん量産されている。
ま、それも今の政権の目論見なんだろうが、どこまで目先の支配欲におぼれているのか。

ナチス前夜の状況に、あまりに今の日本は近い。








(BGM:ビロージュ「お前の目を見るだけで」fromYOUTUBE)
→ビロージュ。
どういう由来なんでしょうビロージュ。
曲はね、なんでしょう、GSでもなければ、フォークでもない、どっちつかず感もありますが、ハーモニーもはっきり前面に出ていて、どっかところどころ外国風の作り。
当時はかなり新しかったんじゃないだろうか。

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